【光石研のバイプレラジオ】クレイジーケンバンド横山剣とは、クールス時代からの盟友。ダブルジョイレコーズ代表取締役・萩野知明<前編>

  • 編集:穂上愛
  • 司会&写真:佐野慎悟
  • ジングル:mantaschool

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俳優・光石研によるPenのポッドキャスト番組がスタート。その名も「光石研のバイプレラジオ」。名バイプレーヤー光石研が、各界の名バイプレーヤーたちを訪ね、インタビューします。

記念すべき第一回目のゲストは、萩野知明さん。1981年、伝説的な日本のロックバンド「クールス」に横山剣さんと同時期に加入し、ベースを担当。光石さんが大ファンの「クレイジーケンバンド」が所属する「ダブルジョイレコーズ」の代表取締役を務めています。

「クールス」時代の2人のお話や、初期「クレイジーケンバンド」のお話などなど、光石さんが聞きたかったあれこれをトークします。

萩野知明(はぎの・ともあき)
1959年、東京都生まれ。クレイジーケンバンド・横山剣が主宰するプロダクション/インディーズ・レーベル「ダブルジョイレコーズ」代表取締役。

バイプレラジオ02.jpg

クールス時代

光石:今日はすいません、よろしくお願いします。

萩野:こちらこそよろしくお願いします。

光石:萩野さんは元クールスに在籍なさっていて。その前に、萩野さんスタッフでらしたんですよね。

萩野:そうですね、ええ。

光石:それ何年ぐらいですか?1970……。

萩野:僕、高校卒業して、それから専門学校行って。

光石:はい。

萩野:12月ぐらいに留年が決まっちゃったんですね。

光石:はい。

萩野:そのときに、ちょうど同じタイミングで、僕の先輩から「クールスのスタッフ、募集してるよ」っていうことで。それで、もう学校に行っても仕方ないだろうということで、クールスのスタッフになったんで。だからいつだろう、卒業して1年目ぐらいですかね。

光石:なるほど。

荻野:19歳ぐらいですかね。

光石:クールスのファンだったとか?

荻野:クールスの周辺にいたんですよ。自分の先輩なんかと、グループ作ってて。その中のメンバーで、村山一海さん(※クールスのボーカリスト)が、いたもんで。だからわりと近いところにいました。

光石:そうなんですね!

萩野:だからそれでよく、原宿とか行ったりしてたんで。面識があることはあったんですよね。

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<続きはポッドキャストで!>

光石 研

俳優

1961年、福岡県生まれ。高校在学中の16歳で映画『博多っ子純情』の主役に抜擢され、1978年デビュー。1980年上京後より、本格的に俳優活動をスタートさせる。以降、名バイプレーヤーとして多数の映画やドラマに出演。YouTubeドラマ『光石研の東京古着日和』(CCCメディアハウス)、著書のエッセイ集『SOUND TRACK』(パルコ出版)などを通じて、近年は自身のファッションやライフスタイルのセンスにも注目が集まっている。

光石 研

俳優

1961年、福岡県生まれ。高校在学中の16歳で映画『博多っ子純情』の主役に抜擢され、1978年デビュー。1980年上京後より、本格的に俳優活動をスタートさせる。以降、名バイプレーヤーとして多数の映画やドラマに出演。YouTubeドラマ『光石研の東京古着日和』(CCCメディアハウス)、著書のエッセイ集『SOUND TRACK』(パルコ出版)などを通じて、近年は自身のファッションやライフスタイルのセンスにも注目が集まっている。