オフィスオートメーションと官僚制

  • 文:速水健朗

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1980年代の日本のオフィス。(c)Asahi shimbun/amanaimages

手元に1982年刊行の『オフィスオートメーション入門』という本がある。まだファックスがようやく普及し始めた時期のオフィスの話が書かれている。事務所に人がいなくても発注書類を受け取ることができる。しかも電話の発注と違って、発注ミスが減る。これはすごい。そんな事務作業の機械化が進めば、日本企業はもっと発展する。現代の「DX」や「リスキリング」みたいなことは、40年前のほうが実感や熱量をもって受け入れられていたようだ。

当時のオフィスオートメーション革命の中心は、コンピューターだった。コンピューターがあれば、ファックスで送られてきた書類をOCRで読み込んで電子化して共有できると本に書かれている。この頃のコンピューターは、電話やファックス、タイムレコーダーなどのアナログ機器を接続して管理するために使うものと考えられていた。いまの世から見れば、ファックスの書類をわざわざOCRにかけたりするのは無駄に思ってしまうが当時は、あらゆる機器がアナログ式だったのだ。

まだファックスが使われているとか、デジタルだけでフロッピーディスクが使われているという現場もあるが、それでも大半の企業は、書類仕事の大部分がパソコンに置き換えられている。事務作業は、一般には、クリエイティブとは相反するものとして受け止められる。だが、ロラン・バルトもダニエル・デフォーも事務能力が高かったということを文学研究者の阿部公彦が『事務に踊る人』という本で書いている。この本ではフランス革命時代のエピソードが取り上げられる。死刑執行がいつでもできるのに、書類処理の担当者がそれを滞らせて執行されなかった。事務員は、権力者の命令を書類処理のサボタージュによって回避し、多くの命を救う。なるほど書類担当者が仕事をしなかったら、権力者もただの飾りもの。

本書では、梅棹忠夫の『日本語と事務革命』とデイヴィッド・グレーバーの『ブルシットジョブ』が並べられる。梅棹は、60年代末に『知的生産の技術』という本を刊行した文化人類学者。手帳を持ち歩いてメモを取ることの効用などについて書かれている。まだ個人向けコンピューターもワープロもない時代だが、その時代の到来を見抜いている。これからの事務作業は、情報共有や情報整理が重要。誰もがそれをうまく扱えるようになっておこう。この本は、いまもまだ読まれるロングセラー。一方、「ブルシットジョブ」はもっと最近の話で、ホワイトワーカー的な仕事の中で、情報共有とか余計な事務仕事が増えて、どの仕事場も生産性の低い業務で埋め尽くされる現状を指摘したもの。効率化、機械化が下手に進むと人々は余計な仕事に右往左往させられるようになる。

事務革命、OA化、DXというオフィス作業の変革の先にあるユートピアを人々はずっと夢見てきた。コンピューターが事務仕事を楽にした一方、個人の負担は増えている気もする。まさにグレーバーの言うとおりだ。税率の変化とかインボイス制度とか、各社バラバラの支払いフォーマットへの対応だとか、世の中の書類業務の負担は年々増している。

さてフランス革命の話。書類担当者が仕事をしないとフランス国王であろうが処刑すらできなかった。その次に書類処理の担当者たちが行ったのは、書類ルールの複雑化だったようだ。書類仕事が難しいものになれば、権力を独占できるのは、書類担当者だ。これを官僚制と呼ぶ。なるほど、世の中の書類仕事が楽にならないのは、この官僚制の時代が続いているからだ。原稿が終わって、書類の作業が終わったら、次は年賀状の作成にかかろうと思う。今年中にはちょっと無理そうだけど。

速水健朗

ライター、編集者

ラーメンやショッピングモールなどの歴史から現代の消費社会をなぞるなど、一風変わった文化論をなぞる著書が多い。おもな著書に『ラーメンと愛国』『1995年』『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』などがある。

速水健朗

ライター、編集者

ラーメンやショッピングモールなどの歴史から現代の消費社会をなぞるなど、一風変わった文化論をなぞる著書が多い。おもな著書に『ラーメンと愛国』『1995年』『東京どこに住む?』『フード左翼とフード右翼』などがある。