映画『エヴァの告白』に思う、「これ」は罪なのか否か?

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    正しく生きるということは、どういうことなのでしょうか? 正しく生きていたら死んでしまうというような否応ない状況の中で、正しくいることを諦めた場合、それは罪なのでしょうか? たとえそれが人を傷つけるものでなくとも、逆に自分を傷つけるだけのものでも、それでも人はその選択を咎められなければならないのでしょうか? 
    『エヴァの告白』は、1921年、戦火のポーランドからアメリカへと移住してきた女性エヴァの身に起こった出来事を綴ります。敬虔なクリスチャンであった彼女は、死から逃れ、家族を守るために、美しいその身体を代償としてささげます。お金も権力も身寄りもない。そんな彼女に唯一あるものは身体だけだったからです。しかし、まわりは彼女の「一番最初の」行動を許しません。たった一滴の“汚れ”は、あっと言うまに彼女の身体じゅうに広がってこびりつき、離してはくれません。
    物語には、そんな彼女を愛するダメ男たちが登場しますが、彼らは聖女のような正しい心を持ち続ける彼女を救う白馬の王子とはほど遠く、ラストシーンはエヴァの人生の痛みがひしひしと、凍えるように伝わってきます。もしもエヴァが男だったら、彼女の人生はどうなっていたのでしょうか? 何事もなく暮らすことができたのか? はたまた戦火に飛び込む戦士となって命を散らしていたのかもしれません。女でいることが悲劇なのか、それとも救いなのか、それはわかりませんが、このような出来事がいまも、そして歴史のどのシーンでも、消えることがないということは事実です。(Pen編集部)

    『エヴァの告白』

    製作・脚本・監督:ジェームズ・グレイ
    出演:マリオン・コティヤール、ホアキン・フェニックス
    2014年 アメリカ・フランス映画 1時間58分
    配給:ギャガ
    2月14日よりTOHOシネマズ シャンテ、新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー