俳優引退を仄めかしたブラット・ピット。激動の時代を背負って立ったスターのキャリアから「燃え尽き症候群」対応のヒントを探る  

  • 文:中川真知子

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(c)ZUMA PRESS/amanaimages

先日、ピットがGQ誌のインタビューで引退を仄めかした。「(俳優としてのキャリアの)最終学期か3学期にあたる。(その期間を)どうデザインすればいいか」と考えているそうだ。


ピットは58歳。年齢とこれまでの功績を考えれば、身の振り方を考える時が来たとしてもおかしくない。だが、90年代から2000年代のブラット・ピットの成功までの道のりと大スターになってからの輝きをリアルタイムで見ていた筆者は、彼が銀幕からいなくなる日が来るなんて考えてもいなかった。だから、純粋に驚いた。

『イングロリアス・バスターズ』と『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で仕事をともにしたクエンティン・タランティーノは「(ピットは)ハリウッドに存在する最後のスターのひとり。星の明かりを説明するのが難しいように、ブラット・ピットという人物を説明できないだろう。それほど特別な人物なのだ」と、いち早くその驚きと悲しみを伝えている。

これは、ピットがハンサムで演技力のある俳優だからという理由だけではない。彼は、映画史における重要なターニングポイントを担い、タランティーノ監督がいうように、「最後のスターのひとり」だからだ。

この記事では、ブラット・ピットの引退仄めかしをきっかけに、ハリウッドにおけるピットの存在や、90年代の俳優が背負っていたプレッシャー、そして鬱に苦しみながらも構築したキャリアについて書こうとおもう。

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新たなハリウッドの顔となったブラット・ピット

ブラット・ピットはどんな俳優か、と聞かれたら、筆者は「筋肉全開のアクション映画時代に終止符を打った俳優」と答えるだろう。小室哲哉が「宇多田ヒカルが小室サウンドを終わらせた」と公言しているように、その時代にピリオドを打つ象徴的人物や出来事がある。そして、筋肉アクション映画の終焉は、ブラット・ピットだった。

ブラット・ピットは下積み時代を経て、着実にキャリアを伸ばした俳優だ。認知度を上げたのは、1991年の『テルマ&ルイーズ』。傲慢な夫の元を離れて開放的になったテルマと一夜を共にするミステリアスな男性役で、上半身裸にジーンズ、ウェスタン帽子という格好でベッドの上を飛び跳ねる無邪気さが印象的だった。

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1994年の『インタビュー・ウィズ・バンパイア』では、トム・クルーズとアントニオ・バンデラス、クリスチャン・スレーターと共にアンサンブルを飾った。ピットはバンパイアとしての本能と、人間だったころの理性の間で揺れ動く複雑な役どころで評価された。


だが、この時のハリウッドでは、まだアクション映画がもてはやされていた。 1994年は、アーノルド・シュワルツェネッガーの『トゥルーライズ』を筆頭に、ウィズリー・スナイプスの『ドロップ・ゾーン』、シルベスター・スタローンの『スペシャリスト』、ジャッキー・チェンの『酔拳2』、キアヌ・リーブスの『スピード』が公開されている。

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魅せる筋肉と派手な爆発が求められ、キアヌ・リーブスの体当たりアクション映画『スピード』でさえ、地味な部類とされた。

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だが、翌年1995年に映画界は転機を迎える。ブラット・ピットとモーガン・フリーマン主演『セブン』(デヴィッド・フィンチャー監督)が公開されたのだ(日本公開は1996年1月)。そのすぐ前にブライアン・シンガー監督の『ユージュアル・サスペクツ』が公開されていたため、映画ファンは一捻りあるストーリー重視の作品の虜になっていた。

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だが、『ユージュアル・サスペクツ』は、どちらかといえば玄人向けの作りで、一方の『セブン』は、ブラット・ピットの荒削りに見えて繊細な演技と甘いマスクや、共演者のグィネス・パルトロウとのロマンス、ホラーさながらのギリギリの怖さなどが、多くの人の興味を誘い大ヒットとなった。

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この年以降、アクション映画は勢いをなくし、アーノルド・シュワルツェネッガーの『イレイザー』(1996年)を最後に、ひとりのアクションスターが悪役相手に暴れ回るタイプの作品は下火になっていく。悪役も、テロリストより、視聴者にとって身近な自然災害にシフトし始めた。シルベスター・スタローンは、1997年の『コップランド』を境にヒューマンドラマに方向転換している。

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そして、ブラット・ピットを代表する、ハンサム細マッチョで地に足ついた演技をする俳優が求められる時代がやってきたのだ。

