“あの晩僕らが体験したのはGood byeではなく、おおきなThank youだ”ーードリス・ヴァン・ノッテン、ラストコレクション

  • 文:栗野宏文
Share:

2024年6月22日、パリファッションウィークで、ドリス・ヴァン・ノッテンによる「ドリス ヴァン ノッテン」最後のショウが開催された。「アントワープの6人」のメンバーなど錚々たる観客が訪れる中、初期の頃からドリスを見続けてきた栗野宏文も熱い思いで会場を訪れた。そんな栗野に、思いを綴ってもらった。

IMG_1257.jpg
パリ郊外のラ・クールヌーヴの工場跡地で開催されたドリスのラストショウ。ショウ開始前のカクテルでは巨大な箱状のスクリーンに過去の映像が投影され、ゲストを迎えた。

LOVEとひとことだけ書かれたカード。銀色地に白い文字が少しだけ盛り上がっている。9.8cm(H) x 14.8cm(W)は日本のはがきとほぼ同寸だ。これが38年間で129回続けたショウ最終編のインヴィテーション。封筒のサイズもインヴィテーションと近いが、あて名は小さな手書きで一文字が約3.0mm。巨大なインヴィテーションが流行るファッション業界においてシンプルなプレゼンスに送り主のセンスと矜持を感じる。

 

ZJ_DVN_Show_DSC05049 (c) ZOE JOUBERT.jpg
ショウのラスト、ランウェイに登場したドリス・ヴァン・ノッテン。 © ZOE JOUBERT

すべての原動力、すべてに届く“愛”

この書簡の送り主であるドリス・ヴァン・ノッテンは1986年に自分の名を冠したブランドを創設し、数回の展示会開催後1991年7月に第1回目のランウェイショウ(1992年、春・夏メンズ)をパリで発表した。翌年2月も同会場で1992/93年、秋・冬のメンズコレクションを見せたが、僕はそれ以降2,3の例外を除き、ドリスのショウを男女編共に殆ど見続けてきた……125回続いた幸福。

初期のドリスのショウではフィナーレにマリエ(花嫁衣裳)が登場しカップルが祝福されつつショウをクロージングしていたが、90年代初頭において、既にこの“伝統的なフィナーレスタイル”は異例と言って良い。30代の新進デザイナーだった彼が敢えて“マリエでフィナーレ”を続けたのには彼がファッションで人を幸せにしたいという明確な哲学があったからに他ならないだろう。

ドリス・ヴァン・ノッテンというファッション・デザイナーにとって全ての源、活動の原動力はここにある、つまりLOVEだ。ものづくりへの愛、支えてくれる長年のパートナーや愛犬、そして女性スタッフが最も出産し易い会社と当時から言われていたチームへの愛、仕入れるバイヤーと店頭で購入してくれるお客様への愛。庭の草花や果実にもたくさんの愛を注いできた。

こうして、ドリスの手からあらゆるひとの手を介して最後の最後まで伝わるもの……それが愛だ。デザイナーとして次世代にバトンを渡すステージにおいて彼は迷うことなくLOVEをメッセージとした。僕やラストショウの場にいた観客すべてにドリスからの愛は届いた。

プレスリリースの一文に“クリエイションとは、生き続ける何かを残すこと”と彼は発言している。ドリスが自らの原点や多くのインスピレーション源を隠すことなく開示した2014年の展覧会を僕はパリで2回、アントワープで1回見たのだが、それは単なるアートラヴァーやコレクターとしてではなく“歴史や時間を超えて生き続けるクリエイション”を見続け、浸り、浴びてきたドリス・ヴァン・ノッテンという人物の愛や情熱や誠実さを体感できる貴重な機会だった。彼は自らも“生き続けるもの”としてのファッションをかたちにし得た稀有なクリエイターだ。

20世紀後半以降、或いは21世紀に入りファッションは過剰な消費の対象や承認要求に利用されるツールと変質させられてきたが、ドリス・ヴァン・ノッテンはそれを超えたものをこの世に生み出し続けた。彼がつくった服は文字通りタイムレスだ。僕自身1993年にアントワープの基幹店“ヘット・モードパレス”で購入したストライプのスリーピース・スーツを今も現役で着る。ドリスの服は所謂“ファッションの服”とは一線を画す存在だ。

