セレブのゴージャスで非現実的な生活を垣間見るのは楽しい。成功者たる余裕を感じさせるし、何より夢を見られるからだ。だがドリュー・バリモアだけは、地に足をつけた“普通”の生活をしていることが人気の理由のひとつだと言える。先日もリラックスしたウエアで卵料理をつくる様子を披露し、ファンから喜びや共感の声が多く寄せられた。
等身大の姿を見せて好感度を上がるのは、彼女が一般的な感覚を持っているからだけではない。ドリュー・バリモアはハリウッドの中でも一際壮絶な人生を送ってきており、そのほぼすべてがリアルタイムに電波を通して視聴者に届けられてきた背景があるからだろう。いまの彼女の成功は、人々の希望や安心に繋がっている。
では、ドリュー・バリモアとはどのような人物なのだろうか。
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幼少期からアルコールやドラッグに溺れる
ドリューは芸能一家に生まれ、生後11カ月でCM子役としてのキャリアをスタートさせている。7歳のときにはスティーブン・スピルバーグの映画『E.T.』に出演。その愛らしい演技で観客を魅了し、あっという間に押しも押されぬスター子役となった。
華やかなキャリアの裏で、私生活は荒れていた。ドリューのマネージャーで、自身も女優だった母親のジャイド・バリモアは、幼いドリューを夜の街に連れ出し、積極的にハリウッドの大人たちが集うパーティに参加させた。
父親はアルコール中毒でほとんど家におらず、たまに帰宅しては家を荒らすだけでドリューの教育にはほとんど関与しなかった。ドリューは頼れる父親を求め、スティーブン・スピルバーグに「父親になってほしい」と頼んだほど。スティーブンは「父親にはなれない」と断ったものの、“ゴッドファザー”として彼女を支えると約束している。
連日連夜クラブに通ったドリューは、8歳でアルコールやドラッグに溺れ、12歳という若さでコカイン中毒になっていた。若干13歳にして制御不可能になったドリューはリハビリセンターに入れ、そこで18カ月間を過ごす。母親は見舞いに足を運んだが、食べ物や子どもが喜びそうなものを差し入れするのではなく脚本を持ってきたという。ドリューは自分の母親が母親ではなくマネージャーでしかないことに深く傷つき、「子どもらしく過ごしたい」と必死に訴えたが、その声が母親に届くことはなかった。
14歳で退院しだが、すぐに自殺未遂。再びリハビリセンターに入り、3カ月間を過ごす。退院しても母親の元では社会復帰が難しいと判断し、14歳で母親と法的に決別し、生活能力がない状態で一人暮らしを始めた。決して治安がよいとは言えないLAのアパートの一角で、すべてに怯えながら生活しなければならなかった。
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生活とキャリアを立て直すために
親から家事を習わなかったドリューは、洗濯の仕方も掃除の仕方も知らなかった。家は瞬く間に汚くなり、カビが生え始めた。そんな中でも必死に生きようと、コインランドリーに行き、食材の買い出しを覚えた。
その頃の彼女は私生活の乱れも影響して仕事は低迷。『ボディヒート』(1992年)でカムバックを果たすものの、与えられる仕事は、未成年にもかかわらず悪女や性的な役柄ばかりだった。転機となったのは、ウェス・クレイヴンの『スクリーム』(96年)だろう。主役ではないものの、冒頭で惨殺されるキャッチーな役は主役の次に注目されたと言っても過言ではない。
それ以降は、『ウェディング・シンガー』(98年)や『25年目のキス』(99年)などのラブコメディ、『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)といったアクションなどに出演。自分で作品を選択できるようになり、キャリアを立て直すことに成功した。
20代から30代にかけて、女優業だけでなくプロデューサーや監督業にも挑戦。さらに製作会社を設立。自叙伝は大ヒットし、ワインメーカーや化粧品ブランドを展開するビジネスパーソンとしても成功している。
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過去を受け入れたドリューのトーク
そんなドリューがいま最も高く評価されているのが、自身の名前がタイトルについたトークショー『The Drew Barrymore Show』でのトーク力だ。ホストとして持ち前のユーモアで話を盛り上げつつも、ゲストに強く共感し、自分の人生とも照らし合わせて展開するスタイルは、ときに見るものの古傷をえぐり、心に訴えかける。
ハリウッドには、ドリューのように波瀾万丈な人生を送ってきた元子役が少なくない。90年代から2000年代初頭にかけては、そういった元子役の苦しみに起因した行動を「お騒がせセレブ」といった軽薄なレッテルとともに面白おかしく消費されていった。ドリューはそんな人たちを番組に呼んで当時を語らせ、一個人としての魅力を世の中に広めている。
ドリューは自分の過去を隠していない。実際、彼女が過ごしたLAの思い出の場所を巡る特集では、リハビリセンターや14歳で一人暮らしを始めたアパートなどを紹介。18カ月間過ごしたリハビリセンターの前では、心の痛みを誤魔化すためにアルコールやドラッグに手を出し、自暴自棄になっていた当時の暮らしを回想し「今のような暮らしができるなんて想像すらできなかった」と涙した。そして、『The Drew Barrymore Show』は、そんな痛みを抱えた自分が率いる番組なのだ、と語っている。
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小さなアパートに住むのは、家族と過ごすため
冒頭で紹介したドリューのニューヨークのアパートは、元夫ウィル・コペルマンと、ふたりの娘のそばにいるためのものだ。リビングには小さなテレビ、バスルームにはカーテン、キッチンは小型のガスクッカーが置かれている。
かつて住んでいたLAの家は豪華なものだったが、ドリューはいまの生活を気に入っているらしく、「家から出たくないほど気に入っている」と話している。
家や学校に居場所がなく、アルコールに逃げざるを得なかった幼少期や、3度の離婚で再びアルコールに溺れながらも、依存から立ち直ろうと戦ったドリューの姿を見ていると、幸せそうな日常の投稿がたまらなく愛おしくなるのだ。
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子役時代のドリュー・バリモア
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チャーリーズ・エンジェル時代
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最近のドリュー・バリモア
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