村上春樹の小説に登場する「コードバン」とはどのような靴か?

  • 文:小暮昌弘(LOST & FOUND)
  • 写真:宇田川 淳
  • スタイリング:井藤成一

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外羽根のプレーントゥモデルで、ブラックカラーは「9901」という品番で呼ばれている。丸みのあるシルエットと素材に使われる最高品質のコードバンがいちばんの特徴だ。ソールはダブルレザーソールで、外周は360度グッドイヤーウェルト製法。「スプリットウェルト」によるコバのステッチも独特だ。約200にも及ぶ工程によって製作される名靴だ。¥138,600(税込)/オールデン

「大人の名品図鑑」村上春樹をめぐる名品編 #2

第94回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』の原作を執筆したのは、日本、いや世界を代表する作家・村上春樹だ。今回は村上春樹の数々のベストセラーに登場する名品、あるいは本人の愛用品について語る。

小説などではブランド名やモノ、あるいはキーワードが登場人物を語る上で重要な役割をもつことがある。言葉一つひとつを大事にする村上春樹作品ならばなおさらのことだろう。

村上春樹が1980年に発表した『1973年のピンボール』にファッション好き、靴好きには見逃せないキーワードが登場する。「コードヴァン」という言葉だ。

「一九七三年五月、僕は一人その駅を訪れた。犬を見るためだ。そのために僕は髭を剃り、半年振りにネクタイをしめ、新しいコードヴァンの靴をおろした」

この作品は処女作『風の歌を聴け』(79年)に続いて書かれたもので、いわば続編。主人公も登場人物も前作を引き継いでいる。前作で大学生だった「僕」は社会人になり、友人と立ち上げた翻訳会社で働いている。プライベートでは双子の女の子と暮らしていたが、1970年の夏、友人の「鼠」が遊んでいたピンボール台「スペースシップ」を思い出し、そのピンボール台を捜し始める。「コードヴァン」という言葉が出てくるのは作品の冒頭部分。前作に登場した「直子」の故郷を4年振りに訪れる「僕」が履く新しい革靴の素材を「コードヴァン」と書く。実は『1973年のピンボール』に続く『羊をめぐる冒険』(1982年)にも「コードヴァン」が出てくる。

「仕立ての良いグレーのスーツの袖から白いシャツが正確に一・五センチぶんのぞき、微妙な色調のストライプのネクタイはほんの僅かだけ左右不対称になるように注意深く整えられ、黒いコードヴァンの靴はぴかぴかに光っていた」

また、この作品から17年後に発表された『1Q84』では「ヴァ」を「バ」に変えて、何度もこの言葉が採用されている。例えばこんな感じだ。

「彼の黒いコードバンの靴は例によってきれいに磨き上げられ、その光を眩しく反射していた」

主人公の一人、青豆のセキュリティを担当するタマルの履いているのがこの素材の革靴で、自衛隊出身のタマルらしく、いつも靴は磨き上げられており、作品の中では色も黒と描写されている。「コードヴァン」あるいは「コードバン」という言葉は村上春樹の頭に残っている言葉と見ていいだろう。

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『1973年のピンボール』に登場するのはオールデン?

そもそも「コードヴァン、コードバン(cordovan)」とは、農耕馬から採取される臀部の皮をなめしたもの。ドイツのファッションジャーナリスト、ベルハルト・レッツェルが書いた『ジェントルマン』(クーネマン)によれば、この名前は「スペインの町コルドバから来た皮革を意味したに違いない」とある。臀部からは2枚の円形の皮しか採れないし、この革からは2、3足の革靴しかつくれない。よってこの革は「革の宝石」「革のダイヤモンド」と例えられる。

この希少な革を使った革靴で圧倒的な認知度を誇るシューズブランドがアメリカのオールデンだ。1884年、マサチューセッツ州ミドルボロウでカスタムメイドのブーツメーカーとして創業された老舗で、創業者はチャールズ・H・オールデン。伝統的で堅牢なグッドイヤーウエルト製法の靴として名を馳せるが、足に問題を抱えた人も快適に履くことができる医療用矯正靴の分野を開拓したことでも知られている。加えて現在でもアメリカで生産を続ける稀有なシューメーカーのひとつだ。

同ブランドが使うコードバンは、1905年、シカゴで創業されたタンナー(製革業者)のホーウィンでつくられたもの。ホーウィンはウクライナからの移民イシドール・ホーウィンが創業した会社で、最高品質の素材だけを選び、熟練の専属職人が生み出すコードバンは、美しさに加えて、耐久性、通気性、防水性を備えている。経年変化も楽しめ、手入れを正しく行えば、“一生”愛用することができる。この珠玉のコードバンという素材と、創業以来の職人的で堅牢なつくりによって、オールデンの靴は世界中で人気を集め、生産が間に合わないような状態が続いていると聞く。

もちろん村上春樹が書いたコードバンの靴がオールデンとはどこにも書かれていない。オールデン以外にもコードバン素材を採用した革靴は製作されている。

しかし『靴を読む』(山田純貴著 世界文化社)によれば、オールデンというブランドの革靴が日本に紹介されたのは1980年。セレクトショップの雄、ビームスがオールデンを初めて取り扱ったとも書かれている。1980年といえば、『1973年のピンボール』が発表された年だ。しかも同書で村上は「新しいコードヴァンの靴」とまで書いている。これはまったくの偶然だろうか。その前年にはアメリカントラッドの総本山ブルックス ブラザーズが日本に初出店し、村上春樹はこのブランドの服も愛用している。ブルックス ブラザーズではオールデンに別注したコードバンの革靴を揃えているので、そこで出合ったのかもしれない。そんな想像を巡らしてみるのも、村上春樹の作品を読む楽しみの一つだ。

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「9901」の特徴はソールまで全部黒一色で製作されているところだ。ソールには「シェルコードバン(SHELL CORDOVAN)」の文字が刻まれているが、これは素材を提供しているホーウィンの登録商標だ。

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オールデン、正式名称オールデン・シュー・カンパニー。マサチューセッツ州ミドルボロウで創業した。その後3度の移転を経て、現在はまたミドルボロウに工場を置いている。正真正銘のメイド・イン・U.S.A.の靴をつくる老舗だ。

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希少なコードバン素材を使ったプレーントゥモデルは、ブラックとダークバーガンディの2色があり、後者は「990」という品番で呼ばれる。基本的には素材や仕様は「9901」同じ。しかしブラックの「9901」よりも、その色合いから経年変化によるシワや色の変化が楽しめるモデル。¥138,600(税込)/オールデン

問い合わせ先/ラコタ TEL:03-3545-3322
https://www.lakotahouse.com/

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