「大人の名品図鑑」レイングッズ編 #2
6月から7月にかけて、日本では本格的な夏がやって来る前に必ず“梅雨”がある。雨や曇りが多くなり、ジメジメした日々が続く。梅雨末期には集中豪雨が降ることも多く、本格的な雨具が必要になるだろう。今回は雨の日に役立つレイングッズの名品を集めてみた。
梅雨の時期に限らず、多くの人が子どものころ、雨が降ると履いていたのがゴム製の長靴だろう。長靴を履き、カッパを羽織って、ほとんど傘もささずに水たまりをはしゃぎながら歩いた。誰しもそんな経験があるのではないだろうか。
大人になって日常的に長靴を愛用している人は多くはないだろうが、日本は雨が多い。局地的に短時間で激しい雨が降るゲリラ豪雨に見舞われることも多々ある。都会で大雪が降ってしまうと、スニーカーや革の靴ではまったく用を足さないこともある。そんな状況を考えて、大人でも長靴を一足、用意しておけばとても安心だ。
そもそも長靴が生まれたのは19世紀初頭のイギリス。初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーが乗馬している騎兵たちが脛をケガすることが多いので、脛を覆う乗馬靴を製作させたのが長靴の始まりだ。そのためイギリスではレインブーツのことを「ウェリントンブーツ」と呼ぶこともある。もちろん当時のブーツは革で製作されていたが、やがて紳士たちが乗馬やハンティングなどでもこのブーツを愛用するようになった。19世紀半ばにはゴム製で防水性に優れた長靴がつくられるようになり、男性に限らず多くの人に履かれるようになった。これがゴム長靴のはじまりだ。
では日本でこの長靴が使われるようになったのはいつごろからだろうか。2001年に発行された『事物起源辞典 衣食住編』(東京堂出版)によれば、ゴム靴が日本に入ってきたのは明治10年代とある。「おもにアメリカから長靴とオーバーシューズが輸入されていた」と書かれていて、その輸入品に刺激を受けて、東京にあった三田土護謨会社が1908年(明治41年)に長靴とオーバーシューズの試作をした。これが日本でゴム製靴を製造した最初の事例とあるが、この試作品は「まったくの失敗に終わった」とも書かれている。
しかしその後も製品化への試みは続けられていたらしく、『男の定番事典』(婦人画報社)には、「国内生産を最初に実現したのは、1920年の三田土護謨会(原文のママ)の『総ゴム靴』が第一号」と書かれている。前述の『事物起源辞典』にも「大正8年(1919年)ごろから本格的なゴム製造工業が起こる」と書かれているので、日本でこの時期にゴム長靴の製造がスタートしたのだろう。
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手作業でつくられた日本製のゴム長靴
今回紹介するダイイチ ラバーの長靴は、北海道の小樽に工場を持つ第一ゴムで製造されたモデルだ。第一ゴムの創業者、濱村由太郎は神戸でゴムの配合などを学び、東京の会社に入社後、よく訪れていた小樽で会社を設立したのが1935年のことだ。当時の小樽はニシン漁をはじめ、石炭の積み出し港としても発展、北海道経済の中心でもあった街だ。
第一ゴム以外にも数多くのゴム工場が立ち並んでいたが、現在この地で長靴を生産しているのは第一ゴム一社だけ。日本で販売されているゴム長靴は安価な海外製のものがほとんどで、多くを手作業でつくる同社の長靴は海外製の約3倍もするが、北海道では圧倒的なシェアを誇り、受注数に生産数が追いつかない状況が続いていると聞く。
ダイイチ ラバーは、北海道上川郡東川町にあるセレクトショップ、Less Higashikawaのオーナー、浜辺令さんと4年をかけて開発したブランド。「ダイイチ ラバー RAKA」というモデルは、アメリカの農業地帯で履かれていたローパーブーツから着想、同社が持つ金型のなかでも幅狭なものを使っているため、上品な印象を備えている。「直接加硫」のヴァルカナイズ製法を用いた柔らかなゴムの素材、着脱を助けるプルストラップなど、機能面も充実、パッカブル仕様だから持ち運びにも便利だ。北海道で培われたヴァルカナイズ製法の伝統と確かな技術、加えて高いセンスが融合したゴム長靴、自信を持ってお薦めできる名品だ。
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Daiichi Rubber
TEL: 0166-73-6328
daiichi-rubber.com
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