大人になる瞬間って、いつなんだろう。それは、誰かに泣きを入れたってどうにもならないと気付いた午後かもしれない。誰にも理解されないともがいていた自分が、青い歓声にそっぽを向いた時かもしれない。でも、そんな成熟と手を結ばない熱い季節の中を走り続ける男がいる。
「リ・カーリカ」からスタートして、「カンティーナ カーリカ・リ」、「あつあつ リ・カーリカ」、そして、ラボとオフィスを兼ねた「リ・カーリカ ランド」。東横線の学芸大学周辺で、いくつものイタリアンレストランを開いてきたtabacchi(タバッキ)の堤(亮輔)シェフだ。そんな彼が、看板もない、メニューもない大人の店を、なんと恵比寿に開店させた。
「大人の入口って、『分かりづらい』を楽しめるようになることだと思うんです」、堤シェフは言った。だからこそ、友人のカレー屋だった物件が空いた時にすぐに決意した。
「以前からやりたかった、看板もない、メニューもない店に絶対にハマると思った」、かくしてtabacchiグループの1つの到達点とも言うべきta.baccoが誕生した。
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メニューはないけど、決しておまかせ(コース)ではない。2軒目でも、3軒目でも構わないけど、バーではないので、食事は少し楽しんで欲しい。だから、小さいポーションの皿が常時30種ほどのバリエーションで用意されている。
そこに合わせられるのは、tabacchiの店の展開と共に歩んできたイタリアの自然派ワイン。それも、決してブレない個性が強いワインばかりだ。食事に合わせる、でも、いわゆるペアリングではない。
「白ください、と言われても平気で赤を注ぐ。例えば、サンマの赤ワイン煮に、白は絶対出さない」、ワインを注ぎながら堤シェフが悪戯っぽく笑う。ここは店が差し出すすべてを、そのまま楽しめる客たちの店だ。自分勝手な価値観を押し付ける人たちには来て欲しくない。だって、それは大人じゃないから。
小さいポーションで次々と用意される料理は、その時のおなか具合に合わせて、いつでもストップできる。おなかが普通に空いてる感じなら10皿から12皿くらいだろうか。たくさん食べる人は16皿、少食な女性なら8皿くらいでいいかもしれない。でも、野菜が多く、発酵の技術も駆使した料理は身体に優しく、ワインの力もあって、いつか皿を重ねてしまう。
料理は「リ・カーリカ」や「カンティーナ カーリカ・リ」、「あつあつ リ・カーリカ」で評判だった料理を少量でも楽しめるようにアレンジされている。イタリアンに行きたいけど、(量が多くて)種類を頼めないから1人では無理。そう感じていた大人たちには、待ちに待った形態かもかもしれない。
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実はもう1つ、この店には大きなテーマがある。それは、堤シェフがカウンターに差し出した冷凍パスタ、tabacchi名物のピチの中にあった。2021年12月に完成した「リ・カーリカ ラボ」、巨大な製麺機やパスタやスープなどを作るためのホットミックス、急速冷凍器など、様々な設備が揃う。そこから、まず世の中に飛び出したのが、電子レンジでチンするだけでプロの手仕事を再現できる冷凍ピチ3種類だ。
そして、ta.baccoで供される料理たちも、あらかじめラボで下拵えされて、店のキッチンで仕上げられる。たとえシェフ不在でも、変わらないサービスを維持できる。それはレストランの未来を見据えた大きなチャレンジだ。コロナ禍の中、生産者たちの食材が余剰したこともあった。台風などで少し傷がついてしまい、市場に出せなくなる野菜もある。でも、ラボがあれば引き取って商品にできる。
食材のサステイナブルだけではない、ラボという選択肢が増え、多様な働き方が可能になることで人材のサステイナブルさえ可能になる。出産や子育てや加齢、色々なライフステージの中で自分の働き方を見つければ長く働くことができる。それは飲食業界にとって、大きな前進に違いない。


ホームページの写真に惹かれて、「チンしてトスカーナ」シリーズ3種類を取り寄せてみた。果たして、我が家のキッチン、いや電子レンジだけで、あの店の味が再現されるのだろうか。
まず驚くのは、その形状だ。パスタとソースが区切りのないパッケージの中で、ちゃんと区画整理されて並んでいる。指示通りにチンすると、パッケージの中でパスタとソースが一体化している、さらに袋ごとソースを馴染ませて皿に盛ると、ライティングとレンズは違うもののホームページと遜色がない。
食べてみると、興奮はさらに頂点に達した。「あつあつ」のカウンターで食べた、あのピチだ。独特の食感も、トマトソースも、とても冷凍とは思えない。


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豚のなれのパテや、tabacchiではおなじみの王様しいたけを使った料理、トスカーナのリボッリータ、ピエモンテのタヤリン。次々に登場するひと皿は、イタリア各地の名物料理に、発酵などのニュアンスが加えられていて、個性的なイタリアの自然派ワインとの相性が秀逸で、いつまでも杯を重ねたくなる。
だが、恐れることはない。ここで出会うものはすべて、自然派ワインと同じように、自分たちの身体にスッと馴染んでいく自然な素材で作られたものばかりだ。添加物まみれの世の中で、ふっとひと息つける場所。それこそが大人の隠れ家かもしれない。
セラーに並ぶワインたちは、特に最前列は垂涎のものばかりだ。しかし、堤シェフは気軽にどんどん開けていく。もちろん、単価は高いが、同時に貴重なものだからたくさんの人に味わってほしい。だから、通常の半量を注ぐ。パワーのあるワインだから、じっくりゆっくりと味わう。
酒は酔うためのツールではない、だから決して押しつけはしない。しかし、人生を豊かにするための潤滑油として、酒ほどのものはないに違いない。それを証明するのは、ta.baccoに溢れるたくさんの笑顔だ。
「お任せいただけますか?」の言葉に身を委ねる、看板のないレストラン。酒も、料理もメニューがない、ゆったりとした店の空気に身を任せて、大人たちが極上の酒を楽しむ場所。もちろん、酒の味を最大限に引き出す、小皿の料理たちも好きなだけ並ぶ。
できるだけ自然に寄り添ったワインと、生産者たちが自然のままに育んだ食材。大人というハードルは、あらゆる価値観から優しくしなやかに開放されることなのかもしれない。その答えは、恵比寿の風がきっと教えてくれるだろう。
『ta.bacco』
渋谷区恵比寿西1-13-7恵比寿5ビル202
電話 080-9715-2323
ピチ購入はhttps://ricarica.base.shop/

文筆家
コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。
コピーライティングから、ネーミング、作詞まで文章全般に関わる。バブルの大冊ブルータススタイルブック、流行通信などで執筆。並行して自身の音楽活動も行い、ワーナーパイオニアからデビュー。『料理通信』創刊時から続く長寿連載では東京の目利き、食サイトdressingでは食の賢人として連載執筆中。蒼井優の主演映画「ニライカナイからの手紙」主題歌「太陽(てぃだ)ぬ花」(曲/織田哲郎)を手がける。