【保存版】ホンダ80〜90年代の名車図鑑! CR-X・シティ・ビート…グッドデザイン揃いのコンパクトカー

  • 文:小川フミオ
  • 写真:Honda
Share:

ホンダはおもしろい自動車メーカーだ。特に1980年代から90年代のプロダクトは、個性的なコンセプトが光る。

いまのホンダは、「カルトカー」(熱心なファンをもつクルマ)と呼ばれる「シビック・タイプR」はあるが、全体におとなしい。

当時のホンダ車の特徴を簡単にいうと、多様性に富み、活気に満ちていた。それが端的に表れていたのが、コンパクト車の分野だ。

am196806_n36002_01001H.jpeg
ホンダ初の量産車「N360」(1967〜71年)は354ccエンジン搭載のコンパクト。

1970年代にシビックで一世を風靡したホンダ。64年から68年にかけてのF1や、二輪レースに取り組んでいただけに世界的な評価は高く、シビックのヒットには、その背景も貢献していた。

類のないコンセプトが光ったのは80年代だ。まず81年の「シティ」。

am198110_city02_01002H.jpeg
「ホンダ、ホンダ」とマッドネスの面々が連呼するCFとともに企画力が光った第1世代の「シティ」。

当時英国でポスト・テクノとして流行していたスカのバンド、マッドネスを起用。彼らがステージでやる「ナッティトレイン」なるムカデ歩きの場面も、おおいにウケをとった。

83年には第3世代、通称「ワンダーシビック」も大ヒット。コマソンとしてルイ・アームストロングの起用は、マッドネスやトーキング・ヘッズ(86年)とは対極だったが、これも大評判だった。 

am198110_city01_06001H.jpeg
「シティ」にはトランクに収まる折りたたみ式50ccバイク「モトコンポ」のオプションが用意されていた(乗り心地は悪い)。

80年前半までホンダ車には、生産設備の関係で、ロングホイールベースがつくれない、という事情があったとか。

それが変わったのが1985年。2750mmのロングホイールベースを持つ「レジェンド」や、同年の2600mmの第3世代「アコード」が送り出された。

そのあたりから、ホンダの、セダンを中心とした上級志向が顕著に。「『これやったらおもしろいのでは?』なんて考えて企画したのでは」と思わせるような破天荒な印象は薄まっていった。

いまの時代は特に商業的失敗が許されず、クルマから“遊び”の要素は排除される傾向だ。

けれど可能ならば、第1世代の「シティ」とか「CR-X」のような、デザインにも機能にもすぐれるホンダならではのコンパクトが、いまも欲しい。

---fadeinPager---

シティ・ターボⅡ(1983〜86年)

平均年齢27歳のチームが開発したという触れ込みの第1世代「シティ」の登場は81年。 

am198310_city07_01001H.jpeg
バンパー一体型エアダム、ボンネットのパワーバルジ、ブリスターフェンダーで”武装”。

全高が3280mmと短いのに対して全高は1470mmの、自動車界ではトールボーイといわれるディメンションも大胆だった。

都市型ハッチバックとして企画は秀逸だったが、当時の1.2リッターエンジンはやや非力。 

am198310_city07_01003H.jpeg
1.2リッターターボの極限に挑んだ、とホンダではしていた。

ホンダは「パワフルなシティを」という声を予測していたのだろう。67馬力のシティに対して100馬力の「シティ・ターボ」を82年に発売して、これにも驚いた。

続いて110馬力の「ブルドッグ」なるニックネームの「ターボⅡ」を発売。ターボをさらに高性能化するインタークーラーまで装着していた。 

am198310_city07_02001H.jpeg
当時のホンダのオーディオ「Gathers」は独自規格で市販品と交換しにくかった。

もちろん、すっぴんのベースモデルに、シティのデザインのエッセンスが凝縮しているのは間違いない。

都市内での扱いやすさを考えて全長を切り詰める一方、居住性のため全高は高めに、というパッケージが“一にして全”だと思う。

am198310_city07_02002H.jpeg
ルノーが「5」で先鞭をつけた“ペタル”(花弁)タイプのシートを採用。

そこにあって、パワーを補うという点でシティ・ターボはともかく、ターボⅡのコンセプトは、クルマとしてみたらやりすぎ。

でもそれを言ったらスポーツカー不要論につながりかねない。こんなモデルがあるから、クルマはおもしろいのだ。逆に、なくなったら無味乾燥になってしまう。 

am198310_city07_01002H.jpeg
エンジンが4000rpm以下でスロットルを全開にすると過給圧を10秒間約10パーセントアップする「スクランブル・ブースト」搭載。

