『JR上野駅公園口』から見える、文化の分断・交流する上野駅。【速水健朗の文化的東京案内。上野篇①】

  • 文:速水健朗
  • 写真:安川結子 

Share:

  • Line

"スクラップ・アンド・ビルド"を繰り返す東京の街の歴史を、ライターの速水健朗さんが案内。過去のドラマや映画、小説などを通し、埋もれた風景を掘り起こす。約1年ぶりとなる今回は上野エリア。多様な文化が混じり合うこの地は、どのような変遷をたどってきたのだろうか。

速水健朗(はやみず・けんろう)●1973年、石川県生まれ。ライター、編集者。文学から映画、都市論、メディア論、ショッピングモール研究など幅広く論じる。著書に『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』などがある。

戦後の闇市の匂いを残したアメ横が存在する一方、上野公園には数多の美術館が立ち並ぶなど、異なる顔をもつ街、上野。駅の周辺を散策した速水さんは、アメ横側と公園側に見える分断について考察。さらに上野が歴史的に担ってきた役割、東北とのつながり、独特な駅の構造などを、ふたつの小説を引き合いに出しながら語ってくれた。

アメ横側と上野公園側、それぞれの異なる風景に見る歴史とは?

印象派の絵画およびロダンの彫刻を中心とするフランス美術コレクションを基礎に1959年に建てられた国立西洋美術館。現在、館内施設整備のため休館中。
1877年に創立された、自然史・科学技術史に関する国立の唯一の総合科学博物館。展示内容の動画やVR配信も最近スタートした。

上野のアメ横は、いまも戦後の闇市の面影を残している。一方の上野公園には、美術館、博物館、図書館など、明治大正期から存在するものもある。上野は、昭和(戦後)、大正、明治と3つの時代の姿をとどめているのだ。

上野駅公園口から出ると、東京文化会館(1961年)や国立西洋美術館(1959年)、国立科学博物館(1877年)、上野の森美術館(1972年)、東京都美術館(1926年)、東京藝術大学(赤レンガ1号館は1880年、2号館が1886年、音楽学部正門は1914年)、東京国立博物館(本館は1937年、表慶館は1909年)、さらに奥には、国際子ども図書館(1906年完成の帝国図書館をリニューアル)と、威風堂々とした西洋建築が距離を保ちながら立ち並ぶ。昨今の上野の美術館は、若冲展やフェルメール展など新聞社やテレビ局らが主催する大規模美術展のたびに大行列ができて話題になっている。

アメ横センタービルの地下食品街。タイやインド、ベトナム、中国などアジア各国のハーブやスパイス、調味料、野菜などの他、鮮魚なども販売している。
馬もつの煮込みを売りにした1950年創業の上野の名店、もつ焼 大統領。昔ながらの雰囲気で気軽に入ることができる。

一方、アメ横は上野駅の広小路口から御徒町駅の間を結ぶ商店街。スポーツ用品や輸入衣類、生鮮と、さまざまな商品を販売する。アメ横センタービルの地下に入っている「アメ横地下食品街」は、アジア各国のスパイスや鮮魚などが所狭しと揃えられた、いまのアメ横のエスニックな部分を代表した名所。そして上野は、午前中から酒を飲みたい人の天国でもある。ろばた焼き屋が軒を連ねる一画があり、朝から飲める「もつ焼 大統領」は、午前11時から賑わっている。

「パンダ橋」とも呼ばれる上野駅東西自由通路。オープンスペースが少ない駅東側の人々が災害時に上野公園に避難しやすいよう2000年に建設された。

アメ横側と公園側では見えてくる風景、歴史、建物のディスタンスとなにもかも異なるが、利用する層も重ならない。「公園口から上野公園にアクセスし、観覧後にも上野の街に下りることを選ばずに、銀座など他の繁華街に移動して食事をとったり買い物を楽しんだりする」と言うのは、『上野新論──変わりゆく街、受け継がれる気質』(せりか書房 2019年)を書いた社会学者の五十嵐泰正の指摘である。

そんなアメ横と公園のド真ん中を分断するかのように、上野駅が存在している。行き来の断絶は、駅の両側の断絶でもある。上野駅と公園側をつなぐ上野駅東西自由通路(通称パンダ橋)が2000年に架けられるが、”自由通路”の名称はその不自由さを表明してしまっている。

同様に文化が分断(または交流)する場所として、ふたつの上野駅小説を取り上げよう。柳美里の『JR上野駅公園口』と西村京太郎の『上野駅殺人事件』である。

JR上野駅からJR御徒町駅をつなぐ商店街、アメヤ横丁(通称アメ横)。さまざまな商品をリーズナブルな価格で購入できるのも魅力だ。

前者は、20年末に発表された「全米図書賞」の翻訳文学部門を受賞した話題作。主人公は、自分が上野駅に降り立った古い記憶を巡らす。出稼ぎ労働者の彼が最初に上京したのは1963年。東京五輪の前年だ。妻と子どもを福島県相馬郡八沢村(現・南相馬市)に置いてきた。上野は東北出身者にとっては、最初に出合う東京の街であり、東北とつながった場所だ。当時の上野は、東北、北関東からの上京者が降り立つ終着駅。『JR上野駅公園口』は、集団就職、出稼ぎ労働を経験した高度成長期の日本人の集団的な記憶を主人公、そして上野に重ねる。

