【Penが選んだ、今月の読むべき1冊】
『裸のランチ 完全版』

動くウィリアム・S・バロウズを観た。今年リバイバル上映された映画『バロウズ』(1983)で、三つ揃いのスーツを着て老紳士然としたこの人の底知れぬ不穏さを物語るのは、ほとんど感情を映し出すことがないブルーグレーの瞳かもしれない。デヴィッド・ボウイやカート・コバーン経由でこの作家にたどり着いた人もいるだろう。
なにしろデビュー作が自らの実体験をもとにした『ジャンキー』である。代表作『裸のランチ』もドラッグと同性愛を描いた過激な描写で59年の出版当初は発禁処分になっている。その後何度も改訂を繰り返し、翻訳も鮎川信夫訳をバロウズ研究で名高い山形浩生がブラッシュアップして更新してきたが、今年、バロウズ原作の映画『クィア』(監督はルカ・グァダニーノ)の公開に合わせて『ジャンキー』と『裸のランチ』の完全版が相次いで刊行され、絶版だった『クィア』の改訂版も出た。バロウズを読むなら、2025年の夏はまさにうってつけなのである。
とはいえ『裸のランチ』のあらすじはあってないようなもの。麻薬中毒者のウィリアム・リーがインターゾーンと呼ばれる謎の国に逃げ込むと、キメてる人間の遭遇した出来事が時系列もバラバラに語られていく。シュールでグロテスク。しかし、バロウズの小説はどんなに過激でも破滅的な実人生がベースになっている。裕福な名家に生まれ、ハーバード大学に進学しながらドラッグに溺れ、“ウィリアム・テルごっこ”をして妻を射殺。メキシコやモロッコのタンジールで放蕩三昧。反体制的な生き様でヒッピー世代のカルト・アイコンに祭り上げられ、ジャック・ケルアック、アレン・ギンズバーグとともにビート・ジェネレーションを代表する作家になった。処方箋のない読む劇薬のような一冊を、ぜひお試しあれ。
※この記事はPen 2025年9月号より再編集した記事です。