NYのスニーカー専門エディターが語る、オニツカタイガーが米国に与えた衝撃

  • 文&コーディネート:長谷川安曇
  • 編集:佐野慎悟

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西海岸のショップ「ベイト」とのコラボレーションから生まれた、ブルース・リーへのオマージュモデル「コロラド 85」。ポップカルチャーを反映した一足と言える。

スニーカー専門エディターとして活躍し、NYでは目利きとして知られるブレンダン・ダン。彼が語る、オニツカタイガーが米国にもたらした影響とは?

カルチャー誌「コンプレックス」の編集者として活躍するブレンダン。幼少期からスニーカーに夢中となり、これまでさまざまなモデルを蒐集。現在は毎週配信される「フル・サイズ・ラン」というYouTube番組のホストを務める、生粋のスニーカーマニアだ。

「オニツカタイガーは、1960年代から70年代の五輪開催時に、数多くの特別モデルを発売し、スポーツスニーカー史に名を残すブランドです。レトロという言葉だけでは決して表現できないほど、当時のスポーツパフォーマンスの向上に大きく貢献しました。実は去年、アーカイブを見る機会があり、いかに革新的でユニークなモデルを発売していたかを知りました」と、ブレンダン。

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壁を埋めつくす、自宅のスニーカーコレクションの前で。ブレンダン自身も、何足スニーカーを所有しているか、わからないほど。

また米国のスニーカー史においてもきわめて重要なブランドであると語る。

「50年代当時、ナイキの共同設立者であるフィル・ナイトは、オニツカタイガーの靴が最も高品質であると考え、同社のシューズを西海岸で販売していました。そうした経緯もありナイキにはオニツカのDNAが根づいていると思いますし、そのほかの米国のスニーカーブランドにも、デザインと機能面で多大な影響を与えたと思います」

歴史だけでなく、創業当時から変わらない古きよき佇まいにも目を向けた。

「シンプルさを貫き、スマートなシェイプはモダン。時代に流されず、ブレないモノづくりが魅力です」

細部まで配慮が行き届いた日本が誇る孤高のスニーカーに、本場NYの目利きも魅了されている。

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なめらかなスエードが施されたシックな「コロラド 85 MT サムサラ」。サイドのストライプはパイピングで演出。普段履きとして活躍する一足なのだそう。

ブレンダン・ダン/エディター●アイダホ州出身。オレゴン大学を卒業後、権威あるスニーカー専門のウェブマガジン「スニーカー・ニュース」のライターとしてキャリアを積む。独自の視点から、スニーカーに関する記事を日々発信し、NYのフットウエア業界で有名な存在。

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※この記事はPen 2020年4/15号「オニツカタイガー完全読本。」特集より再編集した記事です。