【ミクロの世界で紡がれた、腕時計の深淵なる物語。】前編:トゥールビヨンと永久カレンダー

  • 写真:正重智生(BOIL)
  • 文:並木浩一

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発明の数だけ物語がある。機械式時計が挑み続けてきた歩みを語る上で欠かせない「三大複雑機構」を中心に、人類の叡智が注がれた、奥深き世界をひも解こう。

「クラシック ダブルトゥールビヨン 5345 “ケ・ド・ロルロージュ”」、手巻き、PT、ケース径46mm、パワーリザーブ約50時間、ストーン加工のラバーストラップ。¥75,680,000(税込時価・参考価格)/ブレゲ ブティック銀座 TEL:03-6254-7211

地球の重力に抗い、高精度を誇るトゥールビヨン

現代の高級機械式腕時計において、ブランド価値を誇示する必須の機構がトゥールビヨンだ。発明から200年を経た現在でも、搭載する新作は後を絶たない。この機構へ初挑戦するブランドも増加中で、達成時の注目は高く、苦難に見合う評価も保証されている。

トゥールビヨンとは、フランス語で「渦巻」を意味する。転じて、機械式時計の調速を司るテンプと脱進機をキャリッジと呼ばれるケージに入れ、それ自体を回転させる機構に、その名が与えられた。もともと懐中時計向けに開発された機構で、ポケットの中で同じ姿勢を取り続けても、テンプが1回転することで重力を均等に分散する。重力に引っ張られることで(姿勢差の偏りによって)生じる誤差を平準化して解消する、画期的な発明であった。

クオーツで再現できない、 機械式時計復権のシンボル

12時間で1回転するセンタープレートに、1分間で1回転する2基のトゥールビヨンを搭載。トゥールビヨン・キャリッジを支えるブリッジは、ブルースチールのブレゲ針として時針も兼ねる。シースルーのケースバックからのぞくムーブメント裏には、パリのセーヌ川に浮かぶシテ島のオルロージュ通り(ケ・ド・ロルロージュ)にあった、初代ブレゲ工房が手彫りでエングレービングされている。

それが再び脚光を浴びることになるのは、20世紀も末に近い頃である。腕時計の世界ではクオーツの攻勢に耐えた機械式時計ブランドが、華々しく蘇ろうとしていた。さまざまな複雑機構が見直される中で、トゥールビヨンはその象徴的な存在とみなされたのである。多くの複雑機構はクオーツ時計によって電子的に再現可能だが、トゥールビヨンは、テンプをもたないクオーツ時計にとって存在する意味がないものだった。機械式時計にしかありえない機構だからこそ、メカニカル・ウォッチ復活のシンボルになりえたのだ。

トゥールビヨンの製作は、いまも昔もきわめて困難な作業である。一つひとつの部品が微小である上に、本来は固定されているテンプを回転させる。その動力にはもともと時計機構のために使われるはずの歯車の回転を利用する。新しい機構を付け加えるのではなく、機構そのものを変えてしまう自己完結型の技術だ。しかもトゥールビヨンは、なにか特別な機能を実現することはなく、精度のためだけに存在するコンプリケーション。正確な時刻を知る時計本来の純粋な機能美なのだ。

トゥールビヨンの発明者はアブラアン‒ルイ・ブレゲ。特許はフランス第一共和政下の1801年6月26日に取得され、その後失効したが、技術そのものは現代でも追随者を魅了する。ブランドとしてその意志を継ぐ「ブレゲ」は、200年を経過してなお、トゥールビヨンを進化させる意気込みを示す。2つのトゥールビヨン・ケージをもつ「クラシック ダブルトゥールビヨン 5345 ”ケ・ド・ロルロージュ”」は、恐ろしいほど強靭なその意志を示す好例だ。1分間で1回転するケージは互いに連携し、さらにディスクそのものが悠々と12時間かけて回転移動する。トゥールビヨンの歴史は、いまもなお進行中なのである。

