ステアリングを握る掌中に小宇宙が誕生する
ロールスロイスのクラシックモデルで広く知られているのが、1965〜80年まで2代にわたって発売されたシルバーシャドウシリーズ。当時、普及がめざましかったカラーテレビの影響もあり、英国王室のセレモニーや著名人のブライダルカーとして世界に発信された。
クルマ好きでなくとも「どこかで見たことのあるロールスロイス」であり、「王侯貴族がハレの日に乗るロールスロイス」の印象はシルバーシャドウによるものと言えるかもしれない。現代でもネットフリックスの大人気ヒーロードラマ『アンブレラ・アカデミー』のハーグリーブス家のクルマとして登場し、家族に影響を与え続ける亡き父の存在やファミリーネームの重さを演出する重要なアイコンになっている。
今回、目の前にあるのは72年製のシルバーシャドウI。ここから半世紀近くにわたってロールスロイス、ベントレーの顔となる6.75リッターのV8エンジンを搭載し、後輪にはシトロエンの革新的技術だった油圧式による自動車高調整機能(セルフレベリング)のサスペンションを採用している。ブレーキは4輪ともディスクに進化、サーボ付き油圧システムを採用している。
デザインもシルバークラウド時代までの丸みを帯びたエレガントな造形ではなく、モダン性とミニマリズムを意識した堅牢でシンプルなデザインを採用した。この個体はオーナーの意向を受けて日本のスペシャリスト、ワクイ商会がフルレストアした1台で、特にインテリアの復刻にかける情熱が凄まじい。すべて採寸を取り直した完全オーダーメイドで、コノリー社のレザーを贅沢に使用している。
その様は最高級のレザー小物をそのままインテリアにしたような精緻さと上質な風合いをもっている。細くて大きな円を描くクラシカルなステアリングにもレザーが貼りめぐらされていて、まるで「手に触れるところがいちばん大事」と職人が語りかけてくるかのようだ。
エンジンをかけてこのステアリングを握れば、上品なエンジンの鼓動がそのまま伝わってきて掌中に小宇宙が誕生するようだ。この華奢なステアリングで巨体を操作するのには現代のクルマに乗り慣れた我々にはいささか不安にも感じられるのね。走り出せば、その不安は、正確なハンドリングによって解消されアンビバレントな感覚からか、いっそう陶然とさせられる。
モノコック構造で剛性感のあるボディに、静かだけどOHVエンジンらしい鼓動とトルクフルな加速。油圧サーボの効いたディスクブレーキも50年前のクルマとは思えないほどわずかな踏力でしっかり効く。悠然と大海の水面をすべるように走るヨットのような乗り心地。
後部座席に乗ると、張りのあるシートに包み込まれる。シートに座りながら地面と平行移動していたような感覚だけが残る。掌中の小宇宙は自分自身であり、乗り心地そのものでもあったと感じられたんだ。
このシルバーシャドウは本当に美しくて、このまま手入れをしながら、ミュージアムに保存し、後世に残した方が良いかも知れないとも考える。多くの人の目に触れ、自動車の歴史を感じてもらう意義は大きい。けれども運転してみると、クルマはやはり乗ってもらうことを望んでいるのが分かる。レストアによって50年前の意匠は再び輝きを取り戻し、次の50年に向けて時を刻んでいく。そんな一握りのクルマにしか許されない輪廻のような永劫回帰の中で、ハンドルを握る人にクルマは「なぜ自分がここにいるのか」を語りかけてくる。
これは契約のようなものなのだ。ステアリングを握り、アクセルを踏む。ただ1回だけでも契約は成立するし、その重みは乗れば乗るほど重みを増していき、血のように濃く感じられ、やがて離れがたくなるような…… まさに五木ひろしの「契り」ですよ(笑)。レストアという行為は、次の50年を生きてもらうための忠誠の愛に他ならない。所有者からクルマに対する贈り物であり、外せない指輪のようなものかも知れない。
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1972年 ロールスロイス シルバーシャドウ I
Rolls Royce Silver Shadow I 1972
サイズ(全長×全幅×全高):5,170×1,800×1,520mm
排気量:6,747cc
エンジン:V型8気筒OHV
最高出力:Enough
駆動方式:FR(フロントエンジン後輪駆動)
ワクイミュージアム
TEL:0480-65-6847
www.wakuimuseum.com