皇居「新宮殿」造営を巡る、人間ドラマを描いた大長編【Penが選んだ、今月の読むべき1冊】『天使も踏むを畏れるところ』上・下

  • 文:瀧 晴巳(フリーライター)
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【Penが選んだ、今月の読むべき1冊】
『天使も踏むを畏れるところ』上・下

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松家仁之 著 新潮社 各¥2,970

空襲で焼け落ちた皇居を再建する——。

松家仁之の『天使も踏むを畏れるところ』は、新宮殿の設計を託された建築家の村井俊輔を通してこの重要なプロジェクトを描き、戦後の昭和史を見つめ直した渾身の大長編だ。

敗戦によって皇室の在り方は一変した。天皇が「象徴」になった時、一体どんな宮殿を建てればいいのか。開かれた皇室とは、民主主義へと歩み出そうとしていた日本を映し出す鏡でもあったのだろう。村井は、新たな時代の理想を設計に落とし込もうとするが、急激な変化に戸惑う宮内庁に阻まれる。

ゆるぎない信念を持つ主人公、村井俊輔には、実はモデルがいる。フランク・ロイド・ライトに憧れ、アントニン・レーモンドに師事。実際に皇居新宮殿の設計を手掛けた建築家の吉村順三である。著者は、敬愛する建築家をデビュー作『火山のふもとで』で若き建築家が慕う「老先生」として既に登場させている。しかも、こちらの小説の舞台は吉村順三の代表作である軽井沢山荘を思い起こさせる。

つまり『天使も踏むを畏れるところ』は『火山のふもとで』の前日譚であり、メタフィクショナルな設定で実在の人物を配しながら、時代の転換期に向き合い、新たな着地点を探る人々を描き出す。どちらの小説も、建築こそがもうひとつの主人公であり、あらゆる細部で過去と未来、理想と現実がせめぎ合う。

ひとつの建物を建てることは、なにを大切にして、なにを切り捨て、なにを受け継いでいくかを問われることなのだ。それを語る言葉の端正な美しさこそ、この作家の真骨頂。行き届いた名建築を巡るかのように、小説を読む喜びを味わわせてくれる。1000ページを超える大長編でありながら、読み終わるのが惜しくなるのはそのせいだ。

※この記事はPen 2025年7月号より再編集した記事です。