熟練編集者の物欲クロニクル
「トッズ」との出合いはイタリアのシチリア島。1988年の12月でした。同じ年に公開された映画『グラン・ブルー』で観た景色に誘われてシチリア島まで撮影に出かけましたが、トラブルの連続。ロケハンまでは日光浴できそうな気候でしたが、撮影当日は雨から雪に。撮影2日目の朝になると、宿泊していたタオルミーナという町は一面の雪。この町で12月に雪が降るのは25年ぶりで、『グラン・ブルー』を撮った海岸まで雪が降るのは50年ぶりとのことでした。しかしタオルミーナはシチリア島でも高地にあり、遠方を見ると空から日が差し込んでいると思われる場所があります。そこまで行けば撮影ができると、毎朝、スタッフと数時間かけロケ場所に出かけるシチリアの日々が続きました。
スエードのブーツで、雪混じりの田畑に。
シチリアにあるカターニアという港町の郊外で撮影している時に、長髪の若いファッションモデル、フランチェスコが私物で履いていたのがトッズのブーツです。茶色のスエードの6インチぐらいのモデル。親から譲り受けた「ロレックス デイトナ」をしているようなお洒落なフランチェスコでしたが、スエードのブーツなのに、そのまま雪混じりで泥だらけの畑に入っていくのです。「その靴、スエードでしょ」と注意をするように指さすと、「コイツはすごく丈夫なんだよ。へっちゃら、へっちゃら」と彼。すでにブーツのアッパーは泥にまみれています。そこまで言うならばと撮影を続けましたが、数時間後、彼のブーツを見るともう泥は乾いていて、手で泥をはらいながら、「ほらね」と私に元通りになったブーツを見せてくれました。それまでスエードはデリケートと決めつけ、雨の日には履かないようにしていましたし、雪道を歩くなんて考えもしませんでした。それが、トッズのブーツはまるでワークブーツのように丈夫なんです。衝撃を受けました。
イタリアでは、スーツにもこの靴を履いていた。
トッズというと「ゴンミーニ」というモデルがいちばん有名です。1枚革のモカシンタイプで、靴底に100個以上の「ラバーペブル」というゴムの突起が付いた、いかにもイタリア的な靴です。「これで丈夫?」と思われる方もいらっしゃるでしょうが、フランチェスコが履いていたのは「ウィンターゴンミーニ」というモデルです。トッズの冬の定番靴で、ラバーペブルが付いたソールはアッパーまで回りこむように縫い付けられています。よくトッズの靴は手袋のような履き心地といいますが、このモデルは履きやすい上に丈夫なのです。トッズの素晴らしさを間近で体験したのはこの時でしたが、それより半年前に初めて訪れたフィレンツェで取材、いや写真だけは撮っていました。メンズショップの取材で、ガラスケースの上にソールを見せるように展示されていたのがトッズのブーツ、その時はまだ『J.P.トッズ』というブランド名でしたが、「コイツは見たことがない。面白い靴」とカメラマンにお願いして撮ってもらい、誌面で紹介したのです。後で自分が書いたページを見ていてそれに気付きました。いまでこそ、ドレスシューズにスニーカーのようなソールが付いたハイブリッド的な靴がいろいろと出ていますが、トッズはその先駆けとなった靴です。イタリアンダンディー、フィアットの総帥故ジャンニ・アニェッリは、スーツにもこの靴を履いていました。その「ハズシ」の感覚がすごく洒落て見えました。当時からイタリアでは大ヒットしていて、ミラノのスピガ通りにあったショップは、なかなか靴が買えないほど大混雑する人気店でした。その後、トッズは世界的にも人気を集め、ラグジュアリーブランドへと成長していったのはみなさんも知る通りです。
靴底のラバーペブルがなくなるくらい愛用。
1足目のトッズは、タオルミーナにあった小さな靴屋で買い求めたものです。当時からシチリアでも売られているほどイタリアでは人気だったのですね。この時はフランチェスコと同じモデルを買いましたが、その後、ミラノでウィンターゴンミーニのローファータイプを数足買いました。私がローファー好きということもあって、こちらの靴のほうがヘビーローテーションに。ほとんどラベーペブルがなくなるくらい履きつぶしましたが、それでも滑りやすくなることもありませんし、たいした手入れもしないのにアッパーもきれいなままでした。写真のトッズは購入してからもう28年も経ちますが、こちらは酷使しなかったので、まだまだ現役で履けます。素晴らしいことに、トッズはいまでも冬になるとウィンターゴンミーニをリリースしますが、どうしてもこの靴を見ると、シチリアの美しい景色と、ちょっとだけ辛かったイタリアロケを思い出してしまうのです。