バロックの時代を彩った巨人ルーベンス、その足跡をアントワープでたどる。【後編】

  • 写真:井田純代
  • 文:青野尚子

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現在、国立西洋美術館で『ルーベンス展─バロックの誕生』展が開催されています。17世紀のアントワープを舞台に、数多くの作品を世に送り出したルーベンス。ゆかりの古都に遺された足跡をたどりながら、彼の偉業に迫ります。

「ルーベンスの家」外観。成功した画家にふさわしく、かなりの豪邸です。

【前篇】で紹介した、教会に残るルーベンスの傑作を堪能したら、続いて彼の生活の跡をたどってみましょう。アントワープの中心地に今も残る「ルーベンスの家」は1610年にルーベンスが購入し、最初の妻、イザベラと住んだ住宅です。もとはフレミッシュ・ルネサンス様式だった家を、彼は7年もかけてイタリア風に改修・増築しました。

「ルーベンスの家」内部。ルーベンスと同時代のタイルや家具、陶器などが並んで当時をしのばせます。
ルーベンスが所有していたティツィアーノ作『母と娘』。モデルが誰なのか、何を現しているのかはわかっていません。一時期、娘の背に羽が描かれて天使として表現されていたこともありました。

この家がミュージアムとして公開されたのは、第二次世界大戦が終結した直後のこと。戦争で被災したため、多くの部分を補ったり再現したりしています。たとえば壁のタイルはルーベンスと同じ17世紀のものですが、もともとこの家にあったものではありません。またルーベンスは古典から彼の同時代のものまで絵画や彫刻、カメオ、コインなどを幅広く蒐集していたコレクターとして知られていますが、それらは彼の死後散逸してしまいました。現在「ルーベンスの家」を飾る絵画などの大半は現在の所有者から長期貸与されたものです。それでも彼の暮らしぶり、仕事ぶりを知ることができる重要な場所の一つです。

ティントレット作『アレクサンドリアの聖カタリナに殉教を予告する天使』。さまざまな人の手を経て、この家にやってきました。

こちらの部屋はルーベンスが訪れる人にコレクションを見せるために作られたもの。ルーベンスのコレクションは当時すでに大きな評判となっており、それを見に来る人々がたくさんいました。この中で面白いのがティントレットの『アレクサンドリアの聖カタリナに殉教を予告する天使』という絵です。これはヴェネチアの教会の祭壇画で、1807年にその教会が取り壊されるまで内陣を飾っていました。ルーベンスの弟子だったアンソニー・ヴァン・ダイクがこの絵のスケッチを残しており、ルーベンスもヴェネチアに旅行した際にこれを見ていたと思われます。時が流れておよそ30年前、デヴィッド・ボウイがこの絵を購入したのです。さらに彼の没後開かれたオークションでベルギーのコレクターが入手、「ルーベンスの家」に長期貸与してくれることになりました。ボウイはルーベンスにも興味を持っており、生前ここを訪れたこともあるそうです。

ドーム中央の丸い天窓から光が入るコレクションルーム。中央がセネカ像のレプリカ。

その奥にある半円形の部屋はコレクションをより美しく、ドラマチックに見せるために作られたもの。ルーベンスが16世紀末にイタリアに出かけたころ、イタリアではちょうど古代ローマ遺跡の発掘ブームが起きていました。この部屋の中央にあるのは古代ギリシャの哲学者、セネカのものですが、飾られているのはレプリカです。オリジナルはルーベンスが当時のイギリス国王、チャールズI世に売却しました。彼にはビジネスの才覚もあったのです。

1階のアトリエ兼ビューイング・ルーム。奥のルーベンス作品『聖アンデレの殉教』は聖アンドリュース教会にある師の作品を超えたと言われる傑作。日本での「ルーベンス展」でも展示されます。
アトリエの入口側を見たところ。絵のクライアントはバルコニーからアトリエを見下ろして、品定めしていたのでしょう

1階のアトリエは大作も描けるように天井の高いスペースです。アトリエの一部はバルコニーになっていて、そこからアトリエを一望できるようになっています。ここは絵を注文した人や、注文しようか考えている人のためのスペース。つまりこのアトリエはショールームでもあったのです。ルーベンスはここで顧客にどんな話をしていたのでしょうか。

