2024年に生誕100周年を迎えた作家・安部公房。『砂の女』『友達』等で知られる彼が1973年に発表した異端の小説『箱男』が、石井岳龍監督・永瀬正敏主演で8/23に公開される。社会/他者から解き放たれた「完全なる匿名性」を目指し、段ボールをかぶった状態で生活する“箱男”となった“わたし(永瀬正敏)”。人間の究極形態に到達したはずだったが、怪しげなニセ医者(浅野忠信)に執着され……。
段ボール箱に引きこもり、一方的に他者を「覗き見る」存在である箱男は現代のSNS社会にもリンクする設定といえるが、実は本企画はポッと出たものではない。元々はこのコンビで1997年に製作予定だったが、クランクイン直前に撮影が頓挫。27年の時を経て実現させたという執念の一作となる。数奇な運命をたどった本作は、混迷の現代を生きる人々にどう解釈され、受け入れられるのか――。永瀬正敏と共に、考えてゆきたい。
27年の時を経て、よりリアルな存在となった「箱男」

1966 年生まれ。1983年、映画『ションベン・ライダー』でデビュー。ジム・ジャームッシュ監督『ミステリー・トレイン』(89)で主演をつとめて以降、海外映画への出演も多数。台湾映画『KANO~1931 海の向こうの甲子園~』(15)では、金馬奨で中華圏以外で初めて主演男優賞にノミネート、『あん』(15)、『パターソン』(16)、『光』(17)でカンヌ国際映画祭に3年連続で公式選出された初のアジア人俳優となった。近年も、『GOLDFISH』(23)など話題作に出演している。ⓒ2024 The Box Man Film Partners
「監督・主演が同じで27年ぶりに再始動した企画は、世界初かもしれません」と語る永瀬。
「非常に難しい世界観ですから、97年当時も映画化発表の際には周囲から驚きの声をもらっていました。日本とドイツの合作形式で海外ロケも予定しており、スタッフさんの熱量もすさまじかったです。頓挫してしまった際にも、現地の皆さんが“さよならパーティ”ではなく“また会いましょう”パーティをしてくれたくらい。当時のスタッフさんは今や世界中に散らばっていますが、ベルリン国際映画祭での上映時に何人か見に来て下さったと伺いました」
当時と現代を比較して「97年当時はコンピュータといってもまだまだ一般化されておらず、FAXでのやり取りが主流でしたが、いまや“匿名性”やスマホという“箱”で他者を覗き見るのは普通になり、『箱男』をよりリアルに感じられるようになったのではないでしょうか。“安部さんどれだけ天才なの!?”と予言性を感じずにはいられません」と考察する永瀬。
「97年当時は、“わたし”が箱男を目指す理由は遮断の中の快楽といいますか――世界の中で匿名性を確立して一方的に見つめてやるんだという優位性が一番だったかもしれませんが、現代においてはもう少し別の意味合いも加わったように捉えています。いまや我々は“一日に何時間覗いているんだろう?”というくらい、スマホやタブレットといった“箱”の中の世界に囚われていますよね。ここには自分が生きているなかで得た知識を遥かに超えるデータがあって、画面上で世界一周だって出来てしまいます。これらがあって当たり前のジェネレーションの人たちがどんどん出てきた一方で、世間をにぎわせているChatGPTのように人間が“箱”の中に支配される怖さも感じているのではないでしょうか。私たち自身が既に箱男なのでは?という狂気性はより身近になったように思います」
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「箱男」になりきることで感じた、孤独の心地と人間くささ

永瀬は撮影前から“箱男生活”を実践。「Too Cleanになってしまった東京では流石に箱男の格好で外出はできませんでした」というが、自宅で箱に覆われる生活を行うことで、不思議な安心感を覚えたそうだ。
「試しに家の猫を観察していたのですが、僕らよりも鋭い感性を持っているので“父ちゃんが中に入っているかも”と気づき、入れてほしいとねだってきました。そしていざ入ると、普段は抱っこを嫌がる子なのに外に出ようとしないんです。僕自身も箱に入ることで妙に落ち着きましたし、不思議な快感がありました」
取材会場に置いてある“箱”を指さし、「ぜひ体感してみてください」と勧める永瀬。箱をかぶって行動する奇抜なルックではあれど、永瀬は「シャワーも浴びているでしょうし、服も着替えているはず。実は結構快適に暮らしていたのではないかと思います」とも。そうした意味では、過度に情報化したノイジーな現代においては喧騒やしがらみから隔絶されたデトックス特化型のライフスタイルといえるのかもしれない。
一方で、劇中では“完全な孤独”を目指していたはずの“わたし”の内なる「他者と関わりたい」という欲望も描かれる。自身の思考や生きざまをノートに書き連ねて“存在証明”を行おうとしたり、怪しげな美女のヒーローになろうとしたり……。自らの身体を覆うことで、逆説的に心が透けて見える構造になっているのだ。永瀬は「箱男となっても“わたし”自身は常に揺れ動いていて、そこが非常に人間的だと感じました」と振り返る。
「自分のプライバシーを守りたい気持ちと、社会との接点を求めてしまう部分のせめぎ合いは非常に人間くさくて、共感できる部分でもありました。観ていただく方々にとっても近い存在かもしれないな、と思いながら演じていました」
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実験的作品ながら、描かれるのは人の根源的欲求である「承認欲求」

自身も写真家として「箱から見える世界を収めたいとどうしても思ってしまいました」と己の欲求について明かした永瀬。我々も生活の中で“映え”な瞬間を見かけたら衝動的にスマホを向けて写真や動画を撮り、SNSを介して発信してしまうもの。そうした感覚はニューノーマルな本能として定着した感があるが、その根本には「承認欲求」という名の他者とのつながりに対する渇望が潜んでいる。
『箱男』という映画自体は、実験的精神にあふれたアヴァンギャルドな作品だ。ただ小説発表から50余年を経たいま、その存在自体を奇異なものとしてではなく、私たちの分身のように思えてしまう臨界点に我々は生きているのかもしれない。「様々な解釈ができるのが本作の魅力」と語る永瀬正敏の言葉を信じ、リアルタイムな感覚で作品と相対していただきたい。
『箱男』
監督/石井岳龍
出演/永瀬正敏、浅野忠信、白本彩奈、佐藤浩市他
2024年 配給:ハピネットファントム・スタジオ 2時間 8/23より新宿ピカデリーほか全国公開。 www.happinet-phantom.com/hakootoko
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