日本の戦後を代表する写真家のひとり、東松照明の「太陽の鉛筆」展を見逃すな。

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    波照間島 1971年撮影 ©Shomei Tomatsu - INTERFACE

    日本を代表する写真家であった東松照明が亡くなってから、早くも4年目になろうとしています。東松の評価は、戦後の数々の傑作や、晩年の東南アジアなど南方文化圏を捉えた写真をはじめとして、ますます高まっています。その東松の代表作といわれる沖縄を撮った『太陽の鉛筆』の中から、約50点を展示する展覧会が開かれています。

    彼の歩んだ軌跡を振り返ると、東松が「戦後」を代表する写真家と語られる理由が分かります。1930年(昭和5年)名古屋市に生まれた東松照明は愛知大学を卒業後、岩波写真文庫のスタッフを経てフリーランスとなります。59年写真家集団「VIVO」を川田喜久治、佐藤明、丹野章、奈良原一高、細江英公らと結成。その後、「米軍基地」や、被爆した「長崎」、「沖縄」をテーマにした作品をはじめ数多くの写真群を発表しました。日本の戦後史を「アメリカニゼーション」と語った東松は、戦後の状況を鮮烈な写真で表現し、日本の写真界の中心的な存在となっていきました。

    沖縄の傾いた水平線上にぽっかりと浮かぶ白い雲を捉えた「波照間島 1971」をはじめ、彼の『太陽の鉛筆』には、占領下にありながら、占領されざる沖縄の歴史と自然、そして南方の島々に生きる人々が捉えられているのです。そうした彼の視線は「日本」という境界さえ超えていくように感じられます。

    フィリピン サンボアンガ 1973年撮影 ©Shomei Tomatsu - INTERFACE

    サイゴン 1973年撮影 ©Shomei Tomatsu - INTERFACE

    テーマ主義ではない、街歩きから生まれた写真。

    宮古島 1971-74年撮影 ©Shomei Tomatsu - INTERFACE

    数年前、雑誌「Pen」の取材で、沖縄・那覇市の国際通りの裏手にある東松宅を訪ねたとき、デジタルカメラでカラーの作品を撮っていた彼の仕事部屋には、パソコンやプリンター、スキャナーなどが整然と並んでいました。

    沖縄に住んでいることや、これまでの作品のテーマについて質問すると、彼は言いました。

    「何故、沖縄に住んでいるかとよく聞かれます。僕は自分のことを“流浪の民”と言っているんですが、ひとつの場所に定住して生活する農耕民族のようなタイプじゃないんです。狩猟民族のように移動しながら、あらゆる国境を超えて生きるようなタイプの人間です。

    僕の写真を撮るスタンスは、テーマ主義ではないんですよ。ほとんどが街歩きから生まれた写真です。うろうろと街なかを歩くのが好きで、山よりは海が好きで、植物も大好きです。沖縄は亜熱帯だから、植物が豊富で魅せられる。ぶらぶらと街を歩いて、撮りたいものに出会ったときにさっと撮る。そういうスタイルです。歩くのは近所が多いから、結局、行動範囲を変えないと飽きがくるんです」

    彼が近作として見せてくれたのは、那覇の裏通りの風景を撮ったスナップショットで「なんくるないさ」という写真でした。鮮やかな色彩と明暗のコントラストを見せる写真は、モノクロームからカラーへ、アナログからデジタルへと軽やかに移行した、東松のフットワークの現在進行形でした。「なんくるないさ」とは沖縄の言葉で「なんとかなるさ」という意味だと、彼は教えてくれました。

    明るく屈託のない笑顔と、同時に油断と隙を見せない目。その目で東松は、一筋縄ではいかない戦後の日本の現実に向かって、何度もシャッターを切ったのです。『太陽の鉛筆』は、そうした東松のエッセンスともいえる作品であり、今回の展示はそれを再認識させてくれるものです。また今回の展覧会に合わせて、『太陽の鉛筆1975』と『太陽の鉛筆2015』の2冊1組の『新編 太陽の鉛筆』が赤々舎から出版されました。この写真集は改めてきちんと書評されるべきものだと思います。(赤坂英人)

    西表島 1972年撮影 ©Shomei Tomatsu - INTERFACE

    新城島 1972年撮影 ©Shomei Tomatsu - INTERFACE

    東松照明 「太陽の鉛筆」
    開催期間:2015年12月11日(金)~ 2016年1月24日(日)
    会場:AKIO NAGASAWA GALLERY
    東京都中央区銀座4-9-5 銀昭ビル6F
    TEL:03-6264-3670
    開廊時間:11時~19時
    www.akionagasawa.com

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