自分の価値観を知る方法とは【はみだす大人の処世術#29】

  • 文:小川 哲
  • イラスト:柳 智之
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Pen本誌では毎号、作家・小川哲がエッセイ『はみだす大人の処世術』を寄稿。ここでは同連載で過去に掲載したものを公開したい。

“人の世は住みにくい”のはいつの時代も変わらない。日常の煩わしい場面で小川が実践している、一風変わった処世術を披露する。第29回のキーワードは「価値観の可視化」。

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先日、サッカーの試合を観戦していた時のことだ。応援しているチームが苦境に立たされた場面で、僕は「次に出す本の売れ行きが少し落ちてもいいから、1点決めてくれ」と願っていた。そう願いながら、あまりにも具体的な内容だったことに自分でも少し笑ってしまった。

いままでも「〇〇円払うから1点決めてくれ」とか、タイトルを決める大事な試合で「この試合に勝つなら坊主頭にしてもいい」と思ったこともあった。

ちなみに、その試合は終盤にゴールが生まれて応援していたチームが勝利した(もしかしたら、僕の次の本の売れ行きが犠牲になったのかもしれない)。試合が終わってから、ふと考えた――応援するチームの勝利のために、僕はどこまで自分の人生を差し出すことができるだろうか。

たとえば、「翌日体調を崩す」だとどうだろうか――かなり微妙だ。体調の崩し方にもよるし、終わらせなければいけない仕事の量にもよる。お金はいくらまでなら払えるのか――それも、その時の僕の金銭的な余裕に依存している。貧乏学生だった頃は、数千円支払うことも難しかったかもしれない。「次に出す本の売れ行き」を犠牲にできるとして、「次に出す本が少しつまらなくなる」だったらどうだろうか――それは嫌だ。本が売れないのは諦めがつくけれど、つまらなくなるのは許せない。いくら応援するチームのためとはいえ、そこまで犠牲にすることはできない。同様に、「小説家としての能力」を犠牲にすることもできないだろう。もうちょっと抽象化して「人生が少しだけつまらなくなる」はどうだろうか――問答無用で嫌だ。そもそも僕がサッカーチームを応援しているのは、彼らが勝利することで人生が少しだけ楽しくなるからだ。勝利と引き換えに人生がつまらなくなってしまっては本末転倒になる。

この素朴でくだらない等価交換は、「自分の人生でなにを最大化したいと考えているか」という大きな問いと深く結びついている。たとえば明日、突然大富豪から電話がかかってきて、「君に百億円を渡すので、今後は私のためだけに小説を書いてくれ」と依頼されたとして、僕は(後ろ髪を引かれながらも)「無理です」と断るだろう。もちろん(他の多くの人と同じように)お金は欲しい。とはいえ、お金が得られるなら他はどうなってもいい、というわけでもない。僕は(というか、ほとんどすべての人類は)自分の幸福を最大化するために生きていると思うけれど、お金は手段であって目的ではない。僕は自分が面白いと思う小説を書いて、不特定多数の読者に届けたい。だからこそ、応援するチームのためであっても「小説家としての能力」は差し出せない。

漫画『ワンピース』は、紙の本が発売されてから、しばらく時間を置いて電子書籍版が発売されるのだが、「作者の尾田栄一郎さんが紙の本の部数にこだわっているからだ」という話を聞いたことがある。国民的な人気作品である『ワンピース』を引き合いに出しても仕方ないのかもしれないが、お金儲けだけが目的であれば電子書籍版の発売を遅らせることは機会損失になりかねない。尾田さんには印税の収支だけではない、「最大化」したいものがあるのだろう。

あなたにもなにか、応援しているものはあるだろうか――もしあるのなら、自分のどこまでを差し出すことができるか一度考えてみることで、自分の価値観が炙り出されていくだろう。

あなたは坊主頭になれますか?

小川 哲

1986年、千葉県生まれ。2015年に『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビューした。『ゲームの王国』(早川書房)が18年に第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞受賞。23年1月に『地図と拳』(集英社)で第168回直木賞受賞。近著に『スメラミシング』(河出書房新社)がある。

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※この記事はPen 2025年5月号より再編集した記事です。