タイの東北地方を舞台に、伝説や民話、個人的な森の記憶や前世のエピソード、時事問題などを題材とし、静謐かつ抒情的な映像作品で知られる映画監督、アピチャッポン・ウィーラセタクン。国際芸術祭「あいち2022」では、日本のクリエイターとともに自身初となるVR技術を使った体験型パフォーマンス作品『太陽との対話(VR)』を制作。今年3月にはアートプロジェクト「シアターコモンズ ’24」のプログラムの一環として、日本科学未来館で初の東京公演が行われ大きな反響を呼んだ。
言葉で表現できない世界のディテールを、テクノロジーを介して体感
触れることのできないもの、見えないもの、聞こえないものを映像で表現してきたアピチャッポンの世界が、今回VR 技術による仮想空間において大きく飛躍した。言葉を超えた詩的映像、坂本龍一の音楽がつくり出す波動、空中に浮遊する光の粒子がVRゴーグルを通して体験者を夢の体験へと誘った。生命の起源への回帰現象や、臨死体験を想起させる本作品をきっかけに、アピチャッポン監督と脳科学者・藤井直敬が「現実とはなにか?」についてトークセッションを開催。その一部を紹介する。
アピチャッポン 私の両親は医者で、家には医療関係の本がたくさんありました。幼い頃から細胞や病気についての書物に触れ、顕微鏡を通してしか見えない世界があることに興味を持っていました。一方母国・タイでは仏教やアニミズムの文化が根付いています。あらゆるものは精霊となって世界に共存し、私たちは目に見えないさまざまな存在と常に一緒にいるのだという共通認識がある。現実と非現実、見えるものと見えないものの間には境界があるのか?という疑問が私の創作の原点です。
藤井 僕はもともと眼科医で、その後、神経科学の分野に25年ほど従事しました。最近はVRやSR(代替現実)作品を制作しています。2011年、理化学研究所に在籍していた時に制作したSRでは正面にカメラの付いたヘッドマウントディスプレイで被験者に映像を見てもらう実験をしました。現実に見えている映像を途中で過去の映像に切り替えると被験者は現実と虚構との区別ができず、非常に驚いていました。その後12年にここ日本科学未来館で『MIRAGE 』というSRアートパフォーマンスを行い、脳科学とアートパフォーマンスを融合した作品を発表しました。僕はこれまでたくさんのVR作品を見てきましたが、『太陽との対話(VR)』はいままでにない体験だった。表現の派手さや精緻さを優先するVRが多いのに対し、この作品には深く豊かな世界がありました。言語化することは難しく、おそらくアピチャッポンさん自身も言葉で考えてつくっていないのではないか。
アピチャッポン 夢がどれだけ素晴らしかったとしてもそれを言語化したり再生したりすることは不可能です。私たちは常に言葉によってアイデンティティがつくられ、条件づけられている。映画も特有の言語を持っています。映画言語の歴史は浅く、まだ100年ちょっとです。いかに感情を伝え、物語り、構成するのか、これはシェイクスピアの延長にあるものです。一方VRにはフレームという縛りがありませんから、物語の筋書きから自由になれる。言語としての映画を排除した時になにが残るのか? 私はそこに興味があるのです。
藤井 僕は以前、目の前に見えていることと自分が感じていることの間にはまったくブレがないと思っていたんですが、SRをつくって現実とそうでないものの区別がつかないという体験をした。自分たちの脳がつくり上げている世界、つまり妄想とか幻覚というものが現実と混ざり合っているのが生き物としての僕らの世界観なのだと気づいたんです。近年、テクノロジーがリアリティに介入しています。アップルのVision ProのようにAIがつくる物語が私たちの生活のあらゆるところに入ってきて、現実と区別がつかなくなってきた。自分の外側の世界も複雑になってきている。そこで未来をうまく泳いでいくために皆さんに理解してほしいのは、現実を構成しているのは意識と無意識、基底現実と人工現実の4つの要素であるということです。それを踏まえた上で、僕はXRやAIといったテクノロジーによって新しい豊かさが生まれると思っている。未来はよりよいものになると確信しています。
