時代を彩ってきた、男たちの変遷を遡る

  • 編集 & 文:長畑宏明
  • イラスト:阿部伸二
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これまで時代を彩ってきた魅力的な男たち。彼らを辿っていくと、価値観の移り変わりも見てとれる。
現代の視点から「かっこよさ」の変遷を遡る。

Pen最新号は『新時代の男たち』。ここ数年、あらゆるジャンルで多様化が進み、社会的・文化的にジェンダーフリーの概念も定着してきた。こんな時代にふさわしい男性像とは、どんなものだろうか。キーワードは、知性、柔軟性、挑戦心、軽やかさ、そして他者への優しさと行動力──。こんな時代だからこそ改めて考えてみたい、新時代の「かっこよさ」について。

『新時代の男たち』
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「かっこいい」という言葉にはさまざまなニュアンスが含まれている。英語でいえば、「クール」と「ホット」が時代や状況によって使い分けられるなど、その価値基準は絶対的なものではない。ポイントは、その時々でどのような言動・佇まいをしていたか。一方で、平野啓一郎の『「カッコいい」とは何か?』によれば、この言葉の由来には文脈や知識によらない「体感主義」があるという。つまり、考えるよりも感じるもの。またこの言葉は、90年代以前においておもに男性に対して使われてきた。

さて、ここからは、10年ごとに「かっこいい」とされてきた男たちを挙げながら、その変遷を振り返っていこう。人選の基準は3つ。いまも色褪せない存在であること。「かっこいい」と言われた時に、感覚的に納得できること。実力と知名度を兼ね備えていること。

日常で多用される「かっこいい」と、いまその在り方がしばしば議論される「男性」。そのふたつを紐付けることで、時代ごとの価値観が浮き彫りになるだろう。

かっこいいが多様化するまで

まずは、近過去の2010年代から。仮にこの10年間を、「多様性前夜」としてみる。17年、ハーヴェイ・ワインスタインの告発記事から世界中に広がった#MeToo運動を筆頭に、世界はこれまで放置してきたさまざまな問題と対峙せざるをえなくなった。そこで、男性性、さらにそれと深く関連する「かっこいい」に対しても、新しい見方が求められる。

象徴的な存在が、星野源だ。メロディが優先されがちなJポップに黒人音楽のグルーヴを取り入れた音楽と、劇団「大人計画」仕込みの演技。家父長制が根強く残るこの国で、契約結婚をテーマとした『逃げるは恥だが役に立つ』で主演を務めたことも記憶に新しい。社会に馴染めない。他人に嫉妬するーーそんな自身の弱さを包み隠さず表現に昇華させたことで、大衆を解放してきた。

菅田将暉も、従来のスター像とは異なる。その見た目から、一気に国民的なアイドルに上り詰めるのかと思いきや、『そこのみにて光輝く』のような独立系映画にも自らの意思で出演するなど、その活動の仕方はどこか無軌道。彼の「かっこいい」は風通しがいい。

10年代といえば、ヨンスに触れないわけにはいかない。当時はアディダスのジャージーがトレードマークだったように、彼には「身近なあんちゃん」的な魅力がある。そして彼が率いたバンド・サチモスは、ジャズ的なグルーヴでJロックを進化させた。軽快な佇まいの裏側で野心的な音楽をつくり続けてきた彼のことを、かっこいいといわずなんという?

2000年代は、そんな10年代の自由なムードを醸成していった。業界のしきたりにとらわれず、本人のキャラクターで一本立ちするスターが多く現れた時代。象徴的なのは、窪塚洋介とオダギリジョー。ふたりはこれまでY2Kの文脈でもよく掘り起こされる名作に数多く出演しているが、作品の陰に存在が隠れてしまうことがない。オルタナティブなかっこよさを打ち立てた先駆者だ。

サッカー選手として圧倒的な実績を残し、引退後は自由気ままに世界中を動き回る中田英寿もまた、オルタナティブといえるだろう。さらに、業界の真ん中に属しながらナイフのような煌めきを放っていた存在といえば、山下智久。「修二と彰」の彰に憧れる若者はいまも後を絶たない。

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「かっこいい」の概念が解体され始めた、2010年代

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ヨンス●ミュージシャン
1991年、神奈川県生まれ。2013年に地元の幼馴染らとバンド・サチモスを結成。16年のシングル「STAY TUNE」が特大ヒットを記録。現在は別名義で活動中。 

