遠野の異界に誘われて、“シシ”として踊る移住者の記録【Penが選んだ、今月の読むべき一冊】

  • 文:印南敦史(作家/書評家)
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【Penが選んだ、今月の読むべき1冊】
『シシになる。 遠野異界探訪記』

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富川 岳 著 亜紀書房 ¥2,530 

著者はもともと、都内の広告代理店で働いていた人物。東京での暮らしにも馴染んでいたが、岩手県・遠野での地域活性プロジェクトに参画してから人生が変貌する。遠野に関する知識もなく、柳田國男の『遠野物語』も10ページで投げ出したにもかかわらず、気がつけば彼の地に移住することに。そして「よそ者」でありながら、妖怪や山人など天狗と“共存”する地域の人々に温かく迎えられる。近く濃すぎる人間関係に馴染めず地方移住を諦めた人の話はしばしば聞くが、彼は先入観なくすべてを受け入れられたのだ。

そんな中、『遠野物語』にも登場する「シシ踊り」のことを教えられる。シシとは鹿や猪、カモシカなど四つ足の動物の総称。牛の角、鹿の目、龍の鼻を持つ霊獣であるシシの面を被って踊るシシ踊りは、地域の催しに近い民俗行事だ。苦難の歴史を抱える遠野だからこそ生まれた「鎮魂のための芸能」であり、豊年踊りと神楽の山の神舞が融合した“ミクスチャー芸能”に、著者は魅了されてしまう。

しかも、当初は練習を見学するだけのつもりだったにもかかわらず、誘いを受けて練習に参加。遠野まつりでのシシ踊りデビューとなり、不思議な高揚感に包まれる。また、そんな流れを経て、遠野を盛り上げるべくパフォーマーを招聘したイベントを開催。さらには2頭の雄が雌を奪い合う決闘を表現した重要な演目である「雌じし狂い」に出演することになる。そして、柳田國男が『遠野物語』の最終話である119話目にシシ踊りの歌を“そっと置いた理由”にも気づくことになったのだった。

遠野が持つ神話性と、それらを大切に生きる人々、そのあり方に共鳴して尽力する著者など、すべての人々が共存し合うさまには強い説得力があり、読後に深い余韻が残る。

※この記事はPen 2025年10月号より再編集した記事です。