完成は意外と早かった!? オニツカタイガーのロゴデザインの変遷

  • 写真:加藤佳男
  • 文:小暮昌弘(LOST & FOUND)

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オニツカタイガー創業者・鬼塚喜八郎の卓越した創造性は、生み出された靴だけでなく、会社の経営にも反映された。ここでは知られざるエピソードとともに振り返る。

既に1965年に完成していた!? 印象的なロゴデザインの変遷

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上段左から時計回りに、「KOBE」と入った52年のロゴ。「JAPAN」と変化した55年のロゴ。63年には「TOKYO」と入る。65年と2002年のロゴは現在と同じデザイン。

初代のバスケットボールシューズを発売した頃、鬼塚はシューズにブランド名を付けることを考えた。新鮮で印象に残り、スポーツシューズにふさわしい強さと敏捷性を表すものとして彼が考えたのが「虎印」。しかし「虎印」は既に他の企業が登録していたため、ブランド名は苗字と組み合わせて「オニツカタイガー」とした。鬼塚の“鬼”とアジアで最も強い“虎”を組み合わせると、想像もできないくらい強い動物をイメージさせるという狙いもあった。しかし50年代のシューズを見ると、「ONITUKA'S TIGER」と表記されている。「虎印」の意識がまだ強かったのだろう。日本が国際化を遂げた65年頃からは表記も「ONITSUKA TIGER」と現在と同じに。2002年に復活してからも同じロゴが使われている。

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※この記事はPen 2020年4/15号「オニツカタイガー完全読本」特集より再編集した記事です。