高度経済成長の中、その象徴ともいえる上野を舞台に、福島県相馬郡出身のひとりの男の生涯を通じて日本の光と闇が描かれる。『JR上野駅公園口』(柳美里著 河出書房新社 2017年) 写真:青野 豊

ホームレス仲間でインテリのシゲちゃんは、上野の歴史に詳しい。寛永寺の大仏の首は4度落ちたという。江戸期の2度にわたる地震、火災、大正時代の関東大震災。関東大震災の時の上野は、東京を抜け出そうとする人々が上野の駅や線路に集まったそうだ。西郷像には、行方不明者たちの消息を心配する貼り紙があふれた。東京大空襲では、上野公園は数多の遺体を一時保管する場所だった。遺体の数は7800体にも上ったのだという。シゲちゃんは、上野の困難の歴史を語るのだ。

近現代の東京(江戸)でさまざまな自然災害、内戦や戦争などが起きるたびに、上野はその一部を引き受けてきた。その困難の歴史は、主人公の出身地、福島にも重ねられる。福島は会津戦争の舞台。明治に至る過程で血が流れた内戦の地。そして、福島第一原発事故も。

高架・地上・地下の三層構造をもつ、JR上野駅の駅舎。

上野駅周辺で、ホームレスを狙った連続殺人事件が発生。さらに、東北・上越新幹線の上野駅開業の日、地下3階で爆破が起きる。犯人とその動機とは?『上野駅殺人事件』(西村京太郎著 講談社 2017年) 写真:青野 豊

『上野駅殺人事件』も、東北と上野に接点を見出していく小説だ。本作でも上野公園を根城にする、東北出身のホームレスたちの姿が駅職員の目線で描かれる。上野駅職員がホームレスを追い出してから駅舎のシャッターを閉める。暖かい時期には20〜30人のホームレスも、冬になると100人くらいになるという。駅員が冷酷という話ではない。追い出された彼らは、朝、駅が開くとここに戻ってくる。駅員とホームレスたちは顔見知りであり、駅員にも東北出身者たちがいるのだ。ただし、あくまでこの小説が書かれた1985年における描写。つまり国鉄(日本国有鉄道)の分割民営化前の話。いまは違っているだろう。

『上野駅殺人事件』には、上野駅の構造の独特さを指摘する描写がある。

ーーーーーーーーーーーーー

もっとも上野駅らしい場所といえば、中央コンコースから、中央改札口にかけてだろう。
鉄道マニアに人気があるのも、中央改札口である。
国鉄では、この中央改札口から入るホームを、地平ホームと呼んでいる。妙な名称だが、普通のホームのように、階段を上り下りして出て行くわけではなく、改札口と同じ平面に並ぶホームという意味である。

ーーーーーーーーーーーー

JR上野駅の中央改札口の先には、階段を上り下りすることなく駅のホームがある。なお、改札口の上には猪熊弦一郎の代表作『自由』が掲げられている。

改札の向こうに列車が並ぶ光景は、終着駅ならではのもの。終着駅は、通過するだけの駅とは違った構造をもつ。映画『終着駅』(1953年)に出てくるローマ駅の雰囲気に似ていると書かれている。

『上野駅殺人事件』は、上野駅のひとりのホームレスが死ぬところから始まる。死因は青酸カリによる毒殺だった。なぜ彼が狙われたのか、その謎に挑む探偵はお馴染みの十津川警部。その推理は、事件と上野駅との関係を考えるところから。新幹線駅となる際(東北・上越新幹線開業時は大宮が終着。1985年に上野まで延伸)に地下も追加され、高架・地上・地下という三層構造となった上野駅。まさに地下ターミナル完成のタイミングで書かれている。

駅舎の構造が独特である理由は、上野の地形に関係する。上野駅の両側の文化的断絶に触れてきたが、その根本の断絶は地形的断絶にあった。“上野”という地名の由来通り上野公園側は高台で、アメ横側は平地となっている。駅の独特な構造がそのギャップを受け止める目的で三層になっているのだ。

2020年にリニューアルされたJR上野駅の公園口。2階にはカフェなどの飲食店も入っている。写真:JR東日本

ちなみに上野駅の駅舎は1932年開業のもので、基本的に外観は昔のまま。原宿駅も建て替えになったいま、上野駅が山手線最古の駅舎になったのではと調べてみたが、鶯谷駅南口駅舎がさらに古い1927年の完成だった。そして、駅舎の外観は公園口だけ最近さま変わりした。2020年4月21日に再整備が終わり、90mほど北に移設。かつての無味乾燥なファサードは、現在は展望施設付きになっている。ちょっと今時感がある。同時に駅前道路のロータリー化も行われ、クルマでの通り抜けはできなくなった。

ここまで、おもに上野駅を中心とした分断の話をしてきた。上野という地での分断は、約150年前のとある事件とも関わっている。その事件とは、上野戦争である。上野戦争がどのような戦争だったのか、それはまた次回に。

※次回【速水健朗の文化的東京案内。上野篇②】は、2021年4月15日(木)21時に公開を予定しています。



『JR上野駅公園口』から見える、文化の分断・交流する上野駅。【速水健朗の文化的東京案内。上野篇①】

  • 文:速水健朗
  • 写真:安川結子 

Share:

  • Line

Hot Keywords