1955年、バルセロナのグエル公園を訪れたことをきっかけに、フランス系アメリカ人のアーティスト、ニキ・ド・サンファルは、自らの巨大な創作欲を解き放つ“庭”を夢見るようになった。カタルーニャの天才建築家アントニ・ガウディと同じく、彼女もまた、およそ20年という歳月をかけて、自然と一体化した空間をつくり上げていく。鮮やかな色彩や陶器の使い方、そして何より自由な創造精神──そこには、ガウディから受け継いだ確かな影響を見ることができる。
「天才建築家への一目惚れであり、まさに啓示だった──」。ニキ・ド・サンファルは、1955年にバルセロナのグエル公園を訪れたときの衝撃を、そのような言葉で振り返っている。公園を手がけたのは、アントニ・ガウディ。25歳だったニキは、まだ芸術活動を始めたばかりで、おもに絵画を制作していたという。その後1960年代になると、ライフルで絵画を撃つ「ティール(射撃)」シリーズのパフォーマンスや、ふくよかな女性たちが踊る巨大彫刻「ナナ」シリーズによって、世界的な名声を得ることになる。
しかし、自身の「庭」という夢を実現するまでには、さらに20年を待たなければならなかった。彼女にとって庭園とは、楽園であり、子ども時代を思わせる場所だった。また、グエル公園を訪れたニキは、ガウディが用いた「トレンカディス」の技法に強く惹かれる。これは割れた陶器の破片を組み合わせて模様をつくるモザイク技法で、彼女はすぐに自身のコラージュ作品へ取り入れていった。
---fadeinPager---
「タロット」をテーマに、22体の作品を配置
CNRS(フランス国立科学研究センター)の人類学者で、『ニキ・ド・サンファル ル・ジャルダン・デ・タロ』(Actes Sud、2010年)の著者でもあるメラニー・グラリエによれば、ニキがガウディに惹かれた理由は、巨大建築をつくりながらも、幾何学的なルールから解放されているように見える点にあったという。幼い頃から曲線的なフォルムに惹かれていた彼女は、次第に建築そのものへ関心を抱くようになる。
グエル公園について彼女は、「芸術は壁に掛けるものだけではないと理解した」と語っている。美術館展示やアートの商品化といった制約から自由になりたいと願っていた彼女は、その後長い年月をかけて、「人生の夢」と呼ぶ場所を思い描き続けた。
そして1978年、その夢を実現する機会が訪れる。友人の兄弟から土地を借り、トスカーナに理想的な場所を見つけたのだ。そして「タロットガーデン」のプロジェクトが始まった。
テーマにタロットを選んだのは自然な流れだった。彼女は長年、占いや神秘思想に強い関心を抱いていたからだ。庭園には、22枚の大アルカナそれぞれに対応する作品が配置されている。来園者は園内を自由に歩きながら、出会ったアルカナによって、自分自身の 「タロット占い」を体験できる。
来園者を最初に迎えるのは、「女教皇」の像だ。大きく口を開けた顔は、ボマルツォ庭園の怪物像を思わせる。長い蛇が沿う階段の上に立つその姿は、グエル公園のサラマンダーへのオマージュでもある。有機的なフォルムを持つこの彫刻は、コンクリートで造られた後、青を基調とした陶器片によって覆われている。その姿は、まさにトレンカディスを思わせる。
ガウディから取り入れたこの方法は比較的低コストで、大きな面積を短時間で覆うことができる。さらにサンファルは鏡の破片を加えた。彫刻全体を鏡で覆った作品もあり、周囲の緑を反射することで、自然と建築の境界を曖昧にしている。
「環境そのものを作品に取り込むことで、彼女は作品に動きを与えています」とメラニー・グラリエは語る。その特徴が特に詩的に現れているのが、「スキニーズ」と呼ばれるシリーズだ。中が空洞になった軽やかな彫刻で、骨組みだけが残されている。たとえば「月」では、空を見上げる女性の顔が表現されている。背景を流れる雲によって、その印象は刻々と変化していく。
---fadeinPager---
創造し響き合う、アートと建築