ルーベンスの自画像。ティツィアーノの自画像を引用したものです。

アトリエに展示されている自画像はルーベンスが敬愛していたティツィアーノ晩年の自画像に倣って描いたもの。たぶん、実際より2割増しぐらいでいい男に描かれているはずです。またこの自画像では絵筆やパレット、イーゼルなど画家を想像させるものは描かれていません。彼は単なる画家ではなく、一人の紳士として自らのイメージを描いたのです。この絵は1年間かけた修復の後、今年春から公開されています。

親密な空気の中に名品が並ぶ、「スナイデル&ロコックスの家」

「スナイデル&ロコックスの家」内部の様子。大きな家ですが、親密な空気が漂います。
「スナイデル&ロコックスの家」、ルーベンスの弟子、アンソニー・ヴァン・ダイクが描いたスナイデル夫妻の肖像。ヴァン・ダイクも人気が高く、肖像画の注文が途絶えることはありませんでした。

「スナイデルス&ロコックスの家」は画家のフランス・スナイデルスとアントワープ市長だったニコラス・ロコックスの家を美術館にしたもの。これまでロコックスの家が先に公開されていましたが、この春にスナイデルスの家がオープン、より充実したものになりました。

ロコックスはルーベンスのパトロンでもあり、また「聖母大聖堂」を寄進したギルドの長でもありました。彼が市長に就任した際の式典の演出もルーベンスが手がけています。レオナルド・ダ・ヴィンチやヴァザーリなどイタリア・ルネサンスの画家たちが為政者の子息の結婚式やクリスマス・イベントの演出を手がけたように、こういった式典の舞台デザインや演出も画家たちの重要な仕事でした。それは、市民に対して為政者の権威をアピールする機会だったのです。

また、スナイデルスはルーベンスと同時代の画家。彼は狩猟画を得意としていました。宗教画や人物画だとルーベンスと競合してしまうため、ジャンルを分けることにしたのです。

スナイデルが得意とした静物画。兎の毛皮、ロブスターの殻、陶器やブドウの艶など異なる質感が巧みに描きわけられています。
スナイデルは狩猟画もよく描いています。人物を描くことに定評のあったルーベンスとの競合を避ける狙いもありました。
スナイデル、ヤン・ブリューゲルI世、ルーベンス工房の合作によるもの。それぞれの得意分野で腕を振るっています。

ここで見られるルーベンス作品の一つはそのスナイデルスとヤン・ブリューゲルI世、そしてルーベンス工房の共作によるものです。ぷくぷくした天使はルーベンス工房が、花はブリューゲル一族の中で「花のブリューゲル」とも言われたヤン・ブリューゲルI世が、果物はスナイデルスが描きました。この作品に限らずルーベンスはブリューゲルとはよくコラボレーションしています。この頃の絵画は工房で集団制作されることが多く、このような分業はよく行われていたと推測されます。

左から、ヨルダーンスの神話画、アンソニー・ヴァン・ダイクの男性像、ルーベンスの聖母子像

ルーベンス単独の「聖母子像」もあります。ベッドで眠るイエスに向かって聖母マリアが祈っているという構図です。ルーベンスというと筋骨たくましい男性像や肉付きのいい女性ヌードのイメージがありますが、子供のポートレイトも愛らしいもの。この絵で眠っているイエスも我が子か、工房の画家の子供が寝ているところをスケッチしたのではないでしょうか。

かつて印刷工房だった博物館にも、ルーベンスの足跡が。

「プランタン・モレトゥス印刷博物館」は世界最古の産業印刷工房を博物館にしたもの。
当時使われていた印刷機がずらっと並びます。1台の印刷機を職人2人が操作していました。
この箱から活字を拾い、組んで印刷していました。
6カ国語で印刷された聖書は「プランタン・モレトゥス印刷博物館」の展示の中でももっとも重要なもの。

