三国志・呉の豊かさを象徴する、美しきドーム型墓室

  • 解説:市元 塁(東京国立博物館 主任研究員)
  • 写真・文:Pen編集部

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上からの圧力を四方へ流す「四隅券進式」という構造。1984年に安徽省で発見された、呉の貴族・朱然(しゅぜん)の墓も似たドーム型。

2005年に江蘇省南京市郊外で発見された「上坊孫呉墓(じょうぼうそんごぼ)」。呉の墓葬の中でも最大級の規模を誇る墓室建築からは、当時の美意識が感じられる。

建築技術や副葬品の豪華さが、呉の文化を示す。

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墓道から撮影。発見された当時、墓の上には村人の家があったという。地上から墓底まで深さ約5ⅿ。

呉の首都・建業(けんぎょう)、現在の南京市郊外にある上坊孫呉墓(じょうぼうそんごぼ)は、これまで発掘された呉の墓の中でも最大級の規模を誇り、孫氏、あるいは孫氏に近い有力な貴族が葬られていたと考えられている。優美な曲線を描くドーム型の墓室の壁は、磚(せん)と呼ばれる灰色のレンガを積み上げたもの。精緻なつくりと豪華な副葬品は、葬られていた人物の権力の強大さだけではなく、当時の呉の技術力の高さや文化の豊かさをも感じさせる。東京国立博物館主任研究員の市元塁はこの墓室建築の特徴をこう述べる。

「ドーム型の墓は、これまで発見された呉の墓の中でも大変珍しい。河南省安陽市で見つかった曹操の墓は、規模こそ大きいのですが、磚の積み方は単純です。魏ではせいぜい縦と横の組み合わせですが、呉では斜めに積み上げる技術があり、このなんとも言えない丸みを帯びた壁をつくることができました。また墓室の四隅を見ると1号墓(后室)では牛の頭をかたどった巨大な石をガツンとはめていて、これも大変珍しいものです」

副葬品の豪華さも目を引く。曹操の墓は、簡素な薄葬を指示する遺言もあり、出土品を見る限りでは、副葬品は質素。しかし上坊孫呉墓からは、金製の指輪や青磁でつくった筆と書刀などが出土。墓室には、棺を乗せる虎形棺座(とらがたかんざ)も6つ残されていた。誰の墓かという疑問を残しつつも、群雄ひしめく呉において、この墓室に葬られた者が、きわめて有力な権威者だったということは間違いない。

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※この記事はPen2019年8/1号「わかる、三国志。」特集よりPen編集部が再編集した記事です。