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星野 源(ほしの・げん)●ミュージシャン・俳優
1981年、埼玉県生まれ。2000年にバンド・SAKEROCK結成。10年にソロデビュー。主演したドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(16年)の主題歌「恋」は社会現象に。 

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菅田将暉(すだ・まさき)●俳優・ミュージシャン
1993年、大阪府生まれ。2013年の主演作『共喰い』(青山真治監督)で日本アカデミー賞新人俳優賞に輝く。『溺れるナイフ』(16年)など主演作は軒並みヒット。 

オルタナティブなスターが次々と世の中を席巻した、2000年代

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中田英寿(なかた・ひでとし)●元プロサッカー選手
1977年、山梨県生まれ。95年、争奪戦の末にベルマーレ平塚へ加入。97年、日本代表に初招集。98年にはセリエAに移籍し、2005年まで7年間プレー。06年に引退。 
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山下智久(やました・ともひさ)●俳優・歌手
1985年、千葉県生まれ。2003年にNewSのメンバーとしてデビュー。05年、主演した『野ブタ。をプロデュース』の主題歌「青春アミーゴ」が大ヒット。 
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オダギリ ジョー●俳優 
1976年、岡山県生まれ。主演デビューは『仮面ライダークウガ』(2000年)。『アカルイミライ』(03年)や『ゆれる』(06年)などで名を馳せる。近年は映画監督としても活動。 

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窪塚洋介(くぼづか・ようすけ)●俳優
1979年、神奈川県生まれ。代表作は『池袋ウエストゲートパーク』(2000年)、『GO』(01年)、『ピンポン』(02年)など。当時その服装も注目の的に。海外作品にも多数出演。

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老若男女がかっこいいと思う存在とは?

対して90年代は、メインストリームが際限なく巨大化した10年間。テレビドラマが社会現象となり、CDが何百万枚も売れる。そのなかでも、演技と歌の両方をこなす木村拓哉、織田裕二、福山雅治の3人は、いま比較すべき存在が見つからないほどの巨大なスターだ。テレビドラマ『若者のすべて』『振り返れば奴がいる』そして『いつかまた逢える』での彼らは、まさしくかっこいいの体現者。ただ強調しておきたいのは、彼らは単につくられた偶像ではないということ。バブル崩壊後のすさんだ社会に対する自分の「声」を作品に込めたからこそ、大衆の心に響いたのだ。

80年代、すなわち昭和まで遡ると、かっこいいの概念もまた相当いまとは異なる。いまであればSNSで炎上の対象になりそうなフライデー襲撃事件でさえ自身のかっこよさに還元させるビートたけしもいれば、国外の音楽トレンドを貪欲に取り入れ、シーンの地図を塗り替えた佐野元春や坂本龍一もいる。また、現代では国外進出も重要なキーワードになっているが、このころ本国の『ローリングストーン』誌で日本人として初めて表紙を飾ったのが沢田研二だ。この時代ならではのかっこよさとしては、「クラクラするほどの不良性」が挙げられるだろう。

世は地上波ドラマ全盛、必要なのは全方位的な魅力だった1990年代

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木村拓哉(きむら・たくや)●俳優・歌手
1972年、東京都生まれ。88年にSMAPのメンバーとしてデビュー。94年のドラマ『若者のすべて』で俳優としても脚光を浴びた。“キムタク”自体が巨大な社会現象。
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織田裕二(おだ・ゆうじ)●俳優・ミュージシャン 
1967年、神奈川県生まれ。91年、『東京ラブストーリー』の永尾完治役で広く認知される。主演した『踊る大捜査線 THE MOVIE 2』(2003年)は実写邦画の興行収入歴代1位。
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福山雅治(ふくやま・まさはる)●俳優・ミュージシャン
1969年、長崎県生まれ。88年に俳優、90年に歌手デビュー。ドラマ『ガリレオ』(20
07年~)シリーズや、楽曲「桜坂」など、2000年代以降もその人気はトップクラス。