我々は異なるリアリティを持ちながら一緒に動いている
アピチャッポン 私たちが生まれて成長する間には意識と同時に無意識も成長している。それは生活を営んでいる固有の文化や言語体系の中で育っていくものです。人間はフィクションを必要とする生き物で、赤ん坊の頃から妄想したり想像することを学んでいく。AIはそれと同等なものではないでしょうか。私たちが現実と感じているものは言葉によって条件づけられています。バラという言葉を聞くと私たちはそれがどんなものだか共有できますが、そのディテールには注意を払わなくなる。世界はあらゆるディテールにあふれているけれど、言葉を介さず赤ん坊のようにまっさらな見方で見ることはできないだろうか? 私が知りたいのは、あるがままのディテールをテクノロジーによって体感することができるのか?ということです。
藤井 イーロン・マスクが開発しているニューラリンク社の脳埋め込み型の装置は、脳とコンピューターをつなぐブレインマシンインターフェイスです。実験で、サルの脳にビデオゲームの信号をインプラントしてプレイさせた映像があります。1,000本くらいの電極が脳に埋め込まれているんですが、おそらく近い将来、ヒトにも装着される時代が来るでしょう。アピチャッポンさんは、ブレインマシンインターフェイスを使って人と人の脳がつながることができたら、やってみたいですか?
アピチャッポン もちろんつながってみたい。
藤井 つながったらなにも隠し事できなくなっちゃいますよ。
アピチャッポン でも案外、私たち似てるかもしれないよ。私たちはつながっているということに気づくことが大事だと思うんです。他人の中にも自分がいるということに。去年、アメリカの美術館を訪れた時のことです。歴史的傑作の前で鑑賞者の動きが気になり出した。ウォーホルの作品の前で人々はどう反応するのか、アグネス・マーティンの抽象絵画の前ではじっと止まっている人が多いとかね。美術館の外に目を向けると、そこではクルマや人が動いている。そして影の動きを見ると太陽も動いていることに気づいたんです。太陽によって生命は生まれ、私たちは動いている。私たちのいるこの惑星はものすごいスピードで動いていて、宇宙はすべてつながって動いている。この動きについて扱ったのが『太陽との対話(VR)』です。テーマは「私たちは一緒に動いている」ということ。一人ひとり違うリアリティを持ちながら一緒に動いている。このムーブメントが大事なんです。
藤井 僕が研究対象としている現実科学では、「あなたの現実を定義してください」という設問から出発しています。すべての人が違う出発点を持っているのだから、そこに共通の現実はないという認識です。これまでの科学は、ひとつの共通現実が存在するというのが前提でした。そこから外れた人はダメだという考えが世の中の歪みを生んできた。脚がない人、目が見えない人、背が高い人、小さい人、いろんな人が違うリアリティを生きているのだから、「外れた人」はいないはずなんです。昨日と今日が違うように、我々は常に変化する現実を生きているという前提で、社会をテクノロジーとともに再構築すれば、豊かな未来が生まれるのではないでしょうか。
アピチャッポン 映画やVRでは自然とそうでないもの、事実とフィクション、それらが混ざり合っていくことでいくつものリアリティの層をつくり出すことができる。それは現実の世界でも同じです。みんなが同じ電車に乗っていても一人ひとりのリアリティはまったく異なる。この作品ではひとつの空間にふたつのリアリティをつくりましたが、これこそが現実社会を反映しているのです。
藤井 私たちは異なる現実を生きている。それを理解すれば、相互へのリスペクトの感情が生まれるでしょう。あなたの宗教と私の宗教は違うけれど、私はあなたの現実をリスペクトする。否定は争いしか生まない。互いを認め、理解し、リスペクトすることでしか世の中は変わらないと思います。