この部屋に住んでみて感じた「吉村順三の眼」

  • 文・写真:細谷正人

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吉村順三設計。1964年に建てられた築57年の集合住宅の一室

細谷正人です。今、資本主義のあり方が問われていると同時に、経済成長とともにその役割が変化してきたブランド活動でも「よいブランド」の意味づけが劇的に変化しています。未来の「よいブランド」を考えるためのヒントを探しに、僕自身が日々の暮らしの中で感じたことを綴っていきます。今回は、建築家吉村順三(1908~1997年)のことばについて書いてみたいと思います。

僕がまだ建築学科の学生だった1997年、逝去された日のことをよく覚えています。しかし当時学生の僕は、建築家吉村順三の素晴らしさを完全に理解できずにいたように思います。それから年月が経ち30代後半になった頃、修禅寺の旅館にあるライブラリーで300ページ近い吉村順三の作品集を手に取った時に、改めてその魅力に引き込まれていきました。

そして数年前、縁があり、東京オリンピックのあった1964年に建てられた集合住宅の小さな一室を僕が引き継ぐことになりました。この部屋は大規模リゾート開発の一環で、大型ホテルと同時期に建設された築57年の集合住宅。しかし僕が受け継ぐ時には、経年劣化で部屋だけでなくエントランス部分も無造作にリノベーションされ、壁紙や天井にはビニールクロスが貼られ、細部への気配りのない人工的な改築が施されてしまっている部分がありました。さらに、当時の同時に製作された椅子やコーヒーテーブル、照明器具も残念ながら丁寧に使われていなかったのです。

吉村順三は、1908年(明治41年)生まれで東京美術学校建築科(現東京藝術大学)を卒業後、アントニン・レーモンドの事務所に入所し、独立後小さな住宅から音楽堂、旅館、皇居新宮殿まで、建築の規模、用途にかかわらず住まう人、使う人の居心地の良さを求めつづけた稀有な建築家でした。高度経済成長の真っ只中でも、実直に建築の中に住まう人を考え、生活そのものを考え続け、生活とはその土地に属しているという考えを常に持っていました。吉村順三は実際に部屋をつくるときに自らがそこに座って景色を眺め、気持ちいいと思うかどうか、その点を基準にして、壁や天井を決め設計をしたと言います。住居の設計基準として、必ず自分がそこにいて住みたいと思えるかどうかをもっとも大切にした建築家でした。

吉村順三の自邸「南台の家」(1957年)は、元々、戦後間もない東京の焼け野原に建てられた、和室二間、風呂無しのちいさな建売住宅でした。最初は夫婦ふたりからはじまり、その後家族が成長し何度も増改築を繰り返して、住宅に必要なものを10数年かけて、心地よい住宅に変容させていきました。

自邸を考えるときも、景色の見え方から決められた始点とその始点を中心とした領域を決め、その重心として暖炉を置いています。人はその暖炉に誘われて、ふとその暖炉までたどり着くと、結果的に外部の景色を見渡す位置に立っているということになります。こうした自邸への実験的な取り組みの一つひとつが、他の作品に活かされていきます。吉村順三の建築思想や設計方法について文章で表現したものは少ないのですが、このことばにその心持ちが凝縮されています。

「建築家として、もっともうれしいときは、建築ができ、そこへ人が入って、そこでいい生活がおこなわれているのを見ることである。日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯がついて、一家の楽しそうな生活が感ぜられるとしたら、それが建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか。家をつくることによって、そこに新しい人生、新しい充実した生活がいとなまれるということ、商店ならば新しい繁栄が期待される、そういったものを、建築の上に芸術的に反映させるのが、私は設計の仕事だと思う。つまり計算では出てこない様な人間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、寸法によってあらわすのが、設計というものであって、設計が単なる製図ではないというのは、このことである。」-『朝日ジャーナル』(1965年7月11日号)