破天荒なキャラクターに憧れが集中した、1980年代

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ビートたけし●漫才師・映画監督
1947年、東京都生まれ。ビートきよしと組んだ漫才コンビ・ツービートは初期漫才ブームの中心的存在。89年、映画『その男、凶暴につき』で初めて監督を務めた。
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佐野元春(さの・もとはる)●ミュージシャン
1956年、東京都生まれ。80年に、シングル「アンジェリーナ」でデビュー。その後、単身渡米して現地の音楽を学ぶ。レーベルや雑誌も立ち上げるなど、常に野心的。
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坂本龍一(さかもと・りゅういち)●ミュージシャン
1952年、東京都生まれ。78年にYMO結成。87年、ソロで手掛けた『ラストエンペラー』の劇伴でグラミーほか受賞。晩年は環境保全活動にも参加。2023年逝去。 
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沢田研二(さわだ・けんじ)●ミュージシャン・俳優 
1948年、鳥取県生まれ。67年にザ・タイガースのメンバーとしてデビュー。70年代に入りソロへ転身。俳優として『太陽を盗んだ男』(79年)に主演し、伝説を残した。 

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不良がかっこよかった時代

そうやって不良性が広く求められる機運を準備したのが、学生運動が沈静化し、物質的な豊かさがいったんピークを迎えた70年代。その中心人物のひとりが、『青春の蹉跌』で主演するなどユースカルチャーの象徴的存在だった萩原健一。そして、『太陽にほえろ!』で彼が演じるマカロニ刑事と入れ替わるかたちで登場し、繊細で鋭い輝きを放った松田優作。一方で、当時はアイドル俳優だと思われていた三浦友和も、心の中では彼らの不良性に共感していたという。そのあと80年代に入り、彼は映画『台風クラブ』で演技派としての地位を確立する。彼のかっこよさは時を経て変化を遂げていく。また、文化的貢献、さらに国外進出という文脈において、三宅一生の名前も残しておきたい。常に新しい技術開発に挑み、服の枠組みを更新する有様は、本人のいかにも知的な見た目ともあいまってどうしようもなくかっこいい。

さて、日本のポップカルチャーにおいて重要な転換期となったのが、人々の懸命な労働がもたらした戦後最初の高度成長期、60年代だ。64年の東京オリンピック開催はその象徴的イベント。この時代のかっこよさを語るにあたっては、「労働者のためのヒーロー」を挙げておきたい。まずは、高倉健。人気絶頂時はハードワークで疲れ切っていたが、それでも文句を言わず淡々と作品に出演し続けたという。すべては大衆のため。このエンターテインメントへの奉仕精神は、打撃だけでなく守備で3塁から1塁へ送球する姿でも観客を沸かせた長嶋茂雄や、自身のブランドVANの経営が傾こうとも日本人のスタイル向上と若手デザイナー育成に最後まで尽力した石津謙介に通じる。みなスマートとは言い切れないが、その泥臭い姿に当時の人々は「かっこいい」を見出していたのだ。

反抗の時代が終わり、世界は陰鬱さに包まれる1970年代

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三浦友和(みうら・ともかず)●俳優 
1952年、山梨県生まれ。妻となる山口百恵と共演した『赤い』シリーズ(74年~)など20代は二枚目として人気を博す。近年は『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)など。 
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三宅一生(みやけ・いっせい)●ファッションデザイナー 
1938年、広島県生まれ。60年代からパリで学び、73年には自身のブランドでパリコレに参加。プリーツなど発想と技術を駆使して服を進化させた偉人。2022年逝去。 
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松田優作(まつだ・ゆうさく)●俳優 
1949年、山口県生まれ。73年『太陽にほえろ!』のジーパン刑事で一世を風靡すると、アクションを封じた『人間の証明』(77年)で演技派の地位を確立。1989年逝去。 
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萩原健一(はぎわら・けんいち)●ミュージシャン・俳優
1950年、埼玉県生まれ。通称ショーケン。ザ・テンプターズのメンバーとして16歳でデビュー。72年『太陽にほえろ!』のマカロニ刑事役で俳優として人気に。2019年逝去。 

みんな懸命に働き経済を支えた、 労働者のための1960年代

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石津謙介(いしづ・けんすけ)●ファッションデザイナー
1911年、岡山県生まれ。太平洋戦争終結後、米国兵士の通訳、現レナウン勤務を経て、54年にブランド「VAN」を開始。アイビーを国内に定着させた。2005年逝去。 
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高倉 健(たかくら・けん)●俳優 
1931年、福岡県生まれ。初めて主演した映画『日本侠客伝』(64年)でその禁欲的な佇まいが人気に。76年に独立するまで東映を代表する俳優だった。2014年逝去。 
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長嶋茂雄(ながしま・しげお)●元プロ野球選手・監督 
1936年、千葉県生まれ。58年に立教大学から読売巨人軍に入団。初年度から本塁打王を獲得するなど球界を代表するスター選手に。現在でも同球団の象徴的存在。 

 

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