勿論、発表し発売された時点では時代の空気を吸った最旬の服であることは間違いない。だがドリスの服は時代を超える。特にメンズはその傾向が強いが、ウィメンズも本質は近く、そこには確かな理由がある。ドリスが好きなもの、創作の核としてきたものが超時間的なエレメントを背負っているからだ。制服、ワークウエア、背広、そして民族服。特に初期のウィメンズ・コレクションにおけるインドやペルシャ文化のインフルエンスは他を圧倒していた。

僕はその強さゆえ“エスニックテイストの得意なデザイナー”としてタイプキャスト化されてしまうのでは?とまで思ったが、それも杞憂に終わった。ドリスは意匠としての‘インド風’ではなく、本当にインドに工房を構え永続的に製作依頼することによって、他文化を自分の不可欠なエレメントにまで昇華させ、定着させた。のみならずインドのアトリエの存在は地元に継続的雇用を生み、放っておいたら消滅しかねない伝統産業/技術の継承にも貢献してきた。

考えるにドリス・ヴァン・ノッテンが所謂“文化的盗用”の批判対象になっていないのは、そこにドリスからの尊敬と愛が可視化されており、実感出来るからだろう。安易にアイデアだけを頂戴せず、技と職人魂をリスペクトしてステージに上げ、世界にインドの手仕事を知らしめてきた。

またドリスには英国文化への憧憬や共感がある。彼の基幹店にはある時期までポール・スミスの服が品揃えされていた程である。ベルギーの首都ブリュッセルは言語も含めてフランス的要素が強いが、彼の出身地アントワープは小英国の様な要素も多くみられる。彼がたいせつにするエスニックなものもテーラリングも、要は“トラディショナル”なエレメントだと言える。
---fadeinPager---

DRIES_VAN_NOTEN_SS25_2732X4098_LOOKS_01.jpg
ファーストルックには、1991年の初めてのショウでもファーストを飾ったモデルが登場した。

“始まりも、終わりもない”最後のショウ

さて6月22日の夜、パリ郊外の巨大な倉庫で開催されたドリス最後のショウは“始まりも、終わりもない”と自身がコメントしているように単なるグランドフィナーレでは無かった。極めて丁寧に準備を進めてきた自らの退任は彼が愛情をこめて次世代にブランドを手渡すセレモニーともなった。当然後継者は必要な訳だが、彼とブランドのキイ・パーソン達とで時間をかけて絞り込み中だという。そこには今までドリス本人がチャレンジしたくても出来なかった新たなプロジェクトもある気がする、例えばオートクチュールの様な……。

ドリスがその最大限の誠実さで育ててきたブランド、美学、価値観は正しい後継者とチームとによって必ず新たな地平へと歩を進めるだろう。ラストショウの会場には過去のコレクション映像のプレゼンテーションがあり、ゲストやモデルの顔ぶれには懐かしさを禁じ得ない部分も多々あった。しかしノスタルジーで終わるものでは無く、最新コレクションは“新しい美”“自由で軽やかな男性像”に満ちていた。

DRIES_VAN_NOTEN_SS25_2732X4098_LOOKS_29.jpg
DRIES_VAN_NOTEN_SS25_2732X4098_LOOKS_37.jpg
DRIES_VAN_NOTEN_SS25_2732X4098_LOOKS_44.jpg

 

DRIES_VAN_NOTEN_SS25_2732X4098_LOOKS_67.jpg
all photos:GORUNWAY

 

---fadeinPager---
フィナーレの曲はドリスが愛し、ショウでも度々使い、リファレンスともなったデヴィッド・ボウイの「サウンド・アンド・ヴィジョン」。青い部屋にひとり座する主人公は孤独を慈しむかのように佇み“音と映像”がもたらすインスピレーションの到来を待つ……ドリス自身の姿とオーヴァーラップする。永遠なる美の探究者の幸福と孤独。

創造の美、ヒューマニティの美、それがドリス・ヴァン・ノッテン。現場に居たフォトグラファーの土屋航はいみじくも言った。“魂の美しいひとこそが美しい服をつくれる”のだ、と。

あの晩僕らが体験したのはGood byeではなく、おおきなThank youだ。僕らもLOVEを返し続けよう。心からありがとうドリスさん。

栗野宏文(くりの・ひろふみ)●ユナイテッドアローズ上級顧問、クリエイティブディレクション担当。1953年、ニューヨーク生まれ。89年にユナイテッドアローズ創業に参画。2004年、英国王立美術学院より名誉フェロー授与。LVMHプライズ外部審査員も初回から務める。

ドリス ヴァン ノッテン
www.driesvannoten.com