【Penが選んだ、今月の読むべき1冊】
2003年、アメリカはイギリスとともにイラクへの攻撃を開始して首都バグダード(バグダッド)は陥落。05年になっても、連日のように自爆テロが相次いでいた。
当時のバグダードを舞台にした本書で、著者はイラクの小説家として初めてアラブ小説国際賞を受賞。30カ国で版権が取得され、国際的な文学賞の候補となるなど注目を集めている。
バグダードを舞台に描かれるのは、身近な者の突然の死に慣れることができない住民たちだ。そのひとりが古物商のハーディ。自動車爆弾により仕事上の相棒だったナーヒムを失った。
そして彼はある日、道端にゴミくずのように捨てられていた遺体を拾ってくる。遺体の欠けた部分を他の遺体から継ぎ足し、人間ひとり分の遺体として修復。その遺体は「名無しさん」と呼ばれ、まるでフランケンシュタインのように街を徘徊するようになる。
「名無しさん」は殺人を犯すこともあったが、広い自宅でたったひとり、息子の帰りを待ち続けていたイリーシュワーのもとでは親切に振る舞う。彼女は、1980年代の第一次湾岸戦争で息子が戦死したことを受け入れられず、目の前に現れた「名無しさん」を我が子と勘違いしたのだ。
街を走る韓国KIAのバス、ハーディが買ったギリシャとキプロスで製造されているリキュールのウーゾ……。この小説ではこれまで実情が伝わりにくかったイラクの人々の暮らしぶりが、詳細に描かれている。イリーシュワーが暮らすのは、イラクのユダヤ教徒好みにつくられた立派な家屋だ。占星術への傾倒ぶりも興味深い。
やがてある者はバグダードを去り、ある者はテロによって財産の大半を失う。物語には最後まで不穏な空気が漂ったまま。不気味な「名無しさん」を通じて、市民の心の底に横たわる怒りや悲しみが伝わってくる。