自宅で過ごす時間が長いいま、名作をじっくりと聴いてみるのはどうだろうか。ジョンが残した6枚のオリジナル・アルバムには、その時々の彼の素顔が描かれている。ソロ・デビュー前や没後の作品も含め、時代とともに解説する。
1970年『ジョンの魂』──素顔のジョンの魂の叫びを集めた、初のソロ・デビュー作。
1. マザー(母)/ MOTHER
2. しっかりジョン /HOLD ON
3. 悟り/I FOUND OUT
4. ワーキング・クラス・ヒーロー(労働階級の英雄)/ WORKING CLASS HERO
5. 孤独/ ISOLATION
6. 思い出すんだ/ REMEMBER
7. ラヴ(愛)/ LOVE
8. ウェル・ウェル・ウェル/ WELL WELL WELL
9. ぼくを見て/ LOOK AT ME
10. ゴッド(神)/GOD
11. 母の死/MY MUMMY'S DEAD
ジョンはヨーコとの出会いにより、ビートルズ時代の巨大なパブリック・イメージから解放され自由になった。さらに1970年4月からアーサー・ヤノフ博士による精神療法「プライマル・スクリーム」を受けることで自らの弱さや劣等感やトラウマと向き合い、見栄やプライドを捨て素顔になることで、ありのままの自分を飾らず率直に、赤裸々に表現できるようになった。その成果が本作である。
リンゴ・スターとクラウス・フォアマンという気心の知れた仲間と行ったトリオ演奏を基本とする本作は、極限まで音を削ぎ落とし、ストイックなまでにシンプルかつミニマルなサウンドをもつ。ほとんどエフェクトを施さないナマのままの楽器の音、そして魂を振り絞るように叫び、囁くジョンのボーカルがあまりに生々しい。そこにリスナーは単なる音楽作品というよりも、人間ジョン・レノンの赤裸々な姿を見た。「母さん、行かないで、父さん、戻ってきて」と絶叫する①、自らの出自を歌う④、ピュアで簡潔で美しいラブソング⑦など、むき出しの感情と肉体を突きつけてくるような名曲が並ぶ。極め付きが「キリストを信じない」「ボブ・ディランを信じない」「ビートルズを信じない」と畳み込むように叫び、「僕とヨーコだけを信じる」とそっと歌う⑩。自らが影響を受け人生の大きな部分を占めてきたものを「信じない」とすることで、ヨーコとの出会いで生まれ変わり新しくなった自分を歌うのである。
装飾を排し、本質だけを提示する音と言葉ゆえ、時代に左右されることなく発売後、半世紀が経っても古びることのない不朽の名作。
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1971年『イマジン』──ただ美しく理想主義的なだけではない、ジョン31歳の真実。
1. イマジン/IMAGINE
2. クリップルド・インサイド/CRIPPLED INSIDE
3. ジェラス・ガイ/JEALOUS GUY
4. イッツ・ソー・ハード/IT'S SO HARD
5. 兵隊にはなりたくない/I DON'T WANNA BE A SOLDIER MAMA I DON'T WANNA DIE
6. 真実が欲しい/GIMME SOME TRUTH
7. オー・マイ・ラヴ/OH MY LOVE
8. ハウ・ドゥ・ユー・スリープ(眠れるかい?)/ HOW DO YOU SLEEP?
9. ハウ?/HOW?
10. オー・ヨーコ/OH YOKO!
