【小山薫堂の湯道百選】第九一回“湯は、和の豊かさをかたちにする。”

  • 写真:アレックス・ムートン
  • 文:小山薫堂
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〈静岡県伊豆市〉
あさば旅館

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あなたにとって日本一の旅館は? と問われれば、私は一片の迷いもなく「修善寺 あさば旅館」と答える。この三十数年間、錆びついた美的感性を磨くことを目的に通い続けてきた。実は「湯道百選」を始めた時、真っ先に思い浮かんだ宿でもある。湯の質や効能を超えて、この国で生きてゆく上での「ほんとうの豊かさ」というものが心に充塡されるのだ。

室町時代の半ば、修善寺曹洞宗開山のためにこの地を訪れた浅羽弥九郎幸忠が、堂守を務めるかたわら、門前に宿坊を開いたことが始まりとされる。創業五百年を超える宿は、現在の主人・浅羽一秀氏の圧倒的な美的センスによって磨かれた。先代から引き継いだ時に16室だった部屋数は12室まで減らされ、しつらえがアップグレード。今回はその最も新しい部屋「羽衣」の湯に浸かった。

あさばは、五感で味わう宿である。それは重厚な門をくぐり、玉砂利を踏む音から始まる。風にゆれる暖簾をかき分ける手の感触。中庭の大池に流れ落ちる滝の音。靴を脱いだ後、足裏で感じるカーペットの厚み(スリッパなどという無粋なものはない)。部屋に入るとそれが畳の安らぎに変わり、美しい空間が目に飛び込んでくる。風呂場は檜の香りに包まれている。浴槽に好みの温度で湯を張り、窓を全開にすると目の前に水上の能舞台が現れる。日程さえ合えば、能や狂言を風呂に浸かりながら鑑賞することもできる。この温泉でまどろむ時間は、主人の思いが行き届いた美を全身で反芻する行為に等しいのである。

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修善寺駅よりタクシーで約7分。厳格な審査をクリアしたホテルとレストランのみが加盟を許される「ルレ・エ・シャトー」に加盟する旅館。

 

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旧大聖寺藩主、前田利鬯子爵より寄進された能舞台「月桂殿」を眺めることのできる最新の部屋、「羽衣」には半露天の浴室がある。源泉かけ流しの温泉は、アルカリ性単純温泉。

あさば旅館

住所:静岡県伊豆市修善寺3450-1
TEL:0588-72-7000 
料金:「羽衣」¥192,650~(2名1室利用時2食付き1名料金)
www.asaba-ryokan.com

※この記事はPen 2024年5月号より再編集した記事です。