学大の覇者「リカーリカ」が恵比寿へ、メニューがない大人の隠れ家が完成

    Share:

    大人になる瞬間って、いつなんだろう。それは、誰かに泣きを入れたってどうにもならないと気付いた午後かもしれない。誰にも理解されないともがいていた自分が、青い歓声にそっぽを向いた時かもしれない。でも、そんな成熟と手を結ばない熱い季節の中を走り続ける男がいる。

    「リ・カーリカ」からスタートして、「カンティーナ カーリカ・リ」、「あつあつ リ・カーリカ」、そして、ラボとオフィスを兼ねた「リ・カーリカ ランド」。東横線の学芸大学周辺で、いくつものイタリアンレストランを開いてきたtabacchi(タバッキ)の堤(亮輔)シェフだ。そんな彼が、看板もない、メニューもない大人の店を、なんと恵比寿に開店させた。

    IMG_0467.JPG
    貸店舗の貼り紙が目立つ、どこか無国籍な入口は、恵比寿神社のすぐそばに位置している。

    「大人の入口って、『分かりづらい』を楽しめるようになることだと思うんです」、堤シェフは言った。だからこそ、友人のカレー屋だった物件が空いた時にすぐに決意した。

    「以前からやりたかった、看板もない、メニューもない店に絶対にハマると思った」、かくしてtabacchiグループの1つの到達点とも言うべきta.baccoが誕生した。

    IMG_0388.JPG
    鉄のドアにta.と書かれたステッカーが貼られただけの、看板のない店。このアプローチだけで期待がマックスに達する。

    ---fadeinPager---

    IMG_0443.JPG
    なれ鮨といえば、琵琶湖の鮒か、鮎が有名だが、これは豚肉を常温で発酵させたなれ豚のパテ。未知の味わいにワインが絶妙に寄り添う。

    メニューはないけど、決しておまかせ(コース)ではない。2軒目でも、3軒目でも構わないけど、バーではないので、食事は少し楽しんで欲しい。だから、小さいポーションの皿が常時30種ほどのバリエーションで用意されている。

    そこに合わせられるのは、tabacchiの店の展開と共に歩んできたイタリアの自然派ワイン。それも、決してブレない個性が強いワインばかりだ。食事に合わせる、でも、いわゆるペアリングではない。

    「白ください、と言われても平気で赤を注ぐ。例えば、サンマの赤ワイン煮に、白は絶対出さない」、ワインを注ぎながら堤シェフが悪戯っぽく笑う。ここは店が差し出すすべてを、そのまま楽しめる客たちの店だ。自分勝手な価値観を押し付ける人たちには来て欲しくない。だって、それは大人じゃないから。

    IMG_0411.JPG
    そのままでも鮑を思い出させる王様しいたけを、一度冷凍し、実際に鮑の肝ソースで和えたもの。もはや、これは鮑以上の鮑かもしれない。

    IMG_0751.JPG
    ポレンタの上に、トスカーナの伝統料理ペポーゾをのせたひと皿。ペポーゾは、牛スネ肉を赤ワインと黒胡椒で煮込んだ料理。

    IMG_0757.JPG
    冬のトスカーナを代表する家庭料理リボッリータは、特産の黒キャベツを使うがここでは発酵野菜を使用。ワインの有機酸とスープの酸味が口の中で幸福に出会う。

    小さいポーションで次々と用意される料理は、その時のおなか具合に合わせて、いつでもストップできる。おなかが普通に空いてる感じなら10皿から12皿くらいだろうか。たくさん食べる人は16皿、少食な女性なら8皿くらいでいいかもしれない。でも、野菜が多く、発酵の技術も駆使した料理は身体に優しく、ワインの力もあって、いつか皿を重ねてしまう。

    料理は「リ・カーリカ」や「カンティーナ カーリカ・リ」、「あつあつ リ・カーリカ」で評判だった料理を少量でも楽しめるようにアレンジされている。イタリアンに行きたいけど、(量が多くて)種類を頼めないから1人では無理。そう感じていた大人たちには、待ちに待った形態かもかもしれない。

    IMG_0752.JPG
    タヤリンはピエモンテヴァージョンのタリオリーニ。グリーンピースやローストトマトなど、旬の食材と相性がいい。

    ---fadeinPager---

    IMG_0423.JPG
    堤シェフがカウンターに取り出したのは、「チンしてトスカーナ」シリーズのピチアルラグー。肉とソース、ピチが巧みに区分けして冷凍されている。

    実はもう1つ、この店には大きなテーマがある。それは、堤シェフがカウンターに差し出した冷凍パスタ、tabacchi名物のピチの中にあった。2021年12月に完成した「リ・カーリカ ラボ」、巨大な製麺機やパスタやスープなどを作るためのホットミックス、急速冷凍器など、様々な設備が揃う。そこから、まず世の中に飛び出したのが、電子レンジでチンするだけでプロの手仕事を再現できる冷凍ピチ3種類だ。

    そして、ta.baccoで供される料理たちも、あらかじめラボで下拵えされて、店のキッチンで仕上げられる。たとえシェフ不在でも、変わらないサービスを維持できる。それはレストランの未来を見据えた大きなチャレンジだ。コロナ禍の中、生産者たちの食材が余剰したこともあった。台風などで少し傷がついてしまい、市場に出せなくなる野菜もある。でも、ラボがあれば引き取って商品にできる。

