ベトナム最北端に位置するハザン省は、1000メートル級の石灰岩が林立する雄大なカルスト台地に、岩肌をひたむきに耕す19の山岳少数民族が暮らす“ベトナム最後の秘境”。近年、アグリツーリズムでも注目を集めるこの自然豊かな丘陵山地で、いまもひっそりと受け継がれる“そば食”を探る旅にでかけた。
「ベトナムのそばにご興味はありませんか?」
ベトナムといえば、フォーやブンなど絶品の麺料理で知られる美食の国。当然、日本のそばのような麺料理を思い描きながら、「もちろん、あります」と即答したのだが、そばはそばでも、麺料理ではないとのこと。そばパンにそば焼酎。そばの畑にそばの花。そんなベトナムのそばを追う旅になるという。それも旅の舞台は、ベトナム最北端の山岳地帯にあり、人口の9割が少数民族といわれるハザン省。日本のガイドブックにもほとんど紹介されることのない“ベトナム最後の秘境”である。「羊でなく、そばをめぐる冒険ってとこだな」、そう独りごちながら、旅の準備を整え、いざベトナムへ向かう。
今回この話をもちかけてくれたのは、食を通じて、日本とベトナムの架け橋となるべく日越食文化協会を主宰する松尾智之さん。彼が手配してくれたドライバーにハノイ・ノイバイ国際空港で迎えられると、その足でハザン省ハザン市まで車で6時間ほど深夜に移動する。早朝、ホテルのロビーで松尾さんと合流し、シャワーを浴び、リフレッシュして暗いうちにホテルを出発。一睡もせずに、あっけなく、そばをめぐる冒険が始まることとなった。
眠気を覚ましてくれたのは、クアンバ区へ北上する車中で目にした景色だった。夜明け前の暗がりのなか、上下左右に揺れる車中の体感から、急峻な山岳地帯を進んでいるのはわかっていたのだが、日の出とともに現れたハザンの全景は、予想を遥かに超える雄大なものであった。日が高くなり、ドンヴァン岩石高原を望む峠を訪れる頃には、この山岳地帯の美しさにすっかり魅了されていた。冒険へと導く印のように、峠に飾られたそばの花を見過ごしていたら、この絶景だけで旅の目的が達成された気分になっていても不思議ではなかった。
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ハザンとそばの物語は、ルンカム文化村から始まった
ほどなくして到着した、ハザン省の北部ドンヴァン区スンラー村にあるルンカム文化村では、カラフルな民族衣装に身を包んだモン族の少女たちとともに、そば畑の白い花々が出迎えてくれた。「このそば畑が、私がハザン省でそばを初めて見つけた場所なんです」と感慨深げに語る松尾さん。ハザンとそばの物語が幕を開けたのは、2014年10月のことだった。
その年、南部ビンズオン省でフードコートのプロジェクトに参加し、日本食フードコート店舗のメイン商材を探していた松尾さんは、ハザン省に良質のそば畑があることを知り、ベトナムのそばを原料に麺料理を提供することを決める。10月、ハノイから運転手付レンタカーでハザン省へ向かった彼は、地元の人々に聞き込みを開始。だが、どこでそばが栽培されているかを誰も把握していなかった。それもそのはず、そば食は山岳少数民族のモン族だけの固有の文化であり、それも多くは家畜の餌として消費され、米などの食べ物が不足したときに食べる程度の存在だったからだ。そこでモン族が多く暮らすドンヴァン区を重点的に車でまわり、農地をくまなく見てまわった彼は、ついにスンラー村の畑とそこに咲く花に目を留める。そば処の長野県でそば好きの祖母と過ごすうちに自然とそば畑や花の情景を目に焼き付けていた彼は、それがそばの畑と花だと見抜いたのだ。
そうして麺料理としてのそばを提供するための原料を手にし、一件落着かと思いきや、ことはそう単純ではなかった。
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モン族のそば食は、焼酎とパンが基本
ルンカム文化村のそば畑を見つけた松尾さんは、その日のうちに畑の前にあった雑貨屋の女性からそばの種(玄そば)を収集しているモン族のヴァン氏を紹介してもらう。そば食の文化をもつモン族だが、麺料理としては食べず、パンや焼酎にして食すのが彼らの流儀。ちなみにそばパンは蒸したものをそのまま、もしくはその両面を焼き、砂糖や塩をまぶして食べるのが一般的らしく、味わいは素朴ながら意外に美味しいという。そば焼酎は、小さなグラスでストレートで嗜むものらしいのだが、蒸留酒らしくアルコール度数はそれなりに高く、米やとうもろこしなど他の蒸留酒と違い、そばの風味がほのかにするそうだ。ヴァン氏にそばパンとそば焼酎を振る舞ってもらい、そうした基礎知識に実際の味とクオリティの記憶を加えた松尾さんは、その後もそばのリサーチを続けたのち、後日、ヴァン氏から玄そばを買い上げる契約を結んだ。それが記念すべき最初の契約となった。
もちろん、ヴァン氏との契約だけでは不十分。そばの存在は古くから認知されていたとはいえ、花が咲く季節ごとに農家を訪れる観光客に写真撮影料を請求したり、種子を家畜の餌に使うことくらいしかそばの活用法を知らない者がほとんどの状況下、松尾さんはそば食文化のない他の少数民族にも、そばがビジネスになるという啓蒙を続けたという。買い上げた玄そばは国内で消費するだけでなく、協会を通じて日本へも輸出される。まとまった量が必要とされる、いわば、ウィンウィンのビジネスを打ち出したのだ。その結果、そば栽培に乗り出す農家はハザン省全土1市10区で着実に増え、2019年までには提携する農家の数は70世帯程度まで拡大。その後も各自治体や村落とも交渉を重ね、そばの生産規模を大きくしていったという。
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2015年、ハザン省主催の「そばの花祭り」がスタート
松尾さんのそば啓蒙活動は、少数民族だけが対象ではなかった。2014年のリサーチで確信を得た彼は、ハザン省政府にもそばビジネスのポテンシャルの高さを提言。その甲斐あってか、2015年からハザン省はそばを観光資源とする「そばの花祭り(Lễ hội hoa tam giác mạch Hà Giang)」を主催し始める。毎年、ハザン市の公園やドンヴァン区のスタジアム跡地に特設舞台を設け「ハザンの山岳少数民族の生活」をコンセプトに趣向を凝らした演目を披露したり、秋の開催時にそばの花が満開になるよう計画を立てるなどをして、祝いごとの際には花を送り合うほど花好きなベトナム人をハザンへ観光誘致すべく、そば花畑を利用したアグリツーリズムの促進に注力し、年々その人気と認知度を高めていった。
松尾さんも初年度から毎年「そばの花祭り」に出店し、そばを麺として食べることの普及を愚直に目指し、麺料理としてのそばを提供し続けた。昨年はイベントの開催日程が急遽変更になり(よくあることらしい)、出店を見合わせたものの、11月3日から開催が予定されている今年はまた出店の準備を進めているという。
ハザンのそばの味と可能性を信じ、「そばが売れる」という松尾さんの提言に、美しいそばの花畑を前面に打ち出し、「そばを売りにする」というかたちで応えたハザン政府。この微妙なズレが響いたのか、そばを麺として食べる食習慣はいまだに根付いてはいない。なによりハザンの人々にとって、そばはまだまだ「日常食べるもの」ではなく、アグリツーリズムの売りとなる「観光資源」であるというのが現実なのである。
冒険心をそそる秘境の地ハザンだが、10年前からいまなお続く「そばをめぐる冒険」はまだまだ継続中であるようだ。
【後編に続く】