閏年まで識別する、永久カレンダーの終わりなき旅。

「永久カレンダー搭載クロノグラフ 5270」、手巻き、18KYG、ケース径41mm、アリゲーター革ストラップ、3気圧防水。¥20,251,000(税込)/パテック フィリップ ジャパン・インフォメーションセンター TEL:03-3255-8109

腕時計の世界では日付と曜日に加えて月までを表示する機構をトリプルカレンダー、もしくはコンプリートカレンダーと称する。ただしこれで完結しているわけではなく、大(31日)の月と小(30日)の月を自動判別するのが年次カレンダー、もしくはアニュアルカレンダーと呼ばれるものだ。1年に1回、2月28日を終え3月1日へ日送り調整するだけで済む便利な機能で、1996年にパテック フィリップが初めて発表した。そしてさらなる最高峰に位置するのが、閏年までを識別して表示する複雑機構の永久カレンダー=パーペチュアルカレンダーだ。

永久カレンダーは端的に言えば、4年に一度だけ2月の29日を表示することができる“特別なプロトコル”が備わった腕時計である。その日その時だけ歯車がひとつ進む構造は、想像を超えた緻密さが求められる。しかもそのためには月・日・曜日だけでなく暦年、つまり閏年まであと何年なのかまで、完璧に把握していなければならない。

永久カレンダーは内部で把握している暦日の情報を、可能な限り表示するのが常だ。特に、他の腕時計にはない機能が閏年(リープイヤー)表示。4年間のサイクルを1、2、3と数え上げ、閏年の元旦には表示がリープイヤーの「L」、もしくはフランス語の「B(annéebissextileの頭文字)」に切り替わる。これこそ永久カレンダーだけに許された、複雑機構の存在証明だ。

4年に一度だけ進む歯車は、2100年まで調整不要。

永久カレンダーとクロノグラフを兼ね備えた超絶的グランド・コンプリケーション。3時位置に30分積算計、4時位置に閏年表示、6時位置に日付針とムーンフェイズ、8時位置に昼夜表示、9時位置にスモールセコンド、12時位置に曜日と月表示を搭載。多彩な機能を盛り込みながらも、美しいレイアウトは見事だ。シースルーのサファイヤクリスタル・バックと18KYGケースバックが付属。

実は我々の現在の暦であるグレゴリオ暦では、閏年に例外的なルールを設けている。4年に一度の閏年に相当していても、100で割り切れて400で割り切れない年には閏年はないというものだ。これは1年の日数は厳密には365.2242日のため、4年毎に1日増やしても400年で約3日のズレが生じるゆえ。そのため次は2100年に、閏年にならない例外年が発生する。80年先の2月末にカレンダー調整が必要となるまで、このサイクルが永続する(その次は2200年)。永久カレンダーは日々の時間を天文学的な情報のひとつとして捉える、悠久の表示装置なのである。

そのためさらに別の天文情報を備える場合が珍しくなく、代表的なものがムーンフェイズ表示である。月の満ち欠けは太陽と地球との位置関係で見え方が変わるが、そのサイクル=1 朔望月(そくぼうげつ)は約29.53059日である。イスラム暦などの太陰暦はこのサイクルを基本とするものだ。グレゴリオ暦の忠実な観察者である永久カレンダーの多くは、並行して太陰暦も手中に収め、対比させているのである。

パテック フィリップの「永久カレンダー搭載クロノグラフ 5270」は、さらに高度なモデルだ。永久カレンダーに組み込まれたのは、コラムホイール式で水平クラッチという、まさに王道をゆく高級クロノグラフである。複雑の上に複雑を重ねた要素は見事に整理され、クロノグラフを搭載しながら月・曜日・閏年・昼夜表示までを窓に、日付をムーンフェイズに重ねる指針式に振り分けた。今年、イエローゴールドを纏って装いを新たにしたこのモデルは、生涯をともにできる腕時計と言えるだろう。


【後編:ミニッツリピーターとプラチナ】はこちら

こちらの記事は、2020年 Pen 12/1号「腕時計と文具。」からの転載です。

【ミクロの世界で紡がれた、腕時計の深淵なる物語。】前編:トゥールビヨンと永久カレンダー

  • 写真:正重智生(BOIL)
  • 文:並木浩一

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