ジョンは前作からわずか半年後の71年6月から、本作のレコーディングを開始。ロンドン郊外のアスコットの田園地帯にあったティッテンハースト・パークの自宅スタジオで録音された。このときの模様はいくつかの映像作品に記録されているが、田舎の一軒家でのレコーディングは終始穏やかなアットホームな雰囲気で進められ、クラウス・フォアマン、アラン・ホワイト、ニッキー・ホプキンス、ジム・ゴードンなど馴染みのミュージシャンにジョージ・ハリスンなども加わり、賑やかかつ親密な制作態勢で行われた。ジョンは前作がリアル過ぎて人々には受け入れられにくかったと考え、メッセージは同じでも耳当たりのよいものに仕上げることを意識したという。
いまやスタンダードともいえる表題曲①はジョンの理想主義的な側面がよく表れているが、同時に、国も宗教も争いごともない世界を想像してごらんとする歌詞は、言い方が穏やかなアナーキズムともいえ、過激なメッセージソングでもある。本作に先駆けて発表されたシングル「パワー・トゥ・ザ・ピープル」はより明確で直接的な政治的メッセージを掲げたパワフルな曲だったが、本作には収録されていない。その代わりに徹底的に反戦を歌った⑤や、「頭のおかしい政治家なんていらない、真実が欲しい」と繰り返す⑥のようなヘビーな曲が収められた。③や⑦のようなメロディアスで美しい楽曲もある一方、ポールを徹底的にこきおろした⑧のような、皮肉屋で毒舌家のジョンの真骨頂といえる曲もある。ただ美しく理想主義的なだけではない。そこにこのアルバムの価値はある。
本作は英米日でいずれもアルバム・チャート1位を記録するなど、ジョンの意図通り広く受け入れられた。12月にはクリスマスソングの定番ともなった美しい反戦歌「ハッピー・クリスマス(戦争は終った)」もシングルリリースされ、実り多い71年が幕を閉じた。
1972年『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』──怒れるジョンとヨーコの、エネルギッシュな闘争宣言集。
[DISC 1]
1. 女は世界の奴隷か!/WOMAN IS THE NIGGER OF THE WORLD
2. シスターズ・オー・シスターズ/SISTERS, O SISTERS
3. アッティカ・ステート/ATTICA STATE
4. ボーン・イン・ア・プリズン/BORN IN A PRISON
5. ニューヨーク・シティ/NEW YORK CITY
6. 血まみれの日曜日/SUNDAY BLOODY SUNDAY
7. ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ/THE LUCK OF THE IRISH
8. ジョン・シンクレア/JOHN SINCLAIR
9. アンジェラ/ ANGELA
10. ウィアー・オール・ウォーター/WE'RE ALL WATER
[DISC 2]
1. コールド・ターキー(冷たい七面鳥)/COLD TURKEY
2. ドント・ウォリー・キョーコ(京子ちゃん心配しないで)/DON'T WORRY KYOKO
3. ウェル(ベイビー・プリーズ・ドント・ゴー)/WELL (BABY PLEASE DON'T GO)
4. ジャムラグ/JAMRAG
5. スカンバッグ/SCUMBAG
6. オー/AU
1971年9月、ジョンとヨーコはイギリスを去り、米ニューヨーク(NY)に移住。以後ジョンは生涯をNYで過ごすことになる。そこではボブ・ディランと交流したりヒッピーたちと遊ぶなど開放的な雰囲気を満喫したが、その一方でイギリスの対北アイルランド政策に怒り、アメリカのベトナム北爆を非難する演説を行った。不当に投獄された反戦作家ジョン・シンクレアの解放運動にかかわり、ジェリー・ルービンなど左翼の活動家たちと活動をともにすることも多くなっていた。こうしたジョンの行動に神経を尖らせたのが、ニクソン政権下のアメリカ国家だった。ジョンの影響力を憂慮した出入国管理局は、68年にジョンが麻薬所持で有罪になっていることを理由に、彼を国外に追放しようとした。ここからジョンとアメリカの長い闘いが始まった。72年に発表された本作は、そんな闘争モードに入ったジョンの状況を反映している。
スタジオ録音(DISC1)とライブ盤(DISC2)の2枚組で、DISC1はフィル・スペクターのプロデュース。女性の地位向上を訴え、男性の自覚を促そうとする①が代表曲で、フィルらしい分厚く迫力のある、しかしポップなサウンドが効果的。当時重大な人権侵害として大きな問題となったアッティカ刑務所の事件に基づき、「すべての罪人を解放せよ」と歌われる③、移民局との闘争を宣言する⑤、北アイルランド紛争に言及した⑥⑦、黒人女性活動家アンジェラ・デイヴィスを支援する⑨など、どの曲も直接的に時事問題に言及しており、演奏もエネルギッシュで力強い。
