日本のものづくりの理想を実現する、「グランドセイコースタジオ 雫石」とは。

  • 写真:宇田川淳
  • 文:篠田哲生
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岩手県雫石にある盛岡セイコー工業 雫石高級時計工房内に誕生した、「グランドセイコースタジオ 雫石」。ほかにはない強みをもってものづくりに挑むこの地は、日本の時計づくりの新たなる聖地となっていくに違いない。

「グランドセイコースタジオ 雫石」外観。美しい岩手山に対して大きく屋根を跳ね上げた美しい建物だ。

スイスの伝統的な時計ブランドの多くは、時計ジャーナリストの取材を快く受け入れてくれる。これは製品そのものだけでなく、時計がどのような場所で生まれ、どのような理念を持っているのかを伝えるためには、まずは”生産現場“を見せるのが最も適していると考えているからだ。

「グランドセイコースタジオ 雫石」は、世界に誇れる日本の時計「グランドセイコー」が生み出される場所である。しかしスイスなどの時計ブランドと異なるのは、周辺の環境や建物も含めて、グランドセイコーの世界観を表現している点にある。

高級時計は必ず人の手から生まれる。グランドセイコースタジオ 雫石は、時計に関わる人々を育んだ周囲の環境や風土、文化を含めたメッセージを世界に発信する場所であり、日本のものづくりの理想郷なのである。


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グランドセイコー60周年に生まれた、専用の工房。

建物エントランスには、グランドセイコーのロゴが掲げられる。ファサードも木を用いており、温かみのある印象をつくっている。

スイスでの機械式腕時計の復活を受け、1998年から機械式ムーブメントを搭載するモデルを再び製造するようになったグランドセイコー。するとグランドセイコーの知名度や人気、そしてブランド価値がさらに高まった。生産現場への取材依頼も増え、海外からの注目度も増してきたことを受け、グランドセイコーのさらなる発展を見据えた製造施設が必要ではないかという話が持ち上がった。そこで2004年に製造拠点であった「盛岡セイコー工業」に「雫石高級時計工房」を立ち上げた。しかし雫石高級時計工房はパーツなどを製造する工場の内部にあったため、時計製造の現場を見せるという目的は達成したものの、グランドセイコーの世界観を伝えるというところまでは至らなかった。

そこで雫石高級時計工房を発展させる形で、グランドセイコーの誕生60周年となる2020年に発足したのが「グランドセイコースタジオ 雫石」である。

ムーブメントのパーツやヒゲゼンマイなどを一貫製造する盛岡セイコー工業の社長、林義明。

「銀座の和光やセイコーミュージアム 銀座、あるいはパリのヴァンドーム広場のグランドセイコーブティックなど、様々な形でグランドセイコーの魅力を発信する場所があります。そして“機械式腕時計製造の聖地”として、この『グランドセイコースタジオ 雫石』が誕生しました」と語るのは、盛岡セイコー工業の林義明社長だ。

「隈研吾さんには、最高峰の実用時計を目指してきたグランドセイコーがたどり着いた“時の本質”を意味する『The Nature of Time』というブランドフィロソフィに共感していただき、時計製造のためのクリーンルームをはじめとする素晴らしい工房が完成しました。2020年の7月にオープンし、時計の製造を開始していますが、時計技術者からも好評です。特に岩手山が見えるところが素晴らしい。盛岡セイコー工業の従業員のほとんどが地元出身であり、岩手山は大切なシンボルですから」
グランドセイコースタジオ 雫石は、まさに働く人にとっても理想の空間なのだ。

日本を代表する建築家、隈研吾。近年の代表作に、新国立競技場や高輪ゲートウェイ駅がある。
この工房の心臓部、時計師たちが作業を行うクリーンルームを一望する。

「グランドセイコースタジオ 雫石」は、クリーンルームを持つ精密工場でありながら、木造建築であるという世界でも稀な建築物である。清浄な空気を保つためには、埃がたまりやすい梁などの水平材を使いたくない。そのため強度に優れる鉄骨造やRC造にするのがセオリーだが、隈研吾は自然と共生するために木造にこだわった。クリーンルームを挟んだ二つの廊下に構造体を集約させることで、木造でありながらクリーンルームを実現させている。

「こういうところで働くこと、それ自体が誇りになります。新型ムーブメントであるキャリバー9SA5の生産もスタートし、グランドセイコー誕生60周年に向けて、みんなでつくり上げたストーリーが上手くつながりました」と林は語る。

雫石での時計づくりの伝統は、もう50年にもなる。そしてグランドセイコーの世界観の中には、雫石の自然や文化がしっかりと浸透している。これからはそういった部分をしっかりと伝えていきたいと考えているのだ。