効率化の逆をいくシティ・ターボⅡの存在を、おおいに評価したい。

シティ・ターボⅡ
全長×全幅×全高:3420×1625×1470mm
ホイールベース:2220mm
車重:735kg
1231cc 4気筒SOHCターボ 前輪駆動
最高出力:110ps
最大トルク:16.3kgm
乗車定員:5名
価格:123万円(当時)
*出力とトルクの数値は当時発表のもの

---fadeinPager---

バラード・スポーツCR-X(1983〜87年)

「CR-X」の登場も衝撃的だった。ホイールベースもボディ全長もコンパクトだが均整のとれたスタイルが目をひいた。

am198306_crx002_01001H.jpeg
「既成のクルマ概念にとらわれずに」開発したとうたわれていた。

第1世代は車名に、「シビック」セダンである「バラード」とついていた。派生車集というポジションだったのだ。

バラードの2480mmのホイールベースは2200mmに切り詰められ、室内は2人乗り。

背後には「1マイルリアシート」と呼ばれる、ヒップのところだけ凹んだようなスペースが設けられていた。1マイルとは1.6kmなら座っていられるという意味だ。

am198306_crx003_02001H.jpeg
すべりにくい素材で張られたスポーティな形状のシートで、背後に1マイルシートがそなわる。

「エマージェンシーのときのため」とホンダ自ら定義していたように、たとえ500mでもここに座っているのは苦痛だった。

4830623_003H.jpeg
量産乗用車世界初のルーフ・ラム圧ベンチレーション仕様も選べた。

ルーフの後端の一部が開いて外気を室内に導入する「ルーフベンチレーション」も用意されていた。

乗用車界初という触れ込みだったが、自動車ファンは、60年代にイタリアのアバルト車が採用していた潜望鏡型のルーフベンチレーションを即座に連想した。

エンジンは1.3リッターと1.5リッター。ホンダは「デュエットクルーザー」なるコンセプトを打ち出していた。 

am198306_crx002_01005H.jpeg
世界初の「電動アウタースライド・サンルーフ」も用意されていた。

もうひとつ、ユニークな技術が「アウタースライディングルーフ」。ルーフの一部が電動で開くのだが、CR-Xではルーフの内側でなく、外にスライドしていく。

課題があったら、コンパクトなクーペに合うようにアレンジしていく。そこがCR-Zの最大の見せ場だったのだ。 

am198306_crx002_02001H.jpeg
三角形のメータークラスターの意匠はユニークだが、スポーティさには欠けていた。

CFの楽曲はポップなサロンミュージック。若いユーザーに軽快な気分でクルマに乗ることを勧める。そんな目的が感じられた。

84年に1.6リッターエンジン搭載のスポーティな「Si」仕様が追加。パワフルになったが、乗り心地の改善という課題はずっと残った。

不幸といえば、80年代半ば以降は、クルマがどんどん高性能化していき、ユーザーもそれを求めていた。 

am198306_crx002_01006H.jpeg
リアシートを倒すと荷物のために310リッターと比較的大きな空間が生まれるのだった。

軽快でキュートな第1世代は、だんだん市場の要請と合わなくなっていった。でも合わせる必要はなかったのではないか、と私はいまも思う。

しっかりしたコンセプトで、質感の高いデザインで、魅力は薄れていない。

バラードスポーツCR-X 1.5i
全長×全幅×全高:3675×1625×1290mm
ホイールベース:2200mm
車重:830g
1488cc 4気筒SOHC 前輪駆動
最高出力:110ps
最大トルク:13.6kgm
乗車定員:4名
価格:127万円〜(当時)
*出力とトルクの数値は当時発表のもの

