野性とのびやかな表現で、ダンスの新分野を拓く。

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    Creator’s file

    アイデアの扉
    笠井爾示(MILD)・写真
    photograph by Chikashi Kasai
    住吉智恵・文
    text by Chie Sumiyoshi

    野性とのびやかな表現で、ダンスの新分野を拓く。

    島地保武Yasutake Shimaji
    ダンサー/振付家
    ●1978年、長野県生まれ。日本大学芸術学部卒業。2004~06年ノイズム、06年よりザ・フォーサイス・カンパニーに在籍。12年セルリアンタワー能楽堂で『藪の中』発表。本年より、日本を拠点にソロプロジェクトや酒井はなとのユニット・アルトノイで活動開始。資生堂第七次椿会に参加。

    欧米発祥の舞踊文化であるコンテンポラリーダンス。現在日本でも、最もリアルに時代を映す身体表現として注目を集める。その世界最前線に立つダンサー島地保武が今夏帰国し、拠点を日本に移した。先頃解散を表明したウィリアム・フォーサイス率いるザ・フォーサイス・カンパニー(ドイツ)に9年間在籍、中心的メンバーとして活躍した。
    「ちょうどアジアの身体が必要とされていたタイミングで、飛び入りでオーディションを受け、即戦力で入りました。ほとんど新作の連続で、朝から晩までクリエイションの日々を経験できたことは、僕にとって大きなプレゼントでした」

    中2の頃、TV番組『ダンス甲子園』の影響で踊り始めた。
    「ストリートダンスはスクールで習うものじゃないので、とにかく何度もビデオを観てLLブラザーズを真似しました。でも高校では空手部に入って変な型をつくったり、大学ではワンダーフォーゲル部で自然の中に身を置いたり、とにかく身体を動かしたかった。クラブから屋久杉の根元まで、どこでも踊る変な人だったと思います」 

    バレエ団のレッスンにも通うが、「行く途中でお腹が痛くなって遅刻するわ、楽屋で寝てしまって怒られるわで、卒業と同時に辞めました。王子になりそこねました」と語る。やがて山崎広太ら当時の先駆者たちの数々の作品に参加し、2004年から2年間は金森穣率いるNoism(ノイズム)で腕を磨く。その後、海外への転機が訪れた。カンパニー在籍中も、自身の創作活動とワークショップを続け、その時の多くの出会いが独立後のいま生きているという。
    「いつも新しいことをしたいと、うずうずしていました。いちばん面白い時代にクラブカルチャーに触れたこともあり、ヒップホップや演劇など、さまざまな分野のアーティストと感覚を共有し合えるようなカンパニーをもちたいと考えるようになったんです」 

    公私ともにパートナーであるバレエダンサー酒井はなとのユニットAltneu(アルトノイ)やソロプロジェクト立ち上げ、資生堂ギャラリー「椿会」への舞踊家として初の参加。さらに能楽堂や美術館での作品発表と、新たなチャンスが矢継ぎ早に続く。野性を感じさせる、瞬発力に富む即興的アイデアとのびやかな表現力に恵まれた身体が、ダンスを本気で遊び倒してくれることを期待したい。

    works

    アルトノイ『3月のトリオ』。酒井はなとのユニットでは、ときにユーモアを感じさせる絶妙の呼吸で、人間同士の距離感を表現。撮影:瀬戸秀美

    4/22〜24、愛知県芸術劇場小ホールにて、島地保武×環ROYで新作公演も予定されている。
    撮影:安珠

    ※Pen本誌より転載