グランドセイコーの“すべて”を伝える場所。

天井も高く、解放感のあるエントランスホール。ムーブメントなどの解説があり、グランドセイコーについて学ぶことができる。
見学者用の廊下から、クリーンルーム内の技術者が時計を組み立てる様を見学できる。防音性は万全であるため、作業の邪魔をすることはない。
新開発された画期的な機械式ムーブメント、Cal.9SA5の組み立ても始まっている。

エントランスから建物に足を踏み入れると、天井の高いホールが現れる。ここではムーブメントのパーツや機構の解説などの展示があり、この地でつくられるグランドセイコーについてしっかり学ぶことができる。そして見学者用の通路を進むと、ガラス越しにクリーンルームが現れる。

クリーンルーム内で使用される作業机は、岩手県の地場産業で伝統工芸でもある「岩谷堂箪笥」で製作したもの。これは「雫石高級時計工房」で使用していたものを新工房に合わせて改良し、連結するようにレイアウトしている。組み立てや調整、ケーシングなど、工程に合わせて列を分けているので、以前よりも作業効率も高まったという。

しかも見学用の廊下には、工程に合わせて説明書きがあるので、ガラス越しに見える工程で何をしているかがわかるようになっているのも嬉しいポイントだ。

働きやすく、見学しやすい「グランドセイコースタジオ 雫石」は、まさに、グランドセイコーのすべてを伝える場所なのだ。

岩手県のシンボルである岩手山。その雄大な姿に誰もが目を奪われる。
セイコーでは優れた技能者が、後進も育成することで、技術の継承を行っている。

雫石は昔から家内制手工業が盛んな地域であり、熟練の職人を多く育んできた。厳しい冬の寒さにも負けずコツコツと丁寧に仕事を行う姿勢は、スイス時計の聖地ジュウ溪谷の人々の精神性にも似ている。

「グランドセイコーは、雫石だからこそつくることができる時計でしょう。だから岩手山を含めた周囲の自然も重要なのです。グランドセイコースタジオ 雫石が完成したことで、より深くグランドセイコーの世界を発信できるようになりますが、それと同時にこの素晴らしい環境で働きたいという人も増えるでしょう。基本的に時計技術者たちはみんな叩き上げで、地道な努力の積み重ねで腕を磨いてきました。会社にとって人は財産です。こういった仕事をしやすい環境は、人材育成の面でも大きな意味があるでしょう」という林の言葉には、土地と自然、そしてそこに暮らす人々への敬意がこもっている。

雫石の時計づくりは、一つの文化となった。

盛岡セイコー工業の建物模型。右下の黒い屋根が「グランドセイコースタジオ 雫石」である。
2階のラウンジでは時計の販売のショップコーナーもある。今後はここでしか購入できない「雫石オリジナルモデル」も話題となりそうだ。

実は「グランドセイコースタジオ 雫石」ができるまで、この場所には家族寮があった。その後は駐車場となり、そして2020年にはスタジオが完成する。盛岡セイコー工業では、親子で会社に勤めている人がいるだけでなく、かつての社員の孫が入社することもあるという。中には、かつてここにあった家族寮で育ち、その後、時計技術者として「グランドセイコースタジオ 雫石」で働くようになった社員までいるという。

雫石における時計づくりは、一つの文化になった。だから生産地自体がブランドとなる。どこで生まれ、誰がつくっているか…。それ自体が大きな価値を持つようになったのだ。それはまさしく、日本のものづくりにおける理想形といえるだろう。

グランドセイコースタジオ 雫石ではオリジナルモデルの販売も用意されており、周囲の森の新緑をイメージしたグリーンダイヤルが特徴。メイド イン 雫石という価値を楽しみたい。

周囲を取り囲む美しい森。自然の移ろいからも、時の流れを感じることができる。
「グランドセイコースタジオ 雫石」に寄り添うように立つ巨大なシンボルツリー。これもまた自然との共生である。

グランドセイコースタジオ 雫石の周囲は、美しい森に覆われている。紅葉した葉はやがて落ち、肥料となって森を支える。長い冬の多くは雪に閉ざされるが、岩手山の山頂の雪が解ければ、それが春の訪れの合図となり、やがて美しい緑の葉が優しい影をつくるようになる。周囲の自然もまた大きな時計であり、グランドセイコーのように正確に時を刻んでいるのだ。「グランドセイコースタジオ 雫石」は、丘の上に近代的な社屋を作るスイス時計のファクトリーと比べると、かなり素朴で優しい雰囲気がある。

チクタクと正確に時を刻むグランドセイコーは、こういった世界観を丸ごと楽しめるブランドとなった。現在は新型コロナウイルスの影響もあって、いまは見学や取材が難しい状況だが、いつしかこの場所に世界中から時計愛好家が集まることを楽しみにしたい。


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