なぜ、いまも人はフィルムに惹かれるのか──静かな熱を宿す場所、パリ20区の「The Analog Club」を訪ねて

  • 文、写真:ジスマヌ・レベッカ(Pen International)
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The Analog Clubは、フィルムカメラの専門店、書店、ギャラリー、そして暗室がひとつになった複合スペース。パリ20区、メニルモンタンに拠点を構える。

スマホで十分? そんな時代に人がフィルムに惹かれるのはなぜだろうか──その答えは、パリ20区の「The Analog Club」にある。カメラ店、ギャラリー、暗室がひとつになったこの空間は、フィルム写真の魅力を再発見できる場所だ。

デジタル文化が主流となるいま、その潮流に逆らうように登場したのがフランス・パリの「The Analog Club」だ。店舗であり、ギャラリーであり、暗室でもあるこの空間は、フィルムという物理的なメディアを通して、より丁寧で意識的な写真表現を提案している。

主な来訪者は、フィルム初心者である25〜35歳の若者たち。レストアされたフィルムカメラの選び方をスタッフが親身にアドバイスし、撮影やプリントの基礎を学べるワークショップも用意されている。
もともとはSNSでつながったコミュニティだったが、いまでは写真集のリリースイベントや企画展などを通じて、実際に人々が集う場へと発展している。

フィルム写真の復権を掲げ、The Analog Clubが登場したのは2016年、意外にもInstagram上だった。毎日1枚、フィルムらしい質感や空気感を捉えた写真を投稿し続けることで注目を集め、やがて世界中で17万5千人以上のフォロワーを獲得した。

若い世代のあいだでフィルム写真への関心が再燃していることを実感した創業者たちは、リユースカメラのオンライン販売をスタート。さらに、初心者向けのスターターキット「The Analog Box」を開発した。ユーザーが選んだカメラに数本のフィルムとフィルム写真の入門ガイドをセットにしたもので、フィルムのある暮らしへの入り口を提供している。

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ショップ開業に先駆けて話題となった「The Analog Box」は、フィルム写真の初心者に向けたスターターキット。カメラ、フィルム、電池、ストラップ、ステッカー、入門ガイドをひとまとめにしている。

展覧会のキュレーションを手がけるほか、代表的なイベント「The Analog Days」を立ち上げた。2週間にわたって開催されたこのプログラムでは、フィルム写真の魅力を体験できるワークショップや、プロから直接アドバイスを受けられるポートフォリオレビュー(作品講評会)などを実施。会場は、プリントやカメラを販売するショップとしても機能し、多くの来場者でにぎわいを見せた。

オンライン発のコミュニティがリアルなつながりへと広がるなか、常設の拠点が必要という機運が高まっていく。そして2024年末、The Analog Clubはパリ20区のメニルモンタン地区に初の実店舗を構えるに至った。

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The Analog Clubの店内を占めるのは、カメラだけではない。初心者にも開かれた空間を目指し、プリント作品や書籍、自主制作のZINEなどが豊富に並ぶ。

「良いカメラとは、実際に使われるカメラのこと」

1階には、修理技術者のクレマン・ラコンブが手がけたリユースカメラのコレクションが展示されている。カメラ1台を蘇らせるには、診断から分解、再組み立てまで、およそ1時間半から5時間。新品同様の精度で動くまで、丁寧に手が施されている。

「フィルム写真を始めるという行為自体が、すでにひとつの意思表示なんです」と、修理とカメラに情熱を注ぐラコンブは語る。「だからこそ、信頼できる道具を提供して、技術的なハードルはできるだけ下げたい」

ラインナップの中心は、1960〜80年代に製造された一眼レフカメラ。しっかりとした構造で、部品交換や修理がしやすいモデルが選ばれている。「きちんと手入れをすれば、私たちより長く生きる可能性だってあります。これらは“長く使う”ことを前提に設計された、美しい機械なんです」

