【Penが選んだ、今月の読むべき1冊】
『オートコレクト』
エトガル・ケレット 著 広岡杏子 訳 河出書房新社 ¥2,970
どうして小説なんて読むんだ、どうせつくり話じゃないか。そう思っている人にこそ、この本を薦めたい。ほんの数ページの短編ばかりなのに、読み終えた時、世界の見え方が変わっていることに気づくだろう。
イスラエル生まれの作家、エトガル・ケレットは、短編の名手として知られている。本書に収録されているのは33篇。「世界の終わりにオリーブを食べる」なんて見開き2ページしかない。パラレルワールドから別れたはずの元カノがやってきたり、宇宙人たちに『ロミオとジュリエット』について熱く語ったりもする。そんなことは現実にはありえない、バカバカしいと思う? 確かに、設定はシュールでSFめいているかもしれない。でもそこに普遍的な真実が浮かび上がる。描かれているのは、私たちがもう失ってしまったもの、あるいはこれから失うかもしれないものについての物語なのだ。「もうとりかえしがつかない」と思う時の胸の奥をぎゅっと捕まれるようなあのやるせない気持ち、苦い悔恨や切なさを思い出せ。絶望に見えるかもしれないがあれこそが希望だ、愛にたどり着くための道なんだと、洒脱なユーモアにあふれた語り口で、手を替え品を替え、語りかけてくる。
既刊のエッセイ『あの素晴らしき七年』には、ホロコーストを生き延びた父のこと、戦争と隣り合わせの日常とそんな中でも子どもが生まれ、自分も父親になったことが綴られていた。
いま、世界は間違いなく崖っぷちにいる。のるかそるか。だとしたら、この短編集は世界が終わった向こう岸から送られてきた手紙だ。まだ間に合う、引き返せ。人は誰しも愛に至る道を本当は知っているはずだ、と。ほんの2ページでそれを言ってのける、ケレットの魔法のような手際を、ぜひご堪能あれ!