1824年の創業以来、伝統的な製法を守り続けている「ザ・グレンリベット」。その歴史を遡ると、「シングルモルトの原点」と呼ばれる理由が見えてきます。
1707年の合同法によって、イングランド王国に統合されたスコットランド。当時、スコッチウイスキーは既に存在していましたが、新たに誕生したグレートブリテン王国の中央政府によって、スコットランドの文化は抑制されることに。その結果、人里離れた山奥であるために政府の目からも逃れやすかった、北部のスペイサイドにウイスキーの密造酒業者である「スマグラー」が数多く集まったといいます。
本物であることを示す、「ザ」を冠するスコッチウイスキー
もともとこのスペイサイドは、豊富な水源や冷涼な気候などウイスキーづくりには欠かせない自然環境に恵まれたエリア。必然的に密造酒業者が集まることになり、法律的には認められていなかったスコッチウイスキーはしだいに好評を博していきます。そして1822年に、一大転機が訪れます。密造酒業者のひとりである、ジョージ・スミスがつくるウイスキーは別格の味という評価が高まり、この噂を聞きつけた当時の国王であるジョージ4世もその味わいを称賛しました。このことが一因となり、1824年にスミスの蒸留所は政府公認第1号となり、「グレンリベット」として創業。密造酒の時代に終止符を打ち、スコッチウイスキーの新たな歴史を切り開いたというわけです。
グレンリベットの評判はロンドンまで伝わり、文豪のチャールズ・ディケンズが品質とスタイルを絶賛したというエピソードも残っています。しかし他の密造酒業者たちはグレンリベットだけが発展することをねたみ、スミスは絶えず妨害を受けていました。そのため2丁の拳銃を常に身につけ、自身と蒸留所を守り抜いたといいます。やがて他の蒸留所も次々と政府の公認を得ましたが、グレンリベットの評価があまりにも高かったため、ウイスキーの名前に「グレンリベット」を付け加えた模倣品が乱立していきます。
模倣者たちとの争いに悩まされたスミスは、政府に直訴。裁判は彼の死後も続き、息子であるジョン・ゴードン・スミスの時代にようやく訴えが認められました。1884年には本物のウイスキーであることを証明する定冠詞「ザ」を付けることが許され、「ザ・グレンリベット」として他のウイスキーと差別化することに成功します。「シングルモルトの原点」としてのプライドを守り、創業者のパイオニア精神を受け継ぐザ・グレンリベット。現在も伝統的な製法によって、フルーティで洗練された味わいを守り続けているのです。
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