政治に翻弄された家族の姿を、実話をもとに静かに綴る『アイム・スティル・ヒア』ほか【今月の映画3選】

  • 文:森 直人(映画評論家)
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今月のおすすめ映画①『アイム・スティル・ヒア』
政治に翻弄された家族の姿を、実話をもとに静かに綴る

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ウォルター・サレス監督は少年期にパイヴァ家と親交があり、子どもたちとは友人だったという私的な思いが本作の出発点になっている。第81回ベネツィア国際映画祭で最優秀脚本賞を受賞するなど絶賛を浴びたが、本国で異例の国民的大ヒットを記録したことも話題となった。

第97回アカデミー賞で国際長編映画賞を受賞。ブラジル出身の名匠ウォルター・サレス監督が、軍事独裁政権下の祖国で起きた有名な事件を映画化した。1971年、元国会議員のルーベンス・パイヴァが反体制派の容疑をかけられ、突然消息を絶った。その理不尽な弾圧を、夫の行方を追い続けた妻エウニセの肖像を軸に描く。原作は事件当時10代の少年だった、彼らの息子である作家、マルセロ・ルーベンス・パイヴァの著作。

物語は1970年のリオデジャネイロから始まる。両親と5人の子どもたちで裕福な暮らしを送るパイヴァ家には幸福な時間が流れていた。長女ヴェロカの部屋には、ゴダールの映画『中国女』やロックミュージシャンなど多数のピンナップがにぎやかに並んでいる。だが外の世界では政情不安が激化し、やがて運命は一変。活動が問題視されたルーベンスが軍に強制連行される場面では、軍に追われて亡命したカエターノ・ヴェローゾが英国で発売した『イン・ロンドン』のレコードジャケットが象徴的に映る。

血塗られた圧政の歴史を扱うが、この映画は直截的な暴力場面をあえて避けている。余白や沈黙の力を活かし、政治に翻弄された家族、そして夫を奪われたエウニセという女性の粘り強い闘いを静かに綴る物語だ。主演はサレス作品の常連であるフェルナンダ・トーレス。人権弁護士となり国の責任追及を続けるエウニセの姿が圧巻だ。

時制は事件から25年後の1996年、さらに2014年へと飛ぶ。老年期のエウニセを演じるのは、サレス監督の『セントラル・ステーション』に主演したトーレスの実母フェルナンダ・モンテネグロ。娘から母へとバトンを手渡す――美しいコーダを奏でるこの共演にも、胸を打たれずにはいられない。

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© 2024 VideoFilmes/RT Features/Globoplay/Conspiração/MACT Productions/ARTE France Cinéma

『アイム・スティル・ヒア』

監督/ウォルター・サレス
出演/フェルナンダ・トーレス、セルトン・メロほか
2024年 ブラジル・フランス映画 2時間17分 8/8より新宿武蔵野館ほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。

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今月のおすすめ映画②『サタンがおまえを待っている』
昨今の陰謀論にも通じる、悪魔崇拝に迫ったドキュメンタリー

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© 666 Films Inc.

1980年代、北米を中心にサタニック・パニックと呼ばれる悪魔崇拝への過剰な糾弾と恐怖現象が巻き起こった。その集団ヒステリーのきっかけになったベストセラー本『ミシェル・リメンバーズ』の闇に迫ったドキュメンタリーが本作。ローマ教皇、警察、FBIらをも巻き込み、荒唐無稽な話が真実として跋扈するさまは、昨今の陰謀論やフェイクニュースの蔓延に通じるもの。情報操作とそれに踊らされる人々へ、警告を突き付ける必見作だ。

『サタンがおまえを待っている』

監督/スティーヴ・J・アダムズ、ショーン・ホーラー
出演/ミシェル・スミス、ローレンス・パズダーほか
2023年 カナダ映画 1時間30分 8/8より新宿シネマカリテほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。

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今月のおすすめ映画③『蟲』
珍奇なアニメーションで成す独自世界!異端作家による最後の長編劇映画

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© Athanor Ltd.

熱狂的ファンを世界中に持つチェコの異端映像作家、ヤン・シュヴァンクマイエル。2018年に完成させた、彼が「最後の長編劇映画」と称する集大成の一本が待望の劇場公開となる。チャペック兄弟の戯曲『虫の生活』に取り組む小劇団のリハーサル光景を軸にシュールな入れ子構造が展開。お馴染みの珍奇なアニメーション技法も駆使され、奇想天外な笑いと衝撃を生む。貴重なドキュメンタリー『錬金炉アタノール』や『クンストカメラ』も同時公開。

『蟲』

監督/ヤン・シュヴァンクマイエル
出演/ヤロミール・ドゥラヴァ、カミラ・マガロヴァーほか
2018年 チェコ・スロバキア映画 1時間38分 8/9よりシアター・イメージフォーラムほかにて公開
※公開時期・劇場などが変更される可能性があります。

※この記事はPen 2025年9月号より再編集した記事です。