「大人の名品図鑑」ジャズの巨人編 #3
アメリカのニューオリンズが誕生の地と言われるジャズ。「スイング」「ビバップ」「フリー」など、めまぐるしくスタイルを変えながら何度も黄金期を迎え、その流行は世界的なものになった。今回はそんな歴史をもつジャズ界の巨人たちが身につけた名品を辿る。
多くのジャズ評論家が“唯一無二”の個性と評するピアニストのセロニアス・モンク。彼の名前が入った『セロニアス・モンクのいた風景』(新潮社)で、村上春樹は「極北でとれた硬い氷を、奇妙な角度で有効に鑿削っていくようなピアノの音を聴くたびに『これこそがジャズなんだ』と思った」と彼の演奏を見事に評する。
1917年ノースカロライナに生まれたモンクは、母親が購入した自動ピアノに魅了され、ピアノに関心を寄せるようになる。10代からジャズピアニストとして活動をはじめ、ハーレムのナイトクラブ「ミントンズ・プレイハウス」の常連プレーヤーに仲間入りし、チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスビーらとジャムセッションを行い、「ビバップ」発展に大きな役割を担った。マイルス・デイヴィスの十八番『ラウンド・ミッドナイト』を作曲したのはモンク。しかし54年に一緒に演奏したときには「オレがソロをとっている間、ピアノは弾くな!」とマイルスから怒鳴られる。個性的なモンクのパッキングをマイルスは嫌ったのかもしれない。モンクは理論家で、バド・パウエルやジョン・コルトレーンに演奏のアドバイスを与えたこともあったという。
そんなモンクが亡くなって今年で40年を迎え、『MONK モンク』『モンク・イン・ヨーロッパ』という2本のドキュメンタリー映画が公開された。映像は60年代、彼の円熟期の姿が収められ、自身のカルテットを率いたモンクのスタジオ録音やヨーロッパツアーの様子、プライベートライフまで肉薄する。また声だけだが、モンクが登場する映画『ジャズ・ロフト』が昨年日本でも公開されている。これは写真家のユージン・スミスがマンハッタンの28丁目に借りていたロフトで50年代に行われていた、ジャズミュージシャンによるセッションを追ったドキュメンタリー。没後40年という節目で、モンクに再びスポットライトが当たっているのだろうか。
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銀座トラヤ帽子店でモンクの帽子を探す
ジャズミュージシャンのファッションでリー・モーガンをベストに推す人も多いが、モンクもお洒落、いや少なくとも身だしなみにとても気を遣っていた人物だ。
伸びた顎髭とさまざまな帽子が彼のトレードマーク。映画『MONK モンク』でも風変わりな帽子をかぶり、まわりの人から揶揄される姿が収録されている。前述の『セロニアス・モンクのいた風景』で、ドイツのジャズ評論家トマス・フィッタリングは、「顎髭やサングラス、黒いベレー帽(彼のかぶる帽子はしょっちゅう変わることで有名だが、これが原型だ)は、バッハーの定番スタイルになり、同時にまた彼の反体制な、反権威的な主張の象徴」と書いている。また同書には「日本に公演旅行したとき彼は絹の丸帽子(スカルキャップ)を東京で買ったし、パリでは立派なクリスチャン・ディオールの帽子も買った」とスタッフライターだったバリー・ファレルが書いている。180センチの身長、体重も90キロを超えていたモンク。頭に帽子をかぶった彼はさぞや迫力があったろう。モンクは隙のないスタイルが好きで、スーツが身体にフィットしていないと落ち着けなかったと言われる。映画『モンク』ではコートを着ているシーンがほとんどだが、ステージの上でもコートを着て、帽子をかぶったまま演奏することもあったという。意外とモンクはシャイだったのかもしれない。
クラシックなデザインから異国情緒たっぷりなものまで、モンクがさまざまな帽子をかぶっている写真がいまも残されている。その何枚かを1917年創業の帽子専門店、銀座トラヤ帽子店に送って、同じようなデザインの帽子はないかと尋ねてみた。
返事はすぐに帰ってきた。クラウン(帽子のリボンから上を指す)の高さ、ブリム(帽子のツバ)の幅、リボンの太さ、どれを見ても“モンクの帽子”と思えるようなモデルが続々と紹介してくれた。中にはモンクがかぶって「中国帽子」と評されたモデルにそっくりな帽子まで製作していた。さすが老舗、これぞ専門店ではないか。モンクが来日したときにこの名店にもし立ち寄っていたら、帽子のバリエーションの豊富さにさぞや狂喜しただろう。もしかしたらファレルが書いた絹の丸帽子は手にしなかったかもしれない。いや、それも含めてこの名店でたくさんの帽子を買い込んだに違いない。服好き、帽子好きというものはそういうものだからだ。
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問い合わせ先/銀座トラヤ帽子店 TEL:03-3535-5201
https://ginza-toraya.com
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