---fadeinPager---

トゥデイ(1985〜93年)

ホンダは第1世代の「トゥデイ」でもって、11年ぶりに軽自動車市場に復帰した。

am198509_tdy002_01001H.jpeg
シティ・ターボⅡなど一部のホンダ車はナンバープレートを中心からオフセットした位置につけるなど凝っていた。

おもしろかったのは、どうせだったらホンダらしいモデルを、と言わんばかりのコンセプトだ。

軽自動車のパッケージングは通常、「シティ」のようなトールボーイが合うのだけれど、トゥデイはその逆。

ホイールベースは長く、ボディ全高は低い。 

am198509_tdy002_01002H.jpeg
ホンダが唱える「M・M(マシンミニマム・マンマキシマム思想」で設計されていた。

当時ヒットしていたダイハツの軽自動車「ミラ」の全高が1370mmだったのに対して、トゥデイは1315mmにとどまる。

それで窮屈かというと、意外や、そうでもない。

左右輪の幅をはじめ、各部を極力ひろげて「広くゆったりとした居住スペース」をホンダではうたっていた。 

am198509_tdy002_02002H.jpeg
商用目的の軽自動車とは思えないほど凝っていた(写真の仕様は4人乗り)。

フロアの一部にサイドシル一体成型構造を採用することで、室内高はなるべく余裕をかせぐ、といった凝った設計だ。

見た目も個性的。丸型ヘッドランプ、短いノーズ、シングルワイパーなど、プロポーションとともに凝っている。

余計なボディラインなどを排し、当時の軽自動車につきものだったペラペラ感とも無縁。

am198509_tdy002_01003H.jpeg
ホンダが久しぶりに手掛けた軽自動車であるトゥデイは質感が高かった。

黄色い軽自動車用ナンバープレートがなければ、ひとクラスかふたクラス上のクルマのようだった。

ホンダは維持費の問題からトゥデイを商用車カテゴリーで発売。ネガは後席がないこと。4人乗り仕様でも居心地が悪かった。

前席専用と割り切れば、商用車につきものの、硬い脚まわりなどとも無縁で、けっこう快適なドライブができた。 

am198509_tdy002_02001H.jpeg
操作系の基盤をなるべくまとめるなど機能主義的な設計だが、デザインが犠牲になっていない。

軽自動車の割り切りというより、必要があってこのサイズを設計したというような、メーカーのこだわりが魅力である。

トゥデイ
全長×全幅×全高:3195×1395×1315mm
ホイールベース:2330mm
車重:550g
545cc 2気筒SOHC 前輪駆動
最高出力:31ps
最大トルク:4.4kgm
乗車定員:2名
価格:54万8000円〜(当時)
*出力とトルクの数値は当時発表のもの

---fadeinPager---

ビート(1991〜96年)

ミドシップ2シーターのスポーツモデルが「ビート」。軽自動車規格というのがユニークだ。

am199105_beat01_01002H.jpeg
理屈抜きに楽しく街のコミューターとなるようなクルマをめざしたという。

80年代から90年代にかけてのホンダ車というと、常にテレビコマーシャルが印象的。

ビートは、リドリー・スコットの名作「ブレードランナー」に登場するレプリカント風メイクの女性と、もうひとり、リチャード・アベドンによる「アダム・エ・ロペ」のテレビCMをオマージュした(と思う)人物が登場。

原由子が謳う「じんじん」の軽快なリズムに乗せて画面が展開し、最後に「遊んだ人の勝ち。」と出る。

たしかに、にやりとするコンセプトの、遊びのあるコマーシャルだった。

am199105_beat01_01001H.jpeg
ボディはフロントオーバーハングがほとんどないのがデザイン上の特徴。

クルマは、まじめに遊べるように、コンパクトスポーツカーとして、しっかりつくり込んであった。

実際にビートは760kgと比較的軽量な車体に、当時軽自動車のマックスであった「64ps」の3気筒エンジン搭載。クイックなステアリング特性と、パンチのある加速性でもって、よく出来たクルマだった。

