【小山薫堂の湯道百選】第九三回“湯は、人を幸せにする。”

  • 写真:杉本 圭
  • 文:小山薫堂
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〈静岡県熱海市〉
山田湯

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日本を代表する温泉地・熱海。どこを「湯道百選」に加えるかは、非常に難しい判断であった。海を望む絶景風呂にも惹かれるが、今回は自分がずっと憧れてきた個人経営の公衆浴場を選んだ。

その名を「山田湯」という。熱海駅から歩いておよそ30分、住宅街の中にひっそりと佇む民家の中の浴場である。開業は1955(昭和30)年頃。当初は裏庭で掘り当てた自家源泉を使用していたが、塩分濃度が高く管理が大変なため、熱海市の共同源泉からの引き湯に切り換えた。女将は、創業者の義理の娘にあたる山田松子さん。23歳で山田家に嫁いできたが、6年目にご主人が他界。その4年後には創業者も亡くなったため、およそ50年以上にわたりたったひとりで山田湯を守り続けてきた。86歳になる今も毎朝6時半に起床。清掃して湯を張り、準備を整えてから8時に開店し中休みを挟みながら、夜9時まで営業。

入浴料は一般の銭湯よりも安い300円。この価格を維持していることに、常連客たちはみな心配しているらしいが、本人は「欲しいものもないし、自分が食べる分だけあればいいのでこれで十分」と笑う。山田さんのいちばん幸せな時間は、営業後に清掃がてら入浴する時。今日もいい湯だったと感謝しながら「ひとりでこんなにいいお風呂に入ることができて幸せだなぁ」とつい独り言を言ってしまうのだとか。

風呂とともに齢を重ねるこんな生き方に私は憧れるのだ。まさに施浴の人生。自分の理想を熱海で見つけたのであった。

 

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JR熱海駅よりクルマで10分ほどの住宅街。春は豊かな新緑のトンネルを抜けた場所。のどかな民家に湯がある。2人の子どもを育てるため1階が浴場、2階が住居というつくりになった。真ん中にかかる「山田湯」の看板は松子さんの手書き。

 

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源泉は約50℃。その湯を、朝の準備でよい加減に調整して、夜9時までキープする。

山田湯

住所:静岡県熱海市和田町3-9
TEL:0557-81-9635 
料金:一般¥300
営業時間:8時~11時、15時30分~21時
定休日:不定休

※この記事はPen 2024年7月号より再編集した記事です。