3.11被災地を取材し続けてきた櫻井翔が語る「記憶」とずるさ、喜び。

  • 文:小暮聡子(ニューズウィーク日本版編集部)
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<報道番組『news zero』キャスターとして、東日本大震災から10年、被災地の取材を続けてきた櫻井翔。ニューズウィーク日本版3月16日号「3.11の記憶」特集で初めて1万字の長編ドキュメントを自らつづった櫻井に、なにを聞き伝えていきたいのかを聞いた>


櫻井翔はなぜ、毎年被災地を訪れ人々の声を聞き、伝え続けるのか。キャスターとしての自身の役割をどう捉えてきたのか。ニューズウィーク日本版編集部・小暮聡子が話を聞いた。

3月9日(火)発売のニューズウィーク日本版3月16日号 NEWSWEEK JAPAN

――報道者の中でも、毎年欠かさず現地を訪れ定点観測している人は多くない。『news zero』のキャスターを15年続けてきたなかで、被災地の取材は櫻井さんにとってどのような意味合いを持つのか。

震災以前から僕が今に至るまで取材し続けていることに「戦争の記憶」がある。ずっと、『zero』を通して戦争の記憶を若い人たちに伝えていきたいと思ってきた。キャスターを始めて5年たったときに震災が起きて、これは継続して取材していかなければいけないなと思った。

戦争と震災の記憶は、自分にとって2つの大きなテーマだ。この2つは、伝えるという立場においては、風化させない、忘れないというところが共通すると思っている。


――放送を見ていると、取材をされる側は、櫻井さんだから、櫻井さんが聞いているから心の中を話している、というのがよく分かる。

そういったことで言うと、ある意味僕はずるいんですよ。「嵐・櫻井翔」という人格も半分持ちながら取材するので、心のどこかで、そのことで小さい子供たちが喜んでくれたらいいな、とすら思っているときがある。話を引き出すというよりは、テレビでよく見る人に自分の思いを知ってもらいたい、と思わせるような「装置」を無意識のうちに使っている。

「取材」で被災地に行ったときに、小さい子供たちが「あー! 櫻井君だー!」って言ってほんの少しでも笑顔になってもらえる瞬間というのは確かにあって。そこが、自分にとっても「下駄(げた)」であり、取材という行為と別のことを同時にやろうとしてしまっているというときが、たぶんあるのだと思う。


――画面を通して「伝える」という仕事をどう捉えているか。

報道番組に携わってすぐの頃、アナウンサーの福澤朗さんが言ってくださったのは、キャスターというのは、椅子に付いているキャスターの名のとおりAのことをBのところに運ぶ役割でもある、と。

なので僕は、『zero』月曜キャスターという立場、およびシチュエーションによってはジャニーズ事務所「嵐・櫻井翔」という立場を使って、テレビというメディアを通して、被災地の人たちの思いだったり、時に実態だったり、苦悩だったりが伝わればそれでいいと思っている。自分の主義主張を強く、こうあるべきと言うことの役割よりも、取材相手の思いをより多くの人に拡声器となって伝えていく役割。究極的に言うとそれでしかないと思っている。


――何度か除染作業を手伝うなど、福島に取材に行くことが多いようだ。

もう、役場の人とも仲良くなっちゃって(笑)。取材が終わった後に、役場の人とご飯を食べる店とかも決まってきた。半ば、会いたくて行っているところもある。


――10年間の取材を通して、うれしかったことはあるか。

やっぱり、出会いと、出会った人たちの成長を知るとき。24時間テレビで僕といちばん向き合ってくれた高校生の男の子が、新聞を見ていたら成人式の日に地元で代表の挨拶をしたと知ったときや、除染作業で伺ったお宅の子がご結婚されていたりとか。出会いの分だけ、出会った人たちのその後に明るい未来が待っていた、というのがうれしい。


――10年に際しての率直な思いを。

こんなことを言ったら元も子もないのだろうが、やっぱり、節目も区切りも、きっと当事者にとってはない。9年目や11年目と何ら変わらない10年目だとは思う。僕らの役割としては、変わらず来年も再来年も、伝え続けていくということだけなのかなと思っている。