ソフトトップの理由はエンジンの騒音を逃がすためだったか。日本では閉めて乗るひとが多かったが、ひとつ得した気分が味わえた。 

am199105_beat01_02002H.jpeg
「サバンナを爽やかに駆け抜けるシマウマをモチーフにした」というシート表皮のデザインも印象的。

荷物を置くスペース室内にないのは、ミドシップのパッケージング上、仕方のないことだったろう。

フェラーリやランボルギーニが、「室内に手荷物が置けるスペースを確保した」と言うようになったのはここ数年のこと。スポーツカーとは、乗ること自体を楽しむものなのだ。

am199105_beat01_02001H.jpeg
3眼メーターはステアリングコラムに置かれていて、ホンダでは「二輪をイメージした」としていた。

ホンダは2015年から22年にかけて、ビートと同様のコンセプトを持った軽規格のオープン2シーター「S660」を手掛けていた。

こんなコンセプトこそ、私たちが必要としているものなのだ。 

am199105_beat01_01003H.jpeg
ミッドシップ・フルオープンモノコックボディのコクピット背後にエンジンを搭載して後輪を駆動。

ビート
全長×全幅×全高:3295×1395×1175mm
ホイールベース:2280mm
車重:760g
656cc 3気筒SOHC ミドシップ後輪駆動
最高出力:64ps
最大トルク:6.1kgm
乗車定員:2名
価格:138万8000円(当時)
*出力とトルクの数値は当時発表のもの

---fadeinPager---

シビック(1972〜79年)

最後に紹介させていただくのは、ホンダのひとつの原点である第1世代の「シビック」。

am197508_cvc402_01001H.jpeg
米国が主市場の一つだったホンダはCVCCエンジンをシビックに搭載し、米の排ガス規制に即座に対応した。

必要なものが必要だけついている、機能主義的な設計だが、バランスがよく、いまでも見劣りがしない。

72年に発表されて、日本版ミニ(英国車)とも言いたいスマートな存在感でいちやく人気になった。

私の母方の実家は三河(愛知)で、一家で複数所有の当たり前だった。

70年代は、家長がクラウンで、それ以外の家族は(なぜか)トヨタ車以外。妻である叔母は深い緑のシビックを選び、とても気に入っていた。 

am197410_cvc306_01001H.jpeg
ファンに惜しまれながら退場した「RS」。

シビックは鳴り物入りで登場し、74年にはパワフルなエンジンと5段MTのスポーティな「RS」グレードも追加された。

ところが、73年のいわゆる第一次石油ショックと、米国の排ガス規制の影響で、ホンダは急遽路線を変更。排ガス中の一酸化炭素や窒素化合物を減らした「CVCC」なる「低公害」エンジンを開発してシビックに搭載した。

若者を中心に歓迎されたRSも、あおりを受けて生産中止。ラインアップにあったときは「レーシングスポーツ」でなく「ロードセーリング」の頭文字と、苦しい解釈を提供していた。

ホンダの技術者はかわいそうだった。 

am197508_cvc204_02001H.jpeg
ダッシュボードはシェルフになっていて機能性も高くデザインがよかった。

シビックはいまはりっぱな車格に成長したが、2024年に、マニュアル変速機搭載の「RS」が追加された。こちらもロードセーリングとうたわれている。

シビックには世界的に人気の高い「タイプR」もあるし、ずっとホンダの看板車種であり続けている。

シビック(市民の)の車名は世界中のユーザーの日常的パートナーになることを目指してのものだったはず。

am197508_cvc309_01003H.jpeg
ガラスハッチは当時新鮮なデザインだった。

いまなら、車型的にはSUVがシビックの名にふさわしいかもしれないが、ホンダらしい、あっと驚くようなコンセプトをシビックの名の下に見せてほしいものだ。

シビックGL(CVCC)
全長×全幅×全高:3695×1505×1325mm
ホイールベース:2280mm
車重:730g
1488cc 4気筒SOHC 前輪駆動
最高出力:73ps
最大トルク:10.5kgm
乗車定員:5名
価格:74.1万円〜(当時)
*出力とトルクの数値は当時発表のもの