その反対が1990〜2000年代に流通したコンパクトカメラ。最近再び人気を集めてはいるものの、プラスチック製のパーツや電子制御部品が多く、修理が難しい構造のため、やがて姿を消していく運命にあるという。

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一眼レフからコンパクトなポイント&シュートまで、リユースされたフィルムカメラが幅広く揃う。

初めてフィルムカメラを選ぶとき、あまりに多くの選択肢があって戸惑ってしまう人も少なくない。そんなとき頼りになるのが、The Analog Clubのスタッフたちだ。

カメラを探す人には、店頭で30分間の個別セッションを用意。事前にオンラインで予約すれば、専門スタッフが希望に合わせてモデルを提案し、実際に手に取って試せる機会が得られる。

「僕たちにとって“良いカメラ”とは、誰かに実際に使ってもらえるカメラのことなんです」と語るのは、共同創業者のひとり、レオポルド・フルコニス。「仕上がりに満足できて、使っていて楽しいこと。テクニカルな操作を重視する人もいれば、もっと直感的に使いたい人もいる。どちらのニーズにも応えられるようにしています」

初心者におすすめなのは、扱いやすいセミオートの一眼レフに、明るい50mm F1.8レンズを組み合わせたシンプルなセットアップ。写真の世界に無理なく入っていける構成だ。

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修理技術者のクレマン・ラコンブは、撮影スタイルや好みに合わせて、ひとりひとりに最適なアドバイスを行っている

一部のカメラは、すでに“定番”として高い人気を誇っている。たとえば一眼レフではキヤノンAE-1やニコンFM2、コンパクト機ではオリンパスのミューシリーズなどが象徴的な存在だ。

The Analog Clubでは、こうしたヴィンテージモデルに加え、ペンタックスの復刻モデルや、使い捨てカメラ風のルックスをもつ再利用可能なプラスチック製カメラなど、新品モデルも取り扱っている。手頃な価格帯とシンプルな操作性が魅力だ。

「多くの人にとって、フィルムカメラを持つこと自体が目的ではなく、写真を撮ること、現像し、プリントするという一連のプロセスそのものが楽しいんです」と、クレマン・ラコンブは語る。「最終的な仕上がりはどうであれ、その過程を楽しむことがひとつの趣味になる。それがフィルム写真の魅力だと思います」

当時の機材を使って、プリントの基礎を学ぶ

The Analog Clubは、初心者だけでなく、かつてフィルム写真に親しんできた経験者にも門戸を開いている。フィルム世代の来訪者たちは、かつての感覚をもう一度味わいたい、あるいは同じ関心をもつ人と交流したいという思いで店を訪れる。

 店内には、カメラ本体のほかにも選び抜かれたアクセサリーや、個性的なフィルムが並ぶ。たとえばパリで製造されている「Sunbath」は、映画用フィルムとして知られるKodak Vision3を写真用に仕立てたものだ。中でも目を引くのが、ブルターニュ地方で生産される「Washi」フィルム。日本の和紙をベースに手作業で仕上げられており、プリントには独特の質感と深みが生まれる。 

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ブルターニュで作られる和紙フィルムは、日本の和紙ならではの質感で、唯一無二のプリント表現を生み出す。

フィルム写真の“撮る”を超えて、その先にある楽しみに触れたい人にとって、地下にある暗室「Le Sel」は、プリントの世界への理想的な入り口だ。

創設者のティボー・ピエルは、自ら各地を巡って探し出し、修復したヴィンテージの引き伸ばし機を並べた。いまでは入手困難なこれらの機材は、扱いに少し技術を要するものの、かつての作業を思い起こさせる所作や音が、独特の情緒を生み出している。たとえば壁に掛けられたダイヤル式のタイマーは、静かに時を刻むカチカチという音で、空間にリズムをもたらす。

ピエルは初心者向けの現像・プリント講座も開いており、基礎を学んだ人は、この空間を自由に使えるようになる。暗室を同時に利用できるのはふたりまでに限定され、多くの場合、そこに集うのは初対面同士だ。