アントワープは当時、パリやヴェネチアと並んで印刷業が盛んなところでした。創業者のクリストフ・プランタンはそれまでの木版印刷に活字や活版印刷を組み合わせるといった当時の最先端技術を駆使し、さまざまな印刷物を発行します。中でもヘブライ語・ラテン語、ギリシャ語など6カ国語で表記された聖書は貴重なもの。当時、ヘブライ語やアラビア語の活字はここにしかありませんでした。またこの頃の印刷所は現在の出版社のような役割を果たしており、翻訳なども行っていました。印刷所には高い教養と知識が要求されたのです。

モレトゥスがルーベンスに下絵を依頼するために描いた祈祷書のスケッチ。
ルーベンスが協力した祈祷書。ここではルーベンスの絵は一部しか使われていませんが、モレトゥスは次第にルーベンスの絵の分量を増やしていきました。

ルーベンスは創業者の孫にあたるバルダサーレ・モレトゥスと学友であり、親しくつきあっていました。この博物館にはルーベンスとバルダサーレ、バルダサーレの兄であるフィリップが描かれた絵が残っています。

ルーベンスはこの印刷所の重要な出版物の一つである聖書の出版にも協力していました。バルダサーレが「この位置にはこの場面を」などと指示したスケッチを描くとそれに基づいてルーベンスが絵を描き、その絵をもとに印刷する、といったことが行われていたのです。

蝋燭を持つ老婆と少年を描いたルーベンスの版画。
「ルーベンス展」にも出展される版画『ティベリウスのカメオ』。1621年にフランスで考古学者、ペレスクが発見したカメオをもとにルーベンスが作った版画です。ルーベンスとペレスクはともに考古学について語り合う友人でした。

この印刷所でルーベンスは自分の油彩画を版画にして出版してもらうこともありました。制作に時間のかかる油彩画に比べて版画ならある程度の部数を一度に印刷することができます。量産できる版画は画家にとって有効なプロモーションツールだったのです。

版画オリジナルで制作した作品もあります。蝋燭を持つ人物のポートレイトは画家の技量をアピールするものでもありました。「顔に蝋燭の光が反射している」シーンを描けることが一流の画家の証だとされていたのです。

この博物館ではルーベンス作品の他にも世界最古の印刷機や当時の活字などが展示されており、かつての印刷の様子を知ることができます。コレクションは書物や写本が約3万、木版画は1万5千、銅版画3千、活字印刷物150、その他に絵画やデッサンなど、世界最大級のもの。当時の知の集積に触れることができるこの建物はユネスコ世界遺産にも登録されています。

「プランタン・モレトゥス印刷博物館」に展示されている世界最古の印刷機。
「プランタン・モレトゥス印刷博物館」の中庭。当時の印刷職人たちもここで一休みしたのでしょうか。

結婚式を挙げた「聖アンドリュース教会」と、墓を設けた「聖ヤコブ教会」。

「聖アンドリュース教会」があるのは庶民的なエリア。外観も割とすっきりしています。
聖アンドリュース教会に飾られているオットー・ファン・フェーンの『聖アンデレの殉教』。「ルーベンスの家」アトリエに置かれていたルーベンスの同主題の作品と比べてみましょう。

「聖アンドリュース教会」にはルーベンスの師だったオットー・ファン・フェーンの『聖アンデレ(アンドリュース)の殉教』が飾られています。アンデレはイエスの12弟子の一人で、この絵に描かれているようにX字型の十字架で処刑されたと伝えられます。イエスと同じ十字架では恐れ多いと、自らこの形を選んだとの説も。
東京の展覧会には「ルーベンスの家」のアトリエに置かれていた、ルーベンス作の『聖アンデレの殉教』も出品されます。中央やや左寄りに十字架にかけられた聖アンデレが、右に馬に乗った兵士がいて、十字架の下では女性たちが嘆き悲しむ、というように構図の多くを引用しています。しかし、ルーベンスのほうが筋肉や顔つきの描写が正確ですし、感情表現もはるかに豊かです。彼が師を超えていたことがよくわかります。

「聖アンドリュース教会」の祭壇。ネオ・バロック様式の華々しい装飾で飾られています。

キリスト教では教会ごとにエリアが決められていて、その地域ごとに行政や布教を行います。ルーベンスはイタリアから戻って最初の結婚をしたときはこの教会の教区に住んでいたので、結婚式や最初の子の洗礼式はここで行っています。

