「大人の名品図鑑」五輪映画編 #4
今年の7月26日からフランスのパリで第33回夏季オリンピック競技大会が開催された。この大会ではブレイキンなどの新しい競技も加わり、32競技329種目が実施され、メダル獲得を目指した熱戦が繰り広げられた。今回は「オリンピックを題材した映画」に登場する名品にフォーカスを当てる。
2021年に公開された『ヒノマルソウル〜舞台裏の英雄たち』は、1998年に長野で開催された第18回冬季オリンピック大会での実話を元にした作品だ。この大会で日本は金5個、銀1個、銅4個の計10個のメダルを獲得しているが、この作品が題材にしたのは、金メダルに輝いたスキージャンプ・ラージヒル団体という競技だ。メダルをかけて最後に飛ぶ船木和喜選手に「ふなき〜」と声援を送った、原田雅彦選手の姿が記憶に残っているという人も多いだろう。しかし、この作品の主人公はメダルを獲得した選手ではなく、記録にも記憶にも残らない、競技を始めるための「テストジャンパー」たちだ。
そのひとりが元日本代表の西方仁也。西方は前回大会のリレハンメルオリンピックに原田とともに出場し、135mを飛んで、金メダルに手が届いたかと思われたが、最後に飛んだ原田が失速し、団体チームは銀メダルに終わった。西方は4年後の長野大会で雪辱を誓うが、怪我で代表から落選。大会にはテストジャンパーとして参加することを要請される。テストジャンパーとは、競技前にジャンプ台に危険がないかを確かめるために飛ぶジャンパーのことで、いわば大会の裏方だ。そんな西方を田中圭が演じている。
98年2月17日、ジャンプ団体戦の戦いの場になった長野県白馬村は大雪だった。そんな天候のなか始まった団体戦1本目で原田がまたしても失敗、日本は4位と厳しい状況に追い込まれる。日本チームは2本目での逆転を狙うが、前が見えないほどの吹雪に競技は中断する。このまま悪天候が続けば日本の順位は4位のまま。競技委員たちが協議し、下された判断は「25人のテストジャンパーが全員無事に飛ぶことができれば、競技を再開する」というものだった。そんな苦境に立たされたテストジャンパーたち25人は猛吹雪のジャンプ台に向かう。スポットライトを浴びた選手ではなく、裏方に着目した感動の物語だ。
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選手たちのジャンプスーツを手掛けたのは
この作品で着目したのは、選手たちが着用したジャンプスーツだ。スーツはジャンプの飛距離に大きく影響するため、国際スキー連盟はたびたび規則を改定しているが、大きく変わったのは98年の長野大会からと言われている。それまでの大会では選手たちはダボダボのスーツを着用して風をはらむようにして飛距離を伸ばそうとしていたが、この大会からは生地の厚さが制限されて薄くなり、各所のスーツの“遊び”も規制されるようになった。
作品のオフィシャルブックに衣裳を担当した白石敦子さんの話が掲載されていて、その再現に相当苦労したと書かれている。劇中のジャンプスーツはスポーツブランドのデサントが「当時の生地を一から再現してつくってくださいました」とまで書かれている。つまり当時の選手たちと同じ素材で、同じブランドが製作したスーツが劇中でも使用されているのだ。作品のこだわりと、日本のスポーツブランドの実力を知るような話だが、今回紹介するのは同社がスポーツウェアで長年培ってきた技術とノウハウを活かしたデサント オルテラインの製品だ。
オルテラインとは「all(すべて)」と「terrain(地形)」を組み合わせた造語で、年齢やシーン、流行に左右されない "真のものづくり"を目指すカテゴリー。そのカテゴリーのもとになったのは、岩手県旧水沢市、現在の奥州市にあるデサントアパレル社の水沢工場で生産された「水沢ダウン」と呼ばれるダウンジャケットで、2010年のバンクーバーオリンピックで日本選手団のために企画・開発されたモデルがベースになっている。これまでのダウンジャケットとは一線を画した機能性を持った製品は世界的にも評価を受け、高い人気を誇っている。デサントのウィンタースポーツウェアへの技術の積み重ねによって生み出された、まさに名品ではないだろうか。
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