ある日この場で出会った若い女性ふたりは、プリント作業をきっかけに親しくなり、いまでは親友になったという。暗室という静かな空間は、いつしか自然と会話が生まれ、互いに助け合う場にもなっている。

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地下の暗室「Le Sel」では、初心者が現像やプリントを基礎から学べる。ティボー・ピエルが修復したヴィンテージの引き伸ばし機が、空間に独特の味わいを添えている。

写真に取り組む人々が集い、交流する活気ある場所

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書店スペースに新たに設置されたベンチは、訪れた人がくつろぎ、スタッフや他の来場者と気軽に言葉を交わせる場となっている。

The Analog Clubが大切にしているのは、「共有」の精神だ。店は単なる販売の場にとどまらず、コミュニティの活動を紹介するプラットフォームとして機能している。展示やイベントを定期的に開催し、自主制作の写真集やZINEを取り扱うコーナーでは、新刊のリリースを祝う場にもなっている。

オープン当初から、店内やInstagram上で作品を紹介できる「公募枠」を常設しており、誰でも自身のプロジェクトを投稿できる仕組みが整っている。訪れた人の多くがZINEを手に取り、数十ユーロから購入できるプリントを一枚選んで帰る、そんな気軽な楽しみ方もこの場所の魅力のひとつだ。

今後は、アナログ写真に関心をもつ人たちをさらに後押しするため、ストリートフォトグラファーやポートレートの専門家などを招いたワークショップをより充実させていきたいと考えている。 

地下ラボ「Le Sel」で活動する職人プリンター、ティボー・ピエル自身も、撮影ではアフガンボックスカメラを愛用している。これは木製の暗箱のなかで撮影から現像までを行う昔ながらの装置で、現在では非常に珍しい存在だ。店のウィンドウに誇らしげに飾られた大型木製カメラとともに、アナログ写真の原点に立ち返るような体験を提案している。

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ショーウィンドウに飾られた古い木製の大判カメラが、ひときわ目を引く存在感を放っている。

「現代の生活はスピードが増す一方で、“すぐに結果がほしい”という瞬間性の文化が広がっています」と、共同創業者のレオポルド・フルコニスは語る。「でもフィルム写真はその流れに逆らう存在です。撮ってすぐ見られるわけではなく、現像所にフィルムを預け、待たなければいけない。しかも、思いどおりに仕上がるとは限らず、失敗してしまうことだってある。それでも、このゆっくりとしたプロセスが、構図や撮り方に意識を向けるきっかけになります。撮る枚数は減っても、1枚1枚がより意味のある写真になる。そして、スマホの中に埋もれてしまう何千枚もの写真とは違い、フィルムで撮った写真は“見返される”存在になるんです」

誰もがスマートフォンで気軽に写真を撮れる時代に、あえてフィルムカメラを手に取ることは、簡単な選択ではないかもしれない。でも、その一歩を踏み出す不安を、The Analog Clubの親切で知識豊富なスタッフがしっかりと受け止め、はじめての体験を安心と楽しさで満たしてくれる。

シャッターを切ること、そして写真を見つめることの喜びを、ゆっくりと取り戻すようなこの場所では、きっとフィルムの魅力に引き込まれた誰かとの、思いがけない出会いも待っている。

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The Analog Club 共同創業者、レオポルド・フルコニス。
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The Analog Clubでは常時公募を行っており、コミュニティメンバーの作品が店内で継続的に展示されている。
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ヨーロッパ製を中心としたオリジナルフィルムを販売。なかでも映画用フィルムをベースにしたSunbathフィルムが人気を集めている。
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多彩なイベントがこの空間を彩る。写真は、2025年5月14日に行われたロドリグ・ド・フェルリュック『Augure』の刊行記念イベントより。
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クレマン・ラコンブの作業場に並ぶ、診断と修理を待つカメラたち。
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カメラの修理に取り組むクレマン・ラコンブ。