
『時をかける少女』『パプリカ』で知られる筒井康隆の小説を『桐島、部活やめるってよ』や『騙し絵の牙』で著名な吉田大八監督が映画化した『敵』が、1月17日に劇場公開を迎える。
妻に先立たれ、日本家屋にひっそりと暮らす元・大学教授の儀助。毎朝決まった時間に起床し、じっくりと時間をかけて料理をつくり、行きつけの上品なバーで友人と酒を酌み交わすなど悠々自適な余生を過ごす儀助だったが、ある日「敵がやって来る」と不穏なメールを受け取ったことから日常が崩壊し始める――。
第37回東京国際映画祭で、東京グランプリ/東京都知事賞、最優秀監督賞、最優秀男優賞の3冠に輝いた本作。吉田監督、12年ぶりの映画主演を果たした長塚京三、儀助がバーで出会うミステリアスな女子大生を演じた河合優実の3人による鼎談をお届けしよう。
モノクロで描かれる丁寧な生活と忍び寄る妄想

――本作はモノクロ映画ですが、このスタイルは当初から決まっていたのでしょうか。
吉田 原作同様、日本家屋を舞台にすることは決めていて「これまで映画は日本家屋をどういう風に撮ってきたのだろう」と小津や成瀬を見返していくうち、モノクロ作品が多かったこともあって自然に影響を受けていきました。自分で提案しておきながら誰も止めないので逆に不安になってしまい、撮影の四宮秀俊さんに「僕はモノクロがいいと思うんですが、四宮さんがカラーがいいというならそうします。どうしましょう」と相談して1週間ほど考えてもらい、決定しました。モノクロの雰囲気でいうと『ツイン・ピークス The Return』も好きでしたね。
河合 ご飯の描写が多かったため、モノクロでどのように撮るのか気になって、撮影期間中に四宮さんに質問したら「意外とおいしそうに見えるんだよね」と仰っていたことを憶えています。
吉田 それは僕も予想していませんでした。フードスタイリストの飯島奈美さんと打ち合わせした際に「おいしそうに撮れなくても構わない」という話はしましたが、実際撮ってみたら逆でしたね。実際、ご覧になった方からも「食べ物がおいしそう」という感想を本当に多くいただいています。きっと、モノクロにすることで観る側の感度が上がるんでしょうね。自分から無意識に色を感じ取ろうとするうちに、香りや味まで想像してしまうからお腹がすくんじゃないかと思います。とはいえ先ほどお話しした通り無邪気な理由で「モノクロで行く」と決めてしまったので、事前になにか計算したわけではありません。情けない話、つくった後で「こんなに没入感が違うんだ」と気づかされました。
――儀助が手の込んだ料理をつくる“丁寧な暮らし”の側面がある一方で、彼がなにかにじわじわと追い詰められていくサスペンスフルな要素もあります。長塚さんはどのように儀助の二面性を捉えて演じていかれたのでしょう。
長塚 人によっては「年を取ってきて言うことが支離滅裂になってきた」という方もいらっしゃるでしょうが、僕はどちらかというと若い時からぼんやりと妄想と現実という2つの世界を行き来してきたような気がしています。自分と儀助の差は、現実の生活に齟齬をきたさないようにそれを表に出さないようにするか否か――つまりスイッチを切り替える作業をするかどうかだけの違いだったため、特別難しさは感じませんでした。特に、こうした作品に役者として関わる場合は、「ここは妄想、ここは現実」といったようにスイッチングが理性的に整理され、指定されていますから。
――フランス文学も、儀助および作品全体のキーとして機能していますね。
長塚 僕は儀助の老残零落ぶりに、フランスの劇作家エドモン・ロスタンの戯曲『シラノ・ド・ベルジュラック』を感じました。日本でも翻案された『白野弁十郎』が有名ですよね。原作にそうした描写はありませんが、僕は儀助がゼミで学生たちに『シラノ・ド・ベルジュラック』の朗読をしていたんじゃないかなと睨んでいます。この仮説は案外当たっているんじゃないかな。
吉田 わかります。原作にも、『シラノ・ド・ベルジュラック』の引用が少しありましたね。フランスに留学されていた長塚さんと比べるのは畏れ多いですが、僕も付焼刃でちょっと勉強して、明治時代以来、日本人がずっとフランスの文化に憧れてきたことをあらためて思い出しました。となると、当然儀助のプライドは「自分はフランスの文学や思想に詳しい」ということに支えられている、その脆さも含めて人物像を掴む一つの糸口になりました。
いまの時代だからこそ語られる、"敵"とは?

――小説は1998年に発表されましたが、映画は現代性を感じさせる内容になっていて驚きました。なにか工夫をされたのでしょうか。
吉田 最初に読んだのは僕が30代の頃でしたが、ちょうどコロナ禍の時――3、4年前に読み直した際に、死というものがクローズアップされたり家から出られない、会いたい人に会えないといった自分たち自身の状況が、儀助に近いと感じました。20数年前に書かれたこの小説の先見性に驚いていたタイミングでちょうどプロデューサーから連絡があり、本企画が動き出したという流れです。現代を舞台にするにあたって70代の男性が置かれている経済的な状況のリアリティやパソコン通信をメールに変えたりといった部分は若干調整しましたが、それくらいです。
長塚 撮影時に吉田監督と冗談で「これは若い時分の料簡違いの対象になった物や人に復讐されている話だね」と話しましたが、自分が勝手に親しいと思い込んでいた教え子に「あれはセクハラでした」と言われてしまうシーンなど、#MeTooの流れを感じますよね。話の骨子になっているわけではありませんが、「旧世代のモラル」を問う部分は、儀助という人間を理解するうえで役立ちました。
河合 自分が脚本を読んだ最初の段階では「敵とはなんだろう、自分が生きていくなかで絶対に出会ってしまうものだろうか」などと想像していましたが、いまのお2人のお話を聞いてとても腑に落ちました。と同時に、「敵は誰だ?」と探す気持ちで臨まなくても楽しめる映画だということは伝えたいなと思います。私は儀助が粛々と生活を営む“暮らし”の部分に特に惹かれましたから。
吉田 この映画でいうと「敵」としては、老いや死や孤独をまず連想するかとは思います。ただ、長塚さんご自身が毎日現場に来て儀助を演じる、撮影という労力のかかる行為を積み重ねていく生き生きとした姿に、「結局、“敵”というのは目の前の乗り越えなければいけない目標なのかもしれない」と思うようになりました。敵は自分を殺しに来るだけではなく、敵によって生かされることもあるんだなと気づかされましたね。
長塚 好敵手という言葉があるくらいですからね。
吉田 もしかすると、こうした「負けてもいいから敵に出会いたい、敵を設定しないと前に進めない」のは男子的な発想かもしれませんが(笑)。
河合 そうですね。自分の中には全然ない感覚もしれません(笑)。
『敵』
監督・脚本/吉田大八
出演/長塚京三、瀧内公美、河合優実、黒沢あすかほか
2025年 1時間48分 1/17よりテアトル新宿ほか全国公開。