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90年代を盛り上げたスター

90年代は、ハリウッドにとって激動の時代といえる。1993年には『ジュラシック・パーク』が公開され、俳優らはパペットではなくCGのキャラクターとの共演を求められることが多くなった。ハリウッドでは常に目新しく、ダイナミックで、挑戦的な作品作りが進められる一方で、映画ファンはCGてんこ盛りの超大作に疲れ、インディーズ映画に走った。いわゆるミニシアターブームだ。

そんな中、映画ファンをハリウッド作品に引き付けたのが、他でもない90年代のスターたちだった。ブラット・ピット、レオナルド・ディカプリオ、ジョニー・デップ、ウィル・スミス、キャメロン・ディアス、グウィネス・パルトロー、レネー・ゼルウィガー、サンドラ・ブロック、キャサリン・ゼタ=ジョーンズといった若手俳優や、ブルース・ウィリス、ケビン・コスナー、ショーン・コネリー、アンソニー・ホプキンス、ニコラス・ケイジ、クリント・イーストウッド、ジョディー・フォスター、トム・ハンクス、アル・パチーノ、ロバート・デ・ニーロ、トム・クルーズ、ジョン・トラボルタ、ジム・キャリー、エディ・マーフィといった80年代から活躍してきた大御所俳優たちが、その名前だけでチケットを売った。

今のように、何人ものスターを共演させる俳優の負担分散型ではなく、基本的にひとりないしふたりの俳優の知名度で客を呼んだ。ブラット・ピットはそんな時代を直走ってきたのだ。

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苦しみながらも築いたキャリアパスに「燃え尽き症候群」対処のヒントを見る

だが、彼の人生は決して順風満帆とは言えない。いくつかのインタビューで話しているように、人気のピークだった90年代後半に鬱を患い 、「大麻ばかり吸って抜け殻のように生活していた」そうだ。

1995年にはピープルの「もっともセクシーな人」に選ばれ 、映画雑誌には毎月のように特集が組まれた。『フレンズ』のスターであるジェニファー・アニストンとのロマンスも順調で、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

ところが、華やかそうに見える生活の裏で彼は人知れず悩み、苦しんでいたという。想像でしかないが、ブラット・ピットほどの名声とキャリアになると、同じ境遇で悩みを共有できる人はほとんどいなかったのではないだろうか。スターになっても決して奢ることなく「飾らない人」と表現されていた彼にとって、メディアが作り上げる虚像と本当の自分の乖離や、更なる高みを目指せと言われるプレッシャー、世界中のファンが求めるブラット・ピット像を演じ続ける虚しさや孤独は相当なものだったと思う。

立ち直ったきっかけは、カサブランカで想像を超える貧困を目の当たりにしたこと。そして、 U2のボノと慈善事業を始め、人との交流を深めていったことだったそうだ。

そんな中、38歳だった2001年に、ジェニファー・アニストンと映画プロデューサーのブラッド・グレイと共同でプランBエンターテイメントを設立(アニストンとグレイはのちに撤退)。プロデューサー業に力を入れ始める。骨太でオスカーも狙える作品を数多く製作したプランBエンターテイメントは大成功。今となっては、俳優よりも製作側で映画に参加している割合の方が高い。「失顔症」という人の顔を覚えられないという症状で人間関係を拗らせることもあるそうだが、公にしたことで理解やサポートが得られるようになるのではないだろうか。

ピットのような人生の浮き沈みを経験する人は滅多にいないと思うが、彼のように目標に向かって突き進み、成功したのに虚無感を抱えて生きる人は少なくない。特に、キャリアが安定しはじめる30代以降は「燃え尽き症候群」に悩む人が多い。

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ピットのキャリアパスに、対応のヒントは見つけられないだろうか

彼は2001年にプロダクションを設立していることから、周囲の期待に答えつつも早い段階で表舞台から退くことを計画していたように思われる。また、人気家業は長く続かないと思っていたのか、俳優業が軌道に乗り始めた94年には不動産を購入している。酒豪だったときは、フランスに広大な土地を購入し、ワイナリーも所有している。彼のビジネスの主軸はあくまでも映画だが、それ以外にも興味あるものを率先して取り入れている。

もしかすると、視野を広げることで「燃え尽き症候群」から脱して新たな目標を見つけられるのかもしれない。

58歳になった今、ブラット・ピットは生き方を選択できるだけの自由が得られている。俳優としての出演作は自分で選べるし、引退までの道筋を自らデザインできる。さらにその後のキャリアも自分で描ける。

これは、彼がすでに成功している俳優業に固執せず、38歳で将来につながる種を蒔いたからだ。仕事一筋で生きてきたことで、結果的に家庭を失ってしまったことは残念だが、彼のキャリアパスは、夢追い人や、すでに夢を叶えて虚無感を抱えながら生きている人の指針になるような気がする。