DISC2はロンドンとNYでのライブ・ジャムを収録したもので、エリック・クラプトンやジョージ・ハリスン、フランク・ザッパらと共演している。
新聞形式のジャケットにニクソンと毛沢東が裸踊りするコラージュ写真を使うなど、非常に政治的でありながらもユーモアとウィットを忘れない一作だ。
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1973年『マインド・ゲームス(ヌートピア宣言)』──米国永住権をめぐる闘いの最中に生まれた、架空の理想国家。
1. マインド・ゲームス/MIND GAMES
2. タイト・A$/TIGHT A$
3. あいすません/AISUMASEN (I'M SORRY)
4. ワン・デイ/ONE DAY (AT A TIME)
5. ブリング・オン・ザ・ルーシー/BRING ON THE LUCIE (FREDA PEEPLE)
6. ヌートピアン・インターナショナル・アンセム(ヌートピア国際讃歌)/NUTOPIAN INTERNATIONAL ANTHEM
7. インテューイション/INTUITION
8. アウト・ザ・ブルー/OUT THE BLUE
9. オンリー・ピープル/ONLY PEOPLE
10. アイ・ノウ/I KNOW (I KNOW)
11. ユー・アー・ヒア/YOU ARE HERE
12. ミート・シティ/MEAT CITY
ジョンと出入国管理局とのアメリカ永住権をめぐる闘争は、73年になってもまだ続いていた。そんな最中に録音され11月にリリースされたのが本作である。プロデュースはジョンがひとりで手がけている。
自宅の電話の盗聴や尾行も行われ、ジョンはアメリカ国家の監視下に置かれていた。そうした状況は、ジョンに国家、国境、法律といった事柄について深く考えさせることになった。その結果が、本作のインナー・スリーブに記された「ヌートピア宣言」だった。領土、旅券、法律などを一切もたない架空の理想国家誕生の宣言。現実の国家や国境の制約によって苦しめられていたジョンにとって、これは夢物語ではなく、リアルで切実な叫びだったのである。その意思表示として、6秒間の無音の楽曲⑥を収録。「その間に好きな曲をかければ、それがヌートピアの国歌になる」という、ジョン・ケージの「4分33秒」を思わせる、一種のコンセプチュアル・アートである。ヨーコのアイデアもあったはず。この時期多大なストレスを抱えていたジョンは、家庭内でヨーコに当たり散らすこともあったのだろう。ヨーコに向けて謝罪する③や⑩といった曲もある。飾らず率直な人柄を物語っている。
表題曲①の「愛は花だ/“YES”が答えだ」という一節は、ジョンとヨーコのインディカ画廊での出会いを思わせるポジティブなメッセージで、「イマジン」の思想をより具体的に発展させたものといえる。音楽的にも当時はまだ一部にしか知られていなかったレゲエのリズムを取り入れることで瑞々しくポップな側面を打ち出している。「人民を解放せよ」と歌われる⑤や、「パワー・トゥ・ザ・ピープル」に匹敵するメッセージ・ソング⑨も、ポップな曲調にすることで受け入れられやすいものになっている。
NYの一流セッション・ミュージシャンを使ったサウンドも充実している、ジョン中期の傑作のひとつ。
1974年『心の壁、愛の橋』── “失われた週末”から生まれた、人間臭く痛みに満ちた作品。
1. 愛を生きぬこう/GOING DOWN ON LOVE
2. 真夜中を突っ走れ/WHATEVER GETS YOU THRU THE NIGHT
3. 枯れた道/OLD DIRT ROAD
4. ホワット・ユー・ガット/WHAT YOU GOT
5. 果てしなき愛(ブレッス・ユー)/BLESS YOU
6. 心のしとねは何処/SCARED
7. 夢の夢/#9 DREAM
8. 予期せぬ驚き/SURPRISE SURPRISE (SWEET BIRD OF PARADOX)
9. 鋼のように、ガラスの如く/STEEL AND GLASS
10. ビーフ・ジャーキー/BEEF JERKY
11. 愛の不毛/NOBODY LOVES YOU (WHEN YOU'RE DOWN AND OUT)
12. ヤ・ヤ/YA YA
『マインド・ゲームス(ヌートピア宣言)』が発表される前の1973年10月にジョンはヨーコと別居し、秘書のメイ・パンとともにニューヨークを離れ、ロサンゼルス(LA)に居を移した。いわゆる“失われた週末”の始まりである。本作はその最中につくられたアルバムだ。
LAでジョンはヨーコがいない寂しさを紛らわせるため、フィル・スペクターやリンゴ・スター、ハリー・ニルソンやキース・ムーンといった悪友たちと酒浸りの自堕落な生活を送った。ジョンは何度もヨーコのもとに戻ろうとしたが、そのつど拒否されたという。
