「大人の名品図鑑」サンダル編 #3
夏の装いに季節感と軽やかさを添えるのが“サンダル”だ。素足で履けば開放感を楽しめ、ソックスと合わせれば個性的な足元を演出できる。さらに近年は、スニーカー感覚で履けるスポーツサンダルも人気だ。今回は、そんなサンダルの中から3つの名品にスポットを当てる。ポットキャスト版を聴く(Spotify/Apple)
ビーチサンダルといえば、夏の定番の履物。では、そのルーツはどこにあるのだろうか。ハワイ?アジア?あるいは南米あたり?――そう思う人も少なくないだろう。
実は、ビーチサンダルが誕生したのは日本だ。誕生の経緯には諸説あるが、そのひとつとして、第二次世界大戦後の復興事業のために来日していたアメリカ人工業デザイナー、レイ・パスティンの関与が語られている。
仕事の傍ら、彼が強く興味を持ったのが、暑くても蒸れず、脱ぎ履きがしやすい日本の草履や下駄といった伝統的な履物だった。パスティンは製品化を模索する過程で、兵庫県長田区の「内外ゴム」と出会い、同社が開発した軽量で弾力性があり、水を通しにくい「独立気泡スポンジゴム」という画期的な素材を手にする。この素材を用いて試作を重ね、1952年、ついに世界初のビーチサンダルが完成した。
日本の草履などは左右同じ形状だったが、パスティンが設計したサンダルは、左右の足に沿った形状を備え、草履よりずっと履きやすく、歩行も快適になった。翌年には早くもビーチサンダルの輸出が始まり、ハワイでは1ヶ月で10万足を売り上げる大ヒットとなる。やがて周辺の工場でもビーチサンダルを生産が始まり、神戸の長田区は一大産地へと発展。1960年代のピーク時には年間1億足を超えるビーチサンダルが世界へと送り出されたという。しかし人件費等の高騰などにより、生産拠点は徐々に海外へ移転。1995年の阪神淡路大震災では、長田区にあったほとんどの製造工場が壊滅的な被害を受け、国内生産はついに完全に途絶えてしまった。
メイド・イン・ジャパンを追求する、熱意あるものづくり
そんな歴史を持つビーチサンダルの国内生産を復活させたのが、九十九(つくも)の代表の中島広行だ。前職からビーチサンダルに関わっていた中島は、日本発祥であるビーチサンダルが失われることに危機感を抱き、その可能性を信じて国内で製造できる工場探しを始める。そして巡り合ったのが、兵庫県加古郡稲美町にある兵神化学という会社だ。同社は昭和初期には長田区でビーチサンダルを製造していた歴史があり、震災後の焼け跡から金型を掘り出し、大切に保管していたという。中島はこの工場と共に国内生産を再開し、2013年に専門ブランドの九十九を創業。以来、日本で唯一継続的にビーチサンダルを生産するブランドとして注目を集め、セレクトショップとの協業や他ブランドとのコラボレーションも展開。近年では海外からのオーダーも増えていると、中島は話す。
九十九のビーチサンダルの最大の特徴は足入れの良さを追求している点にある。「足の裏にピタッとくっつくような履き心地」「一日中履いても疲れないクッション性」———これこそ、九十九が求める理想のビーチサンダルだ。ソールの素材には合成、天然ゴムやEVAなどがあるが、九十九では耐久性とクッション性を重視して合成ゴムを採用しているものがほとんど。また、鼻緒は天然ゴム製で、足指が痛くならないよう設計されている。内側を短めにする独自の長さ設定と、親指寄りに開けられた穴位置により、足の甲全体をやさしく包み込む履き心地を実現している。さらに「台」と呼ばれるソールの形状も工夫されており、つま先まで同じ厚さの「フラット型」ではなく、踵を高くした伝統的な「テーパー型」を採用し、歩きやすさを追求している。もちろん、素材のカッティングから仕上げまで、すべての工程を昔ながらの手作業で行われている。ビーチサンダルづくりにおける日本の知恵を歴史、そしてこのサンダルに賭ける熱意が、九十九の一足に凝縮されているのだ。
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