僕自身が、この部屋に住んでみて感じたことは、地味であるにもかかわらず、その寸法やディテールの意図を知れば知るほどその思考の奥深さにため息漏らし、次第に生活が整えられていくことです。純粋で、建築家としてのエゴが全く感じられず、ディテールにこだわり、それらを積み重ねた結果、芸術的なものへと昇華させています。

「日本の気持ちから出たものをつくるべきでしょうね。つまり簡素でありながら美しいもの、というものを考えてですね。新しいことは、そのなかで考えて行くべきであって、・・・・自分たちの住んでいる日本の、長年にわたる風土と文化によって培われてきたさまざまな建築から学ぶことが必要なのではないでしょうか。」-『別冊新建築 日本現代建築家シリーズ7 吉村順三』(1983年)


「建築は、はじめに造形があるのではなく、はじめに人間の生活があり、心の豊かさを創り出すものでなければならない。そのために、設計は奇をてらわず、単純明快でなければならない。」-毎日新聞 (1989年1月4日夕刊)

そして、この小さな部屋の中にいると、生活する大切さを教えてもらうことができます。決して大きなことを考えるのではなく、まず身の回りにある風土と文化から自らの行動を考えてみる大切さに気付かされます。さらに、無理なく丁寧に、自分が気持ちよいと思える重心をしっかりと感じさせてくれるのです。1964年、数多くの日本人が贅沢な豊かさに向かっていた裏側で、元来、日本が大切にしていた純粋な豊かさを、1人の建築家は優しくあたたかく、この小さな部屋に残しておいてくれたのではないかと思うのです。

最後に、1979年に出版された『吉村順三のディテール-住宅を矩計で考える』(吉村順三・宮脇壇著 彰国社)の中で、残していたメッセージをご紹介します。改めて、吉村順三がすでに見つめていたものをもっと知りたいという欲求にかられます。

「建築には資源も浪費しないで、できるだけ手間をかけないで、いい結果を得るという原則があると思います。それが、明治から西洋館が入ってきてね、いろんな飾りやなんかの外形的なものばかりを真似ることが建築デザインだと思う様になってきた。その後、日本の生活が豊かになってきてね、むしろ贅沢さみたいなものを楽しむようになっている傾向があるんじゃないか。しかし、日本の大きな歴史から言えば今は特殊時代ではないでしょうか。元来は、やっぱり昔からの、日本のもっている素直さというか、正直さというか、今いった合理性というのが、それが本当で、またいつかはそういう時代に戻ってくるんじゃないかという気がするんだよね。」-『吉村順三のディテール - 住宅を矩計で考える』(1979年)

参考資料:『建築家 吉村順三のことば 100 建築は詩』(永橋爲成監修 2005年 彰国社)、『火と水と木の詩』(吉村順三著 2008年 新潮社)、『匠たちの名旅館』(稲葉なおと著 2013年 集英社)

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細谷正人

バニスター株式会社 代表取締役/ディレクター

NTT、米国系ブランドコンサルティング会社を経て、2008年にバニスター(株)を設立。P&Gや大塚製薬、オムロンなど国内外50社を超える企業や商品のブランド戦略とデザイン、社内啓発まで包括的なブランド構築を行う。著書には『ブランドストーリーは原風景からつくる』『Brand STORY Design ブランドストーリーの創り方』(日経BP)。一般社団法人パイ文化財団代表理事。法政大学大学院デザイン工学研究科兼任講師。

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細谷正人

バニスター株式会社 代表取締役/ディレクター

NTT、米国系ブランドコンサルティング会社を経て、2008年にバニスター(株)を設立。P&Gや大塚製薬、オムロンなど国内外50社を超える企業や商品のブランド戦略とデザイン、社内啓発まで包括的なブランド構築を行う。著書には『ブランドストーリーは原風景からつくる』『Brand STORY Design ブランドストーリーの創り方』(日経BP)。一般社団法人パイ文化財団代表理事。法政大学大学院デザイン工学研究科兼任講師。

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