
名画《海の幸》で一躍脚光を浴び、神話など壮大なテーマに果敢に挑みながらも、太く短い生涯を終えた青木繁。人間の営みや自然を捉えた静謐なタッチで、87歳で世を去るまで真摯に絵と向き合い続けた坂本繁二郎。同郷・同い年の西洋画家ふたりの関係性を、上京からスケッチ放浪、そしてそれぞれの帰郷まで、ともに青春を過ごし、やがて分かれた人生の旅路に照らして紐解く展覧会「生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎」が、アーティゾン美術館で開催中だ。
今回、展覧会を訪れたのは、2021年のドバイ万博で日本館を設計し、2025年の大阪・関西万博ではパナソニックのパビリオンを手掛けることで注目を集める建築家・永山祐子さん。「ふたりの画家の特徴ある色彩感覚に興味を持った」という彼女を、学芸員の伊藤絵里子さんが案内した。
伊藤絵里子(学芸員):青木繁と坂本繁二郎は、今の福岡県久留米市に生まれ、同じ高等小学校出身、同じ画塾で絵を学んだ幼馴染みです。青木が早逝し、彼の作品が散逸してしまうのを心苦しく思った坂本が、それをどうにか食い止めたいと、同郷の石橋正二郎(ブリヂストン創業者)に収集を依頼しました。2020年に開館したアーティゾン美術館の前身であるブリヂストン美術館、そして石橋コレクションは、この青木の絵を集めることから始まったとも言えるのです。
永山祐子:三人の生まれ故郷での繋がりがきっかけなんですね。アーティゾン美術館がちょうど建てられている時、隣のビルで開催していた、建て替わる前の戸田建設本社ビルを舞台にしたアートイベント「TOKYO 2021」に企画アドバイザーとして関わりました。建設中の現場をよく眺めていたので、どんな美術館ができるのか楽しみだったんです。
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伊藤:福岡の画塾で森三美という先生から、ふたりは洋画を習います。その後、東京美術学校(現・東京藝術大学)に進学した青木が徴兵検査で福岡に帰省し、東京に戻るタイミングで坂本も一緒に上京。1903年に青木が日本やインドの神話を題材とした《黄泉比良坂》などを、その翌年に坂本が市井における労働の場面を描いた《町裏》を発表し、画壇へとデビューします。その年の夏、友人の森田恒友、青木の恋人の福田たねと4人で、千葉県館山市の布良海岸を訪れます。ある日、坂本が海で出会った大漁陸揚げの様子をみんなに話し、青木がインスピレーションを得て描いたのが有名な《海の幸》です。
永山:え、青木はこの場面を見てないんですか?
伊藤:はい、想像を膨らませて描いたんです。坂本が見てきた光景を話すと青木の目がぎらぎらと輝き、制作が始まったと。他の三人はモデルの世話をさせられたり絵の具を買いに行かされたりと振り回されたそうですよ。
永山:とても躍動感があるので、自分で見たものを描いたのだと思っていました。想像の中だから、よりドラマティックに思えたのかな。光の表現も、左からパーンと当たっているようで不思議です。演劇っぽいというか、舞台のライティングのように強い光が真横から照らされている。顔の白い人は女性っぽくて特別な感じがしますね。後方を歩いている人はこれで完成なんでしょうか。描き方の精度が違うのも気になります。
伊藤:そこが当時も評価のポイントとして分かれたところで、完成か未完成か、今も議論されているんですよ。
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伊藤:注目の新人として頭角を表した青木が、東京勧業博覧会で絶対に1等を取りたいと意気込んで出品したのが《わだつみのいろこの宮》です。ところが、結果は3等のしかも末席に終わりました。同じく出品した坂本も3等でしたが、その中でも首席に選ばれたんです。青木はこの結果に大変ショックを受け、ふたりの明暗を分けることとなりました。
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永山:同じ入選でも、ふたりは全然違う題材を選んでいますね。ロマンティックな神話の世界と、リアルな人間の生活感。どちらが好きかは観る人によって分かれそうですが、それぞれに魅力的。当時の画壇では、どのような作風が評価されていたのかにもよりますね。
伊藤:題材としては、青木は西洋美術における正統な主題を扱っています。青木は国立の美術学校に進み、フランス帰りの教師たちが指導する西洋美術の理念や基礎を学んでいました。横長や縦長の構図も、ゆくゆくは壁画制作を手がけたいと意識していたのでしょう。