本作はそんな荒れた状態にあったジョンの、弱さ、ダメさ、情けなさ、もろさがあからさまに露呈しているアルバムだ。ここには「イマジン」を歌った理想主義者としてのジョンも、『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』でパワフルなメッセージを歌った政治的闘士としてのジョンもいない。恥も外聞もなく、ヨーコにすがり、愛を告白し、寂しさを隠さず、孤独を恐れ、戻ってきてくれと懇願している。『ジョンの魂』とは違う意味で人間臭く、痛みに満ちているのだ。
シングルカットされた②では、エルトン・ジョンとのデュエットが実現。「この曲はNo.1になる」とエルトンは断言し、もしそうなったら自分のコンサートに飛び入りしてくれとジョンに申し出る。結果はソロとして初の全米チャート1位を獲得する大ヒットに。ジョンは約束を守り、エルトンのマディソン・スクエア・ガーデンでのライブに出演した。そのバックステージでヨーコと再会。その後すぐジョンはニューヨークのヨーコのもとに戻る。まもなくヨーコは妊娠し、75年10月にふたりの初めての子ども、ショーンを授かる。
こうして“失われた週末”は終わった。76年7月、ついに米国永住権を獲得したジョンは、子育てのための4年間の主夫生活に入る。4年間の闘争から心穏やかないち市民としての生活への橋渡しとなった作品。
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1980年『ダブル・ファンタジー』──新境地に達したジョンの、豊かで滋味深い最後のメッセージ
1. スターティング・オーヴァー/ (JUST LIKE) STARTING OVER
2. キス・キス・キス /KISS KISS KISS
3. クリーンアップ・タイム/CLEANUP TIME
4. ギヴ・ミー・サムシング/GIVE ME SOMETHING
5. アイム・ルージング・ユー/I'M LOSING YOU
6. アイム・ムーヴィング・オン/I'M MOVING ON
7. ビューティフル・ボーイ/BEAUTIFUL BOY (DARLING BOY)
8. ウォッチング・ザ・ホイールズ/WATCHING THE WHEELS
9. あなたのエンジェル/YES, I'M YOUR ANGEL
10. ウーマン/WOMAN
11. ビューティフル・ボーイズ/BEAUTIFUL BOYS
12. 愛するヨーコ/DEAR YOKO
13. 男は誰もが/EVERY MAN HAS A WOMAN WHO LOVES HIM
14. ハード・タイムス・アー・オーヴァー/HARD TIMES ARE OVER
ジョンは息子ショーンが5歳になるまで面倒を見ると決めていたが、息子がその年になったことで自分の音楽生活に戻りたいと思っていた。ブランクはあったが主夫生活中も常に曲はつくっていた。また当時、音楽シーンを席巻していたニュー・ウェイブ・ムーブメントから出てきたグループ、The B-52'sを聴いて、「これはヨーコが昔やっていたことと同じではないか」と思ったこともひとつのきっかけだった。70年代であれば前衛的すぎて理解されなかったヨーコの表現が、いまなら受け入れられるのではないかと考えたのだ。
80年8月、ニューヨークのヒット・ファクトリー・スタジオでついに新作アルバムのレコーディングを開始。11月に本作をリリースする。
レコーディングにはアンディ・ニューマークやアール・スリック、トニー・レヴィンなどの腕利きが呼ばれ、共同プロデューサーにはエアロスミスやチープ・トリックを手がけたジャック・ダグラスが抜擢された。ジャケット写真の撮影は篠山紀信である。
本作はジョンとヨーコのボーカル曲が交互に登場し、ふたりが会話を交わしているような構成で進行する。ジョンは比較的穏やかでメロディアスな曲が多く、ヨーコは攻撃的で実験的な曲が多いという違いはあるが、ふたりで息子ショーンとともに過ごした5年間の日々を表すような豊かで滋味深い楽曲が並ぶ。ジョンが主夫と子育てを、ヨーコがビジネスを担当するという、それまでの常識とは逆の男女の役割を演じることで、ふたりはお互いの立場や気持ちをより深く理解し、真の意味で平等で開かれた境地に達していたのである。ジョンがヨーコに呼びかけるオールディーズ調の①、ビートルズ時代の「ガール」の80年版だとジョン自らがいう⑩など、名曲も収録。ここからふたりの、そしてジョンの新たなキャリアが始まるはずだった。80年12月8日、ジョンが凶弾に倒れるまでは。
こちらの記事は、Pen 2020年02月01日号「ジョン・レノンを語れ!」特集からの抜粋です。