環境へのこうした配慮は、ガウディとの共通点でもある。ニキもまた、土地の地形を尊重しながら空間を整備した。敷地は、馬蹄形あるいはイタリア式劇場のような形をした旧採石場だった。彼女は外来植物を持ち込むのではなく、トスカーナにもともと存在する植生を生かすことを選んだ。
また、グエル公園からは、設計段階から来訪者を意識する姿勢も学んでいる。ガウディは、公園の建築に自然に溶け込むベンチを数多く設置していた。ニキもまた、彫刻周辺の岩の中に座る場所を巧みに隠している。
タロットガーデンには、ほかにもガウディを思わせる要素が見られる。「皇帝」の構造物は、城壁のような通路とアーケードを備えており、グエル公園の列柱ホール上部にあるテラスを想起させる。またサンファルは、ガウディと同じく色彩を巧みに操った。鮮やかな黄色やクラインブルーが視界に飛び込み、思わず触れたくなるキャンディのような存在感を放っている。
彼女の作品は喜びへの賛歌であり、子どもたちにも開かれている。「ニキ・ド・サンファルは子どもの世界に強く惹かれていました。それは自分自身の幼少期でもあり、母性との関係でもあります」とメラニー・グラリエは説明する。「「彼女は、“体験する芸術”をつくることで、作品との若々しい関係を取り戻していました。“楽しさ”は、彼女の芸術観の核にあったのです」
そして、従来のアートの観客とは異なる人々に向けて作品を開いていた点こそ、ニキとガウディが最も近づく部分かもしれない。ふたりはそれぞれ、建築にアートを持ち込み、アートに建築を持ち込もうとした。その根底には、大きな創造の自由があった。
「彼らには、自分たちの分野の境界を壊そうとする共通点がありました」とメラニー・グラリエは続ける。「彼らが重視していたのは観客です。そして、その観客は必ずしも芸術に慣れた人ではありませんでした。ガウディには、“限られた人だけのための芸術にはしたくない”という思想があったのです」
---fadeinPager---
人生の集大成となる、「新たな大聖堂」を求めて
その思想は、ガウディ最大の作品「サグラダ・ファミリア」にも色濃く表れている。この建築は、宗教建築に強い関心を抱いていたニキ・ド・サンファルにも大きな衝撃を与えた。彼女はグエル公園を訪れた直後、「新しい形の大聖堂を見つけなければならないと思った」と語っている。
ただし、ニキにとってそれは宗教そのものではなく、人間の創造力の到達点だった。そして同時に、「人生をかけた作品」でもあった。タロットガーデンは、彼女自身の大聖堂だったと言えるだろう。
建設にはおよそ20年が費やされ、1998年5月、一般公開が始まった。この巨大プロジェクトを実現するため、彼女は陶芸家、鉄工職人、ランドスケープデザイナーなど、さまざまな専門家とチームを組んだ。中世の大聖堂建築のように、創作を孤独な行為にせず、集団で進めることに喜びを感じていたのである。
そして、サグラダ・ファミリアの建設現場に併設された工房で晩年を過ごしたガウディと同じように、ニキ・ド・サンファルも1990年までの10年以上をタロットガーデンで暮らした。彼女は「女帝」の右胸の内部に寝室を設け、その下には浴室、さらに全面を鏡で覆ったキッチンもつくられていた。現在もそのまま残されている。
「ふたりとも、自らの作品に人生を捧げ、“夢の中で生きる”ことを望んでいました」とメラニー・グラリエは語る。そこには、強い創造の自由への意志があった。特にニキ・ド・サンファルは、自分の庭園を完全に自分自身のものとして守ろうとし、大規模なスポンサーに頼らず、自ら資金を集めた。現在、この場所は財団によって管理されており、来園者数についても、彼女の意志が引き継がれている。
ガウディのサグラダ・ファミリアは、創設者の死から100年以上が経った今もなお完成していない。その遺産は、驚くべき形で受け継がれている。一方、タロットガーデンの未来は、そこまで確かなものではない。ニキ・ド・サンファルの作品は巨大でありながら、素材自体は繊細で、保存は決して容易ではないからだ。いつの日か、ボマルツォ庭園のように、自然が再びタロットガーデンを完全に覆い尽くす日が来るのかもしれない。