「世界一のアートブックショップ」と多くの人が評価する書店が、ドイツのケルンにあるBuchhandlung Walther Königです。1969年にWalther König（ヴァルター・ケーニッヒ）氏が創業、ヨーロッパでアートに携わる人であれば誰もが知っている書店で、ヨーロッパに買い付けに行き始めた頃、「買い付けで行くのにお薦めは？」と尋ねると、誰もが必ず名前を挙げるのがこの書店でした。店頭に並ぶ書籍群は現代美術の歴史に欠かせない作家から今日の最先端シーンに至るまでを網羅し、店内も凛とした雰囲気で、心地よい緊張感のある空間です。

書店に加えてヴァルター・ケーニッヒは出版も手がけています。ヴァルター氏は書店をオープンした直後から出版をスタート、現在までに約2,500冊以上を出版しています。編集・ブックデザインの優れた本が多く、以前に紹介したABRAMS（エイブラムス）同様、古書の仕入れ中に目にする本の中でも強く印象に残っていました。エイブラムスの出版物が作家のキャリアを網羅するような資料性に優れていたのに対し、ヴァルター・ケーニッヒの出版物はコンセプトや作品性を体現しているアーティストブックとして目を見張るものがあり、一冊の本を作る制作過程でSteidl（シュタイデル）社と同様に、アーティストとの深い関係性を大事にしているのがうかがい知れます。クリスチャン・ボルタンスキーやウォルフガング・ティルマンス、ギルバート＆ジョージといった錚々たる作家が継続してこの出版社から本を出している事実は、長い時間をかけて育まれたアーティストと出版社との強い絆を象徴するものでしょう。現代のドイツを代表するアーティスト、ゲルハルト・リヒターもヴァルター・ケーニッヒと長きにわたってパートナーシップを築いている一人です。

ゲルハルト・リヒターはアーティストとして活動を始めた初期からアーティストブックを積極的に出版しています。1966年に出版したジグマー・ポルケとの共著を最初のアーティストブックとして、現在に至るまでに33タイトルを制作してきましたが、ヴァルター・ケーニッヒから初のアーティストブックを出版したのが1998年でした。その後に発表したアーティストブック19冊のうち、14冊がヴァルター・ケーニッヒから刊行されていことに両者の深い関係性がよく表れています。
この本は2015年に出版された「Atlas」と題された本です。リヒターが収集した新聞の切り抜きやスケッチ、展示プランやダミーブックの複写まで、1963年から2013年まで50年間の軌跡がまとめられたこの本は、リヒターの活動の全貌が俯瞰できる資料性の高さに加え、作品が生まれる前のコンセプトが凝縮されたアーティストブックとしての側面も兼ね備えています。また、この本の最大の特徴はサイズです。長辺が50センチを超える規格外の判型は、この書物自体が彫刻作品のような物質性を備えています。単なるアーカイブとしての機能だけでなく、アーティストブックとしての性質も備えたこの本は、ヴァルター・ケーニッヒの出版に対する姿勢をそのまま形にしたような一冊です。

ヴァルター・ケーニッヒが世界一と呼ばれるのは、アーティストとの深い関係から生まれる出版機能と、優れた書店機能の両立があっての評価です。書店としてはドイツ国内に数十の直営店を構える以外に、ヨーロッパの主要な現代美術館のミュージアムショップも手がけます。また、ドクメンタやビエンナーレといった国際芸術祭で設けられる特設ブックショップの多くはヴァルター・ケーニッヒによるものです。彼らの存在なくしてはヨーロッパのアートブックシーンが成り立たない、と言っても過言ではないほど大きな役割を担っている彼らですが、確立したポジションにとどまることなく、新しい活動にも積極的に関わっています。
出版社の単位で本を紹介するPOSTを始めると決めた2011年、いちばん最初に特集をしたいと思ったのがヴァルター・ケーニッヒでした。まだオープンもしていない日本の小さな書店からの企画に対して賛同してくれ、すぐに協力をしてくれる真摯な姿勢に触れた時、彼らが世界中から信頼されている証しを垣間みた気がしました。また、彼らが最初に協力してくれたことが対外的な信頼につながり、その後の出版社との交渉がスムーズに進むきっかけをつくってくれました。出版社として書店として、ヴァルター・ケーニッヒは常に偉大な存在であり続けています。