指揮の魔術師が描く、透明かつ濃密な新ブラームス『ブラームス:交響曲全集』【Penが選んだ、今月の音楽】

  • 文:小室敬幸(音楽ライター)
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【Penが選んだ、今月の音楽】
『ブラームス:交響曲全集』

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古楽の巨匠ジョン・エリオット・ガーディナーはバッハやモンテヴェルディの解釈で知られる指揮者。名門コンセルトヘボウ管弦楽団と挑んだブラームスの交響曲全集は、古楽的視点とモダン楽器による新解釈が融合した意欲作。響きと緊張感が共存するライブ録音。 © Hans van der Woerd

#MeToo以降、権力が集まりがちな指揮者が何人も活動自粛に。とりわけ悪質だとみなされたのは被害者が未成年だったレヴァインで、事実上の追放となったまま2021年に死去。近年も指揮者のスキャンダルは後を絶たないが、ハラスメントと一言でいっても内容次第で社会的な制裁には大きな差が出ている。

現在82歳のジョン・エリオット・ガーディナーは2023年8月、共演した歌手が退場する扉を間違えたことに激昂し平手打ち。公式に謝罪し、被害者とも和解したようだが、これまでも内部に問題があったのだろう。自ら創設した管弦楽団なのに追い出されてしまった。ところがこの対応に“逆ギレ”したガーディナーは自費で新しく団体を結成。古巣の演奏ツアーに同じ曲目をぶつけるという嫌がらせに出た。マスメディアの報道では非難の声が集中したが、それでも古巣を辞めて彼に付いていった演奏家もおり、新しい団体の公演には満員の聴衆が押しかけ、スタンディングオベーションになったという。褒められた話ではないが、人々の倫理観を揺るがすほど、彼の音楽には抗えぬ魔力があるのだ。

事件前に録音された本盤も、他の演奏には代えがたい魅力を放つ。ブラームスは長らく重厚な作風で知られてきたが、近年は透明感ある演奏で印象を刷新しようとする動きもあった。いずれも物足りなさが残ったが、今回は透明感と濃密さを兼ね備えた決定盤。古楽系の指揮者が透明な音色と速めのテンポをとるとあっさりしがちだが、大胆な緩急により感情表現も伴うのが実に新鮮。料理にたとえれば出汁の旨味が濃く、パンチ力もあるといったところ。第3番は特に秀逸で、諦念に抗う情熱が爆発。他の3曲も名演揃いなだけに、これ以上の失望を招く行動は慎んでほしいのだが……。

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ジョン・エリオット・ガーディナー ユニバーサル ミュージック/グリーン・カラー・レーベルコート UCCG-45123/5[UHQ-CD] ¥6,050

※この記事はPen 2025年8月号より再編集した記事です。