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伊藤:ふたりは東京勧業博覧会を境に道が分かれました。審査の結果を痛烈に批判した青木は、父の危篤の報せを受けて福岡へ帰郷します。父の死後は九州を放浪しながら制作を続け、再び東京の画壇に返り咲くことを目指していたのですが、叶わないまま、1911年に肺結核でこの世を去ります。
永山:青木の自画像からは、そうした苦悩を抱えた生き様や秘めた激しさが伝わってくるような気がします。
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伊藤:青木は経済的にも困窮していたので、さまざまなつてを辿って絵の注文を受けたり、坂本へは上京の希望を綴った書簡を送るなど、最後まで絵で成功したいという思いを持ち続けていました。
永山:これは《海の幸》と対になるような、逆方向に帰っていく図ですね。また白い顔の女性がこちらを振り向いているのも、どこかテーマのつながりを感じます。
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伊藤:一方で、坂本は幸せな結婚生活を過ごし、3年間のフランス留学を経て、久留米近郊に家族とともに移住しました。家の近所にアトリエを構え、亡くなる直前まで九州の風景や馬、雲や月、静物画などをこつこつと描き続けました。
永山:坂本の優しく明るい色づかいが好きです。特に、《張り物》のような、女性の手元の朱色が暖かくて印象的ですね。
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永山:こうして観ていくと、坂本は東京勧業博覧会の頃は写実的に人物を描いていたのが、だんだん印象派に近づいていくような感じですね。
伊藤:フランス留学中の1923年の絵を観ると、留学前の印象派風の描き方から変わったのがわかります。人物はデフォルメされ、色の面で構成するなど、装飾性が高くなります。のちにたくさん描くことになる馬や静物の絵にも通じていきますね。
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伊藤:青木は28歳、坂本は87歳で描いた絵がそれぞれ最後の作品となります。亡くなった年齢も描いてきたモチーフも異なるふたりでしたが、絶筆とされる絵は青木が海と太陽、坂本が夜空と月という、対称的でありながらも交わるような世界観でした。
永山:なんだか、青木の《朝日》に描かれた雲が、坂本の描く雲と似ているようにも見えてきます。
伊藤:なるほど。坂本の中にずっと青木は鏡のように存在していたんだと思います。ふたりの共通点で言えば、坂本が60歳を過ぎてから描くようになった能面という題材も、青木が学生時代、熱心に取り組んでいたものなんです。
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伊藤:幼馴染みの友でありライバルでもあった青木と坂本が、お互いの作品にどう関わり合ったか、人生というふたつの旅の交わりに焦点を当てた内容になっているので、ふたりの作品にまつわる数々のエピソードも合わせて楽しんでいただけたら嬉しいです。
永山:絵の背景には必ずストーリーがあって、やっぱり人間そのものから表現って発せられる。青木と坂本の経験した出来事、それぞれのパーソナリティ、そして《海の幸》のようにふたりの関係性から生まれてきた名作もある。絵を通して作家の生き様が垣間見えることで、よりいっそう絵の世界に入り込める、そんな楽しみ方ができたように思います。
生誕140年 ふたつの旅 青木繁×坂本繁二郎
アーティゾン美術館
東京都中央区京橋1-7-2
前期:7月30日[土]ー 9月11日[日]
後期:9月13日[火]ー 10月16日[日]
*前期・後期で一部作品の展示替え予定
開館時間:10:00 ー 18:00(9月23日を除く金曜日は 20:00 まで)*入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(9月19日、10月10日は開館)、9月20日、10月11日
https://www.artizon.museum/exhibition_sp/two_journeys/
同時開催 石橋財団コレクション選 特集コーナー展示 田園、家族、都市