【ニューバランス320】1976年に誕生、復刻が待たれる伝説のモデル

  • 文:小暮昌弘
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スニーカーに惹かれるようになったのはいつごろからだろうか?

そのきっかけになった雑誌が手元にある。1976年の『POPEYE』の創刊号だ。本号はカリフォルニア特集で、その中に、当時アメリカで一般化し始めていた「ジョギング」を紹介する記事があり、現地取材でジョギング、バスケットボール、テニスなどのスポーツ用につくられた数々のスニーカーが9ページにわたって取り上げられている。コンバースやアディダス、プーマといった既知のブランドに加え、ナイキやブルックスといった新鋭のブランドも並ぶ。ほとんどが見たことも触れたこともないモデルで、ナイキ「レザー・コルテッツ」が28ドル95セント、ブルックス「ヴィラノヴァ」が23ドル、アディダス「カントリー」が27ドル95セントと記されている。

同じ年のことだと思うが、原宿のインポートショップやサーフショップには並行輸入のナイキがようやく並び始め、ナイキの「コルテッツ」や「ブレイザー」の実物を手に取ることができたが、2万円近い価格で販売されていた。

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左は平凡出版(現マガジンハウス)から1976年に発売された『POPEYE』創刊号。右は同年12月発行の創刊第3号。私がニューバランスを初めて知ったのは、右の3号目の記事だった。

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スニーカー界に台頭してきたニューバランス

ニューバランスは、私の大好きなスニーカーのひとつだが、この創刊号には登場しない。『POPEYE』にニューバランスが初めて紹介されたのは、同年冬に発行された創刊第3号ではないだろうか。その号には、アメリカのランナー向けの専門誌『ランナーズ・ワールド』が年に一度行う「トレーニングシューズ・コンテスト」が紹介されている。人気投票ではなく、靴のつくりや素材、走行性などを独自の基準で格付けするものだ。その1977年版のトレーニングシューズ部門で、ニューバランスの「320」が、第1位に輝いたと記されている。私がニューバランスを知ったのは、この時だったと思う。 

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十数年前、原宿のスポーツ用品店で見つけた、中国生産の「320」。二度と入手できないかと思い、箱に入れたまま試着以外では一度も履いていない(笑)。

ランキングは58位まで掲載されており、ニューバランスは1位の「320」以外に7位の「220」、24位の「トラックスター」も選ばれている。記事では「アメリカ勢が巻き返し、とりわけニューバランスの進出が目覚ましい」と解説されていた。それまで優勢だったアディダス、プーマなどのドイツ勢、あるいは日本のオニツカタイガーに代わって、既に人気があったナイキではなく、ニューバランスやブルックスといったアメリカの新興ブランドが台頭してきたのだろう。正確には覚えていないが、翌年かその次の年には、ブルックス「ビラノヴァ」が同ランキングで1位を獲得したと記憶している。

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ニューバランスのアーカイブ展示会で出会った「320」。初期型らしく「Nロゴ」ではなく2本のラインがくり抜かれているだけ。翌年だったと思うが、この「320」に「Nロゴ」が採用される。つまり「320」は、ニューバランスで最初に「Nロゴ」が採用された記念碑的なモデルでもある。

周知のとおり、ニューバランスは1906年、米マサチューセッツで創業したシューズブランドだ。創業当初は矯正靴を中心とした革靴を製造していたが、1930年代からランニングシューズを手がけるようになり、一般ランナーに広く知られるのは1970年代に入ってから。1976年に開発された「320」は、前年の第6回ニューヨーク・シティ・マラソンでトム・フレミング選手が履き、2度目の優勝を飾ったことでも知られる。まだ一般販売前の段階で、PRの意味を込めて彼に「320」が供給されたのだろう。

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ロサンゼルスのフリーマーケットで偶然見つけたアメリカ製の子ども用「320」。値段は20ドルを言われたが、交渉して17か18ドルで譲ってもらった。いまでも現役で、家内がたまに履いている。

「320」の最大の特徴は、シューレース構造にある。「インステップレーシング」と呼ばれる、前足部には靴紐を通すレースホールがなく、中足部のみだけで靴紐を絞める独特のデザインで、レースホールは4対のみ。多くのシューホールを持つ他のトレーニングシューズとは一線を画すデザイン。足の甲だけを絞める構造で、足先の自由度が高く、靴擦れもしにくい。足首や踵をしっかりホールドしつつ、前足部は屈曲性をランナーに提供して走りやすい。当時としては革新的なテクノロジーを備えた靴だった。

専門誌で1位を獲得した新鋭のスニーカーを一目見たいと願ったが、当時の日本にはニューバランスは輸入されていない。実物を目にしたのは、その年か翌年。東京・六本木のロアビル近くの小さなスニーカーショップに「320」が並んでいたのだ。ガラスケースに収められたその姿は、雑誌の写真以上に迫力があり、まさに“異能”のトレーニングシューズだった。だが値札は4万円近く。学生の私には到底手が出ず、店をあとにしたことをいまも覚えている。

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アメリカ製やイギリス製がほかと異なる理由

当時の「320」はアメリカ製だったと思う。その後、一度だけ「320」はアメリカ製で復刻され日本でも販売されたと記憶しているが、残念ながら買い逃してしまった。以来、渡米のたびに探し続け、十数年前にようやく見つけたのは子供サイズの「320」。シュータンに「MADE IN USA」とある。アメリカでは「320」は子ども用までアメリカ製で復刻されていたのだ。

10年くらい前に、とある原宿のショップで、中国で生産された「320」を新品の状態で入手することができた。オリジナルのデザインを踏襲しながら、現代的に洗練されたモデルで、よく出来てはいたが、生意気な言い方で恐縮だが、70年代のオリジナルを知る自分には、どこか“お洒落すぎる”と感じられた。

同じ頃、ニューバランスのアーカイモデルを集めた展示会に招かれた時、「1300」「990」といった同ブランドを代表する名品に並んで「320」が展示されていた。もちろんアメリカ製だ。私が持つ中国製の「320」とは異なるボリュームあるフォルムと、実用性を突き詰めたディテール。そこにはニューバランスのランニングシューズ哲学が凝縮されているように思えた。これが、私が欲しかった「320」だ。

ニューバランスのアメリカ製やイギリス製が、ほかの地域製とは異なる表情を持つことは、スニーカー好きには周知の事実だ。

来年は「320」誕生からちょうど50年。どうだろう、当時と同じようにアメリカ製で「320」を復刻してもらえないだろうか。もし完全復刻が難しければ、現代のテクノロジーを取り入れたアップデート版でもいい。いやそのモデルもぜひ見てみたい。ニューバランス好き、スニーカー好きならこの気持ち、わかってくれるはずだ。

小暮昌弘

ファッション編集者

法政大学卒業。1982年から婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に勤務。『25ans』を経て『MEN’S CLUB』に。おもにファッションを担当する。2005年から07年まで『MEN’S CLUB』編集長。09年よりフリーランスとして活動。

小暮昌弘

ファッション編集者

法政大学卒業。1982年から婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に勤務。『25ans』を経て『MEN’S CLUB』に。おもにファッションを担当する。2005年から07年まで『MEN’S CLUB』編集長。09年よりフリーランスとして活動。