この教会の祭壇は、現代の私たちの感覚からすると‟盛りすぎ‟では、と思えるほどたくさんの彫像で飾られています。中央では降り注ぐ金色の光に囲まれて、天使に支えられた聖母マリアが天に昇っていきます。その右側で小さな天使たちが抱えている金色の建物は修道院を現します。左側では同じく天使たちが蜂の巣を捧げ持っています。なぜ蜂の巣? それは、説教のうまい人の声を「ハニー・ボイス」ということから。神に近づくための言葉は蜜のように甘いのです。

「聖ヤコブ教会」は16〜17世紀にかけて建設されました。そのため内外でルネサンス、ゴシック、バロックと異なる時代の建築様式が混在しています
このあたりはゴシック風ですが、花などの装飾はバロック時代のもの。

前述したとおり、アントワープには一時的な滞在のつもりだったルーベンスは結局、ここに根を下ろしてアントワープで没することになりました。その彼の墓があるのが「聖ヤコブ教会」です。この教会は14世紀にスペイン北部の街、サンティアゴ・デ・コンポステーラに巡礼する人々の立ち寄り所として建てられた、簡素な小屋から始まりました。その後増築を繰り返し、今ではアントワープで「聖母大聖堂」についで大きな教会になっています。壁には今でも巡礼者の目印であるホタテ貝の印がつけられています。

「聖ヤコブ教会」にあるルーベンスの墓。教会の中にいくつかある礼拝堂の中でもひときわ豪華です。
床にはめ込まれた、ルーベンスの墓碑銘。この地下にさらに礼拝堂があり、そこに棺があったのですが、1840年に発掘調査をしたところ、3人分の骨が混ざっていたというミステリーがあります。

ルーベンスの墓があるのは教会内部の東側に作られた礼拝堂です。大きな教会では、内部に外壁にそって空間を区切り、礼拝堂にしているところがよくあります。その中でもエルサレムに近い東側がもっともいい場所とされているのです。ルーベンスは「聖カルロス・ボロメウス教会」に墓を建てたかったのですが、その墓は僧侶や神父のみに許されていました。そこで聖ヤコブ教会と交渉して一番いいところに特別に礼拝堂をつくる許可を得たのです。彼は1640年に没しましたが、その5年後にこの墓がつくられました。

墓に飾られた『聖母マリアと聖人たち』はルーベンスが注文に応じて描いたものですが、なぜか引き取られることはなく、ルーベンスが自らの墓に設置することにしました。右の老人はライオンがいるので聖ヒエロニムス、左の騎士は足元に竜が倒れているので聖ゲオルギウスでしょう。

正面には聖母マリアと聖人たちを描いたルーベンスの絵があります。青い衣を着た聖母マリアはルーベンスの2番目の妻がモデルとも言われます。絵の両脇にある柱は中央から下が少しふくらんだ「エンタシス」と呼ばれる形をしています。このエンタシスの柱は古代ギリシャ・ローマ時代に盛んにつくられ、ルネサンス時代にリバイバルしていました。ルーベンスが生きたバロックの時代にもブームがおきていたのです。この柱は本物の大理石ですが、他の礼拝堂では木の柱に大理石のようなペイントを施したものも使われています。生前から高い評価を受けていたルーベンスには本物の大理石がふさわしいのです。

杖とホタテのついたマントという巡礼者の格好が意匠化されています。

この教会の名前のもとになった「聖ヤコブ」もイエスの12人の弟子の一人。エルサレムで打ち首にされてしまいますが、弟子が遺体を船に乗せて現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラにたどり着きました。信者たちはその聖地を目指して現在も巡礼の旅を続けています。そのヤコブのアトリビュート(持物。聖人たちを見分ける“しるし”)がホタテ貝なのです。聖ヤコブの遺体を運んだ船にホタテ貝がついていたから、とも再生や復活の象徴だから、とも言われています。

聖ヤコブ教会の主祭壇。ホタテのついたマントを翻した聖ヤコブが中央に立っています。上の方の飾りもホタテ貝をデザイン化したもの。

この教会の主祭壇には聖ヤコブの彫像が置かれています。ホタテ貝のついた長いマントをまとい、金色の杖をついて上を見上げています。彼の視線の先には神とイエスが天使たちとともに彼を迎えているのが見えます。螺旋状にねじれた柱はバロック建築の典型。ルーベンスがイタリアからもたらした、当時の最先端デザインでした。

