Vol.1 映像ダイヤモンドの原石を探せ!~僕が国際...

Vol.1 映像ダイヤモンドの原石を探せ!~僕が国際短編映画祭をはじめたワケ~

こんにちは。別所哲也です。俳優です。昨年50歳を迎えました。今回から連載を始めさせてもらうのですが、僕が生まれたのは1965年(昭和40年)、日本では、加山雄三さんの「君といつまでも」がリリースされ、世界ではベトナム戦争が激化した年でした。憧れのヒーローはタイガーマスクです。Pen Onlineを読まれている方は僕より少し年下の方も多いと思うのだけれど、ビジネスであったり趣味であったり、なにかのきっかけや箸休めになるようなコラムになればいいなと思っています。それではまず僕のライフワークでもあるショートフィルムの話からはじめましょう。

1999年、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』が日本で公開されました。シリーズでいうと時系列で最初となるこの作品は、のちにダース・ベイダーとなるアナキン・スカイウォーカーが登場し、ライトセーバーなどのスター・ウォーズグッズが飛ぶように売れ、社会現象になったことを覚えてらっしゃる方も多いと思います。

時を同じくして始まったのが、僕が代表をしている国際短編映画祭ショートショート フィルムフェスティバル & アジア(当時の名称はアメリカン・ショートショート)です。今年の6月で18回目の開催なので、人間の年齢だと高校3年生になります。

ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2015の様子。レッドカーペットも華やか。

さて、なぜ僕が映画祭をはじめたのか? その話は1997年までさかのぼります。30歳を過ぎた僕は、自分の人生を見つめなおそうと長期の休暇をとってロサンゼルスへ向かいました。そこで出合ったのがショートフィルムです。「どうせ短編映画なんて……」と勝手な先入観を抱いていたのですが、実際に観てみると「映画は長さじゃない!」、画家のデッサン画のような素晴らしさと、有名な映像作家や俳優たちも、そのキャリアにおいて初めの一歩がショートフィルムであるという欧米の映像文化の現実を知り、興奮しました。どれもこれもエンターテインメント性にも優れ、同時に時代を映し出している。すっかりその魅力にはまってしまい、日本でもショートフィルムの魅力を広めたいと率直に思いました。

映画祭というフォーマットを選んだのはサンダンス映画祭に参加したことがきっかけです。まだ無名だったベン・アフレックやクリスティーナ・リッチがコーヒー片手に映画祭の参加者と感想を語り、監督とお客さんが直接触れ合えるというところに魅力を感じました。

開催期間中は海外からフィルムメイカーが来日します。

その後、実際に映画祭の開幕に向けて準備をすすめる訳ですが、目玉になる作品を探していた僕は、ジョージ・ルーカスの学生時代のショートフィルムがUSCのフィルムライブラリーにあることを知り、すぐさまEメールでルーカスフィルムにコンタクトしました。するとOKの返信がきたではありませんか! メールには「どんな人にもスタートがある。そのスタートをわたしたちは応援する」そう書かれていました。その感激たるや!

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