【Penが選んだ、今月の音楽】
『ジェイコブス・ラダー/トラベラーズ・プレイヤー』

現代音楽という狭い領域にとどまることなく、クラブミュージック、ジャズ、ロック、ヒップホップなど多彩な音楽に影響を与えてきたのが、今年89歳となるアメリカの作曲家でユダヤ人のスティーヴ・ライヒだ。
ミニマル・ミュージックと呼ばれる彼の作品は、難解な前衛音楽が潮流となっていた1960年代半ばのクラシック音楽に、気分を高めるリズムの反復と綺麗なハーモニーを蘇らせ、音楽史に大きな変革をもたらした。
80歳を超えてからも数年ごとに新作を発表しているだけで凄いが、いまも新しいチャレンジを続けているのだから驚くほかない。本盤に収録されたふたつの作品は旧約聖書から抜粋して歌詞を選んでいるのだが、その理由について、「“死”への準備をするため、覚悟を決めて目を背けることなく調査・研究してみようと思った」とライヒは語る。
東京での日本初演の模様が収録された「トラベラーズ・プレイヤー(旅人の祈り)」は、85歳で発表された作品。ライヒとしてはきわめて異例で、短い周期性で繰り返される“パルス”が存在しない。イタリアのシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝)で歌われるメロディを使用しつつもライヒ独自の手法で旋律が絡み合うことで天上のような浮遊感を醸し出す。古い聖歌の雰囲気が保たれると同時に、ブライアン・イーノの『空港のための音楽』にも連なる音楽でもあるので、アンビエント好きにも刺さるはずだ。
もう一作「ジェイコブス・ラダー(ヤコブの梯子)」は87歳での作品。こちらは“パルス”とともに進んでいくが、ライヒの音楽スタイルが解体されていき徐々に音楽の複雑さから解き放たれ、最終的には無に帰っていくかのよう……。これが辞世の句となってもなんら不思議ではない傑作だが、まだまだお元気そうなので新作にも期待したい。

※この記事はPen 2025年10月号より再編集した記事です。