地面に残るホタテの浮き彫りは巡礼の道のしるし。

ルーベンスのDNAを継ぎ、街を彩るストリートアーティストたち。

スマッグ(サム・ベイツ)の作品。ポートレイトはバロック絵画に多いモチーフです。

アントワープは今年、「アントワープ・バロック2018 ルーベンスからのインスピレーション」と銘打ってさまざまなイベントを行っています。街角の大きな壁画はその一つ。以前から市の公認でグラフィティ・アーティストたちが壁画を描いていましたが、「アントワープ・バロック2018」で4つの壁画が追加されました。アントワープ在住のイヴォン・トルドワールと、彼がコーディネートした3人のアーティストが描いています。

4枚の中でルーベンスの影響がもっとも強くあらわれているのはオーストラリアのスマッグ(サム・ベイツ)の作品でしょう。彼は買い物客で賑わうアントワープ中心部のビルの壁に、もの思いにふける少年の絵を描きました。明暗のコントラストが、彼がバロック絵画の末裔であることを証言しています。リアルに描かれた表情にさまざまな感情が読み取れます。

エル・マック(マーク・マクレガー)の作品はバロックの画家、ミケリーナ・ヴァウターの絵を元にしたもの。
制作中のエル・マック。スプレー缶で巧みにグラデーションをつけていきます

エル・マックことロサンゼルスのマーク・マクレガーはスプレー缶を自在に操り、繊細な濃淡を表現するグラフィティ・アーティスト。この絵は、ミケリーナ・ヴァウターという画家の絵からインスピレーションを得たものです。ミケリーナ・ヴァウターはルーベンスより四半世紀ほど年下の女流画家。当時、女性の画家はとても珍しく、また彼女についてあまり知られていなかったこともあって、ミケリーナの作品が他の男性画家の作品と伝わっているものが相当数ありました。アントワープにある美術館「MAS」では9月まで彼女の個展が開かれていましたが、その中の「白百合を持つ聖ヤコブ」という絵が“元ネタ”です。エル・マックはこの絵を左右反転させ、ほぼモノクロームの画面で表現しました。これらの壁画は他の作品とあわせて、恒久設置されることになっています。

今回のアーティストをコーディネートしたイヴォン・トルドワールの作品。「ANTWERPEN」という文字は古いバロックの書物から引用したもの。
アストロ(グレッグ・アストロ)はパリのアーティスト。平面なのにこんな立体物があるように見える、だまし絵の手法です。明暗のコントラストがバロック的。

日本ではこれまで何度か、ルーベンスの展覧会が開かれてきました。今回、国立西洋美術館で開催されるのはルーベンスの作品の中でもイタリアとの関わりにスポットをあてたもの。若い頃をイタリアで過ごした彼が受けた影響と、アントワープで名声を得た彼がイタリアに与えた影響とを概観します。

そして、バロック芸術の街、アントワープに行きたいと思った人は、10月31日まで募集しているキャンペーン『KLMオランダ航空で行くアートな旅フェルメールとルーベンスの故郷』に応募しましょう。1組2名に≪KLMオランダ航空で行くオランダとベルギー アートな旅≫が、35名に「ルーベンスの家」などのミュージアムグッズが当たります。日本とベルギーで、濃厚なバロックの香りにひたれる秋です

『ルーベンス展─バロックの誕生』

開催期間:2018年10月16日(火)〜 2019年1月20日(日)
開催場所:国立西洋美術館
東京都台東区上野公園7-7
TEL:03-5777-8600(ハローダイヤル)
開館時間:9時30分〜17時30分(11/17をのぞく金曜、土曜は20時まで。)※いずれも入館は閉館30分前まで
休館日:月曜日(ただし12/24、1/14は開館)、12/28〜1/1、1/15
入場料:一般¥1,600(税込)
www.tbs.co.jp/rubens2018


『KLMオランダ航空で行く アートな旅 フェルメールとルーベンスの故郷』
www.hollandflanders.jp ※応募〆切は10月31日