    食材のサステイナブルだけではない、ラボという選択肢が増え、多様な働き方が可能になることで人材のサステイナブルさえ可能になる。出産や子育てや加齢、色々なライフステージの中で自分の働き方を見つければ長く働くことができる。それは飲食業界にとって、大きな前進に違いない。

    7053e70dde0c04508669c25d9f2d051b.jpg
    「チンしてトスカーナ」シリーズ全3種類。左から、ピチアリオーネ、ピチアラビアータ、ピチアルラグー。

    1f7dc05db876f9cb81d0dd54b3f6d841.jpg
    ニンニクとトマトのシンプルなピチアリオーネは、ピチ本来の食感が楽しめる。とても、電子レンジだけで完成したとは思えない。

    ホームページの写真に惹かれて、「チンしてトスカーナ」シリーズ3種類を取り寄せてみた。果たして、我が家のキッチン、いや電子レンジだけで、あの店の味が再現されるのだろうか。

    まず驚くのは、その形状だ。パスタとソースが区切りのないパッケージの中で、ちゃんと区画整理されて並んでいる。指示通りにチンすると、パッケージの中でパスタとソースが一体化している、さらに袋ごとソースを馴染ませて皿に盛ると、ライティングとレンズは違うもののホームページと遜色がない。

    食べてみると、興奮はさらに頂点に達した。「あつあつ」のカウンターで食べた、あのピチだ。独特の食感も、トマトソースも、とても冷凍とは思えない。

    IMG_0765.JPG
    袋から取り出したばかりの凍ったピチアリオーネからは、数分後の勇姿はとても想像できないだろう。
    5776F887-852D-4959-B44D-FADBBEE4AA11.jpg
    これが驚くべきレンチン後の姿、袋の中でソースとパスタが一体化している。あとは袋ごとソースを絡ませれば完成。

    A9B1D8D0-E9DB-43AD-8A08-22EBCBE8742F.jpg
    用意した思い思いの皿に盛れば、自宅にいながらレストラン気分、いやむしろトスカーナ気分になれる。

    ---fadeinPager---

    IMG_0398.JPG
    この夜は、盛大にたくさんのマグナムが開いていた。ふだん、1人では開けられないワインに出会えるのも、この店の醍醐味。

    豚のなれのパテや、tabacchiではおなじみの王様しいたけを使った料理、トスカーナのリボッリータ、ピエモンテのタヤリン。次々に登場するひと皿は、イタリア各地の名物料理に、発酵などのニュアンスが加えられていて、個性的なイタリアの自然派ワインとの相性が秀逸で、いつまでも杯を重ねたくなる。

    だが、恐れることはない。ここで出会うものはすべて、自然派ワインと同じように、自分たちの身体にスッと馴染んでいく自然な素材で作られたものばかりだ。添加物まみれの世の中で、ふっとひと息つける場所。それこそが大人の隠れ家かもしれない。

    IMG_0454.JPG
    大人たちが思い思いに好きなワインや小皿料理を、その日のペースで自由に楽しむ店。恵比寿に行ったらぜひ寄りたい。いや、わざわざ出かけたい。

    IMG_0391.JPG
    ラボの完成による堤シェフのさらなる飛翔を期待したい。もちろん、いつも通りの熱いパワーと笑顔のままで。

    セラーに並ぶワインたちは、特に最前列は垂涎のものばかりだ。しかし、堤シェフは気軽にどんどん開けていく。もちろん、単価は高いが、同時に貴重なものだからたくさんの人に味わってほしい。だから、通常の半量を注ぐ。パワーのあるワインだから、じっくりゆっくりと味わう。

    酒は酔うためのツールではない、だから決して押しつけはしない。しかし、人生を豊かにするための潤滑油として、酒ほどのものはないに違いない。それを証明するのは、ta.baccoに溢れるたくさんの笑顔だ。

    IMG_0450.JPG
    ジロトンドにキナート、この2本が並ぶ風景はそうそうない。これが大人のハードルなら、いつだって越えていきたい。

    IMG_0440.JPG
    惜しまれつつ他界した、カーぜ・コリーニ博士のヴィナイオータ、しかもマグナム。滅多に出逢えない一杯をここで見つけたい。

    「お任せいただけますか?」の言葉に身を委ねる、看板のないレストラン。酒も、料理もメニューがない、ゆったりとした店の空気に身を任せて、大人たちが極上の酒を楽しむ場所。もちろん、酒の味を最大限に引き出す、小皿の料理たちも好きなだけ並ぶ。

    できるだけ自然に寄り添ったワインと、生産者たちが自然のままに育んだ食材。大人というハードルは、あらゆる価値観から優しくしなやかに開放されることなのかもしれない。その答えは、恵比寿の風がきっと教えてくれるだろう。

    IMG_0455.JPG

    『ta.bacco』

    渋谷区恵比寿西1-13-7恵比寿5ビル202

    電話 080-9715-2323

    ピチ購入はhttps://ricarica.base.shop/

    森 一起

    文筆家

    コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